第18話 解釈

 〇


「美味しい?」

「少し冷たすぎる」

「アイスだからね」


 その日、僕とイブは回り道をしていた。

 放課後の寄り道。

 動き回るのは危険とは言うものの、イブの服やら何やらを買わなければならないので、僕らは思い切って駅前の繁華街へ行ったりもしていたのだ。


 イブは舌をチロリと出して、僕が買ったアイスを食べる。

 コーンに盛られた、何の変哲もないバニラアイス。

 彼女はそれを冷たすぎるとは言ったものの、きっと美味しかったのだと思う。

 最後まで食べきると、こう言ったのだ。


「浩介。もう一つ買ってくれ」


 僕は不可思議な気分になった。

 店頭で、今度はストロベリーのアイスを買い、彼女に渡すと、それを舐めた彼女は目を細めて笑う。


 今はそれを喜んでいるのだと思ったのだけれど、イブの表情からその心を察することは、酷く難しい。


「どう?」

「……新鮮だな。考えてみれば、今まで適合した人間とこうして一緒に食料を食べたりするだけの時間を共に過ごすというのは、あまり無かった」

「じゃあ、今までどうしてたんだ? 僕と会う前とか」

「人間には普通の生活をしてもらっていたさ。仕事や学校――人間が社会の中で義務を全うしなければ生きてはいけないというのは分かっているし、私も人間の食料が必要だ。体液を補充しても、腹は減る。ただ、今と違うのは、私は常に隠れていた。敵が来たら殺し、家で食料をもらい、抱いてもらう。それだけの生活だった」


 イブが男に抱かれていた、と言うのにどうしても拒否反応に近いものを感じてしまう。


 イブは美しい。

 ろくに使わずに貯め込んでいた僕のお小遣いを散財して買った服は新品で、それを着こなした彼女はずっと奇麗で。

 でも、とても大人の女性にはとても見えない。


 僕よりも年下で……セックスだとかそういう事よりも、他の色んな楽しい事に夢中な、そういう年齢に見える。

 でも、それは僕の勝手な思い込みだ。

 彼女は人間ではないし、例え人間だったとしても、見た目通りの年齢ではないのだから。


 ……いや、それはもう良い。

 僕は、イブが1人でずっといたと言うのを悲しく思っている。


「寂しくは無かった?」

「寂しい? それは私には理解できない感情だな。私は生まれてからずっと1人だったし、常に生きることだけを選択して生きてきた」

「誰かと一緒にいたいって、そういうこと思わなかったの?」


 馬鹿なことを聞いたと思う。

 僕は、何が聞きたいのだろうか。


「誰かと共にいたい? それこそ人間特有の考え方だな。私は生きていられれば、それで十分だ」


 彼女は、きっと人生に意味なんて求めてない。

 でも、それでもこんなに小さな身体で、大人の男たちに抱かれて、現れた敵を殺すことだけを考えているなんて。それは寂しいことだと思う。


「イブ。君ともっと話がしたい」

「私もだ。お前は不思議すぎる」


 イブと僕が言った言葉は同じに聞こえるかもしれないけれど、その意味はすれ違っている。


「人間の心など理解したいと思ったことは今まで無かった。お前はなんなのだ? 枷は確実に解いてある。日数も経った。そろそろ女を抱きたいと思っても不思議ではないだろう。それなのに、何故、私を抱かない?」

「……僕は、そうは思わない。それだけだよ」

「私の出会った人間は常に異性を求めていた。誘えば、すぐに私を抱いた」


 イブは言い切った。

 今までの、イブの生きてきた人生の重みを感じさせる声で。

 でも、僕は好きな人以外としたくないのだ。

 これだけは正真正銘の、本心からの僕の意思だ。


「なぁ、イブ。僕は、愛とか無ければ、そういう事しても虚しいだけだと思うんだ」

「愛だと? したことも無いのに、良くも言えるものだな」


 イブの言っていることが、僕の心を傷つけていく。


「浩介。人間は愛などと良く口にするが、愛なんてものは虚像だよ。実に便利な言葉だ。私には、無いものを信じさせて他人を利用するための便利な道具に見える」

「それはそうかもしれない。でも、そんなの一面性だよ。形とか無いものだけど、他人同士が同じものの存在を信じ合えれば、きっとみんなが幸せになれる。多分、そう言うのがきっと愛なんだよ」


 少し、臭かったかもしれない。

 けれど、イブはそれらを笑い飛ばしもせずに、ジッと表情を変えないまま何かを考えこんでいた。

 周囲を冷えた風が吹いている。


 あと数日で10月。

 夏は過ぎ去った。

 僕らはわかり合えないまま、もうすぐ冬がやって来るのだ。


「もう行こうか、イブ。遅くなると、どんどん寒くなる」

「そうだな。アイスクリームと言うものは、体が冷える」


 イブが僕の手を掴んだ。


「なんだよ」

「風が少し、冷たかったのだ」


 イブらしくないと思いながら、僕らは手を繋いで帰る。

 その手は冷たくて、同様に僕の手も冷えていたけれど、やがて二つの体温は交じり合って、いつの間にか手は、緩い温度を持っていた。


――――――――――


 僕は、イブが分からない。

 人間にあまりにも似すぎているので、つい人と錯覚してしまうのだ。


 しかし、彼女は自分が生きるためなら――危険から離れるためなら、それこそ何でもするだろうし、人だって簡単に殺してしまうだろう。

『気を許せるか?』と聞かれれば、きっと僕は『許せない』と答える。


 信頼して、全てをさらけ出すことはきっと出来ない。


 でも、こうして手を繋いで歩いていけば、きっといつか、僕らは分かり合えるのではないかと、希望を持ってしまった。


 ただ、それでも、いつまで続くのか分からない、暗い道を歩き続けている気がするのは、僕もやはり命の危険を感じているからなのだろう。


 今度、いつ、敵がやって来るのかは分からない。

 一度、この町でそう言う状況になったのならば、きっと今度は、僕らは殺される。


 イブは平静を保った様子だが確実に衰弱していて、ふと見れば全身に脂汗を浮かばせながら苦しそうにしている時がある。


 もう、二週間。

 彼女には唾液と、血液しかあげていない。


 僕の指は傷だらけで、常に絆創膏を張っている。

 それはもう、日常生活に支障をきたすレベルにまで達しているのだけれど、それでも、僕はイブを抱こうとは思わなかった。


 そして、数日後の日曜日の午前中。

 僕のスマートフォンに、僕が大火田町から帰って来た日の翌朝に助けた、僕と同じ状況の人。

 木島洋二さんからメッセージが届いた。

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