第37話 ソラ、再び

 ソラ。


 イブと同じく、美しい少女の形をした人ではない生き物。

 彼女は、手に洋二さんのスマートフォンを持ちつつ、ジッと僕を見つめていた。


「君がメッセージを?」

「そうだ。私が送信した」


 ソラは物憂げな表情で手に持った端末を見せた。


「なんで、君がそのスマートフォンを? 洋二さんは?」

「これは洋二に託されたのだ。メッセージは読んだか? 嘘は書いてないし、操作も間違っていなかったはずだ。洋二は捕まってあの場所にいる。それよりも上谷浩介、来てくれて嬉しいぞ」


 ソラが目を細めてこちらを見る。


「良いよ、そんなの。洋二さんが捕まったなんて聞いたら、ジッとしてなんかいられない」


 言いながら思った。

 洋二さんを失えば、今度こそ僕は独りになってしまう。


「お前なら、そう言うだろうと思っていたよ。お前は私の知っている人間とはかなり違うからな。問題はイブだ。お前らの意見が割れることは承知の上だったし、来ない可能性の方が高いだろう思っていたよ。まぁ、今のお前らを見れば、普通ではないとは思っていたが」

「イブとは、その。連れてこれなくてごめん。」

「フッ……ハハハ、ハハハハハ」


 ソラは笑った。

 可愛らしく、それでいて心から湧いて出たような声で。

 そう、まるで人間のように。


「私は本当に愉快だよ。なぁ、そろそろ姿を現してやったらどうだ?」


 気配。

 僕の後ろに、誰かが立っているのを感じた。


 まさか、と思う。

 思い返しても、ありえないことだと思った。

 勝手な感情だけの馬鹿な選択をした僕を見て、僕を見捨てると言ったはずなのだ。

 確かめるのが、少し怖い。


 でも、ゆっくりと振り返った僕は、そこに見慣れた少女の姿を見つけることが出来た。


「イブ、どうして?」


 イブは何も語ろうとはしなかった。

 僕の背後からソラの声が聞こえて来る。


「お前のその脳波はなんだ? 複雑すぎるな。実に面白い。いったい何を見て、どう感じればそんな信号が出せるのだ?」

「知ったことか」


 イブはそれを言った後、ぼそりと呟くようにして、言った。


「私だって、今の私がわからない」


 ソラはそれを聞いていない。

 自分には関係無いと言ったように、イブに言葉を続ける。


「とりあえず、何のために来たか聞いておこうか? 私から上谷浩介を取り戻しに来たわけではあるまい?」

「私が攻撃信号を発して無いのはお前が知っているだろう。それに戦ったところで、今の私ではどうやってもお前には勝てん」


 ソラはくっくと笑う。


「そうだったな。我々はそういう生物だったな」

「何を……」


 イブがソラに何かを聞きかけ、止めた。

 数秒の後、戸惑うようにしてイブが言う。


「お前の脳波信号の方こそ、私は珍しいと思う。いったいなんなのだ、それは」


 ソラはその質問には答えなかった。


「手を貸せ。貸せる範囲で良い。貸さなければ、この場で貴様らを殺す」

「心配するな。そのつもりで来た」


 イブの言葉に迷いを感じない。

 驚かずにはいられず、聞いてみる。


「でも、イブ、さっきは」


 その言葉は、イブとソラの会話を割って入る形になった。

 人間の僕が話しかけるには難しい空気で、僕の言葉は、自分が思っているよりもずっとたどたどしい。


「さっきは反対だって言ってたじゃないか。どうして?」

「人間風に言えば、気が変わった。今から他の人間を探すリスクよりも、お前に危険が及ばないように努力するほうを選んだのだ。それだけだ。ソラ――あいつが生きてここにいたのは計算外だったが」

「イブ」


 名前を呼び終わった時には、全てを悟っていた。

 あの時、少しでも僕を見失っていたのなら、この場所が分かるはずも無い。

 きっと、最初から僕を守るつもりで後をつけていたのだ。


「イブ。ごめん。ありがとう」


 言ってから、気づく。


 僕は、本当に絶望しかけていた。

 イブと別れて。もう、会えないと知って。

 気づかない振りをしていたのは、自分で思っていたよりもずっと深い、暗い感情だった。


「話は済んだか? 時間が惜しい」

「そうだな。動くのであればすぐに動きたい」


 イブは僕の言葉なんて聞かずに、ソラと会話を始めている。

 どんな時も、イブはイブだった。

 今も、目の前の現実だけを彼女は見ている。


「連れ去られた時間は?」


 イブのその言葉に、ソラが一瞬の空白を持たせてから答えた。


「およそ3時だ」


 僕のスマートフォンに連絡が入ったのが、放課後の3時50分。

 今が4時32分。

 もう、一時間以上も経っている。洋二さんは無事だろうか。


「急がなければならない。貴様には陽動を頼む。敵の数は、私が確かめた限り、5匹だ。半数ほど引きつけて離してくれさえすれば、あとは私でどうにかしよう」

「なるほど、陽動か。確かに今の私にはそれしか出来そうも無いな」


 そこまで言ったイブは、チラリと僕を見た。


「心配するな。上谷浩介に出来ることは何も無い」

「それを聞いて安心した」


 暗に僕が役立たずと言われているようだったが、もちろんそれは事実なのだろう。

 だが、それでも、何か役に立ちたい。


「待ってよ。僕だって、何か出来るだろ? 例えば、潜入したり」

「洋二が連れていかれた部屋が分かればやりようもあるが、人間のお前に出来ること等、何もないよ。最も、例え何かを頼もうとしても、イブがそれを許さないだろうがな」

「もちろんだ。危険に身を晒すのは私だけで良い」


 イブの言葉が痛い。

 出来るなら、僕も何か役に立ちたいのに。

 そんな苛立ちを募らせた僕をなだめるようにして、イブが言う。


「そんな顔をするな。お前は本当に私の理解を超える。自分の死ぬ確立がずっと低い場所にいるというのに、何の不満がある?」

「悔しいんだよ。洋二さんのために何も出来ない自分が」


 まるっきり子供の言い草みたいだと分かっているけれど、これは紛れも無い本心だ。

 イブにはもちろん、そんな僕の心なんて分かるはずも無い。


「その感情は私には分からない。だが、安心しろ浩介。お前に何も出来ないことは無い。出来ることが一つだけある」


 フッと笑んだイブの顔を、僕は見た。

 それから優しい口調の言葉を、僕は聞く。


「私の無事を祈れ。自分が生きるために」


 生き残るために、祈れ。

 イブらしからぬ言い回しだと思ったけれど、僕は無言でうなずいた。


「動こう」

「ああ、頼む。私も頃合いを見計らって突撃する。上手く逃げろよ」

「ふん。やって見せるさ」


 二人が冷えた視線を交わしあい、すぐに僕の視界からイブが消える。


 ……ふと、不安になった。

 僕の体液が足りないと言っていたイブが無事に逃げ切れるのか。


「頃合いって、どうやって、計るんですか?」


 ソラに聞く。

 思わず敬語になってしまった。


「心配するな。少し集中して、私が脳波を感知できる範囲を広げる。反応があの場所から複数離れた瞬間、私も動こう」


 そんなことも出来るのかと、少しだけ感心して僕はソラを見ている。

 同時に、どうか無事に、全て上手く行きますようにと、僕は祈っていた。


 と、その時。

 集中していたソラの表情が、ピクリと少しだけ動く。


「バカな」

「どうしたの?」

「失敗した」


 その言葉は、ゾッとする様な感覚を背中を走らせた。

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