第17話 帰らない日常
制服を着ると、まるで以前あった日常が戻って来たかのような錯覚を覚えることがある。
でも、イブが言うにはどこで襲撃されるのか分からないとのことだ。
危険は常につきまとっていると。
そうも言われれば、僕はイブが学校について行くと言うことに、反論することが出来なかった。
一緒に朝ご飯を食べて、母と父は、イブが昔から内に住んでいたかのように自然に接していて。
二人で靴を履いて家を出る。
「服、買わないとな」
「そうだな。私も同じ服を着続けると言うのは、少し抵抗がある」
イブの服は汚れていた。
もう、三日も、四日も着替えていない。
入浴はしているようなのだが、下着も変えていないのだろう。
「浩介の前に一緒に暮らしていた男の家に替えの服があったのだが、持って来なかった」
「そっか」
僕はそれを聞きながら歩く。
とは言え、抵抗がないわけではない。
何しろ、高校生と、汚れた服を着ている少女が一緒に歩いている。
これはきっと、目立つと、そう思っていたのだ。
だが、歩いてみれば、イブの存在感がまるで消失していたので、僕は驚いてしまった。
いや、目には映っているが、目を離せばどこにいるのか分からなくなってしまうかのような、不可思議な感覚に襲われている。
見つめ過ぎたのか、イブがこっちを見た。
「なんだ?」
「誰もイブの事を見てないから不思議でさ。気配を消してるとか、そう言う事?」
「そのようなものだ。視認はされても、気に取られることは無い」
簡単に言ったが、効果は十分のようだった。
誰もイブのことを気にしていない。
「かくれんぼは得意ってことか」
「かくれんぼ?」
「……かくれんぼ、知らない?」
「知らん」
いつもより早く家を出た早朝。
僕が暮らしている街は人口10万人以上で、8千人ばかりしか住んでいなかった大火田町とは、ずいぶん違う。
通勤や通学で行きかう人々の中で、僕と歩く美少女……の、外見をした人ではない生き物に、誰も目を向けていない。
僕は7月に買った新品の自転車をゆっくり漕ぎながら、イブが早足でついてきているのを確認し、そうした『ここにいるのに、どこにもいない少女』のような不気味な違和感に慣れることのないまま、学校に向かった。
〇
片道がほぼ丸一日かけて移動する大火田町には、その往復の日数を含めて、一週間ほど滞在したことになる。
その一週間、僕に何があったのかは学校の誰も知らないし、僕のいなかったこの町では、変わらない日常が過ぎただけなのだろう。
「で、カノンちゃんとはどうなのよ、上谷君」
学校に着くなり話しかけてきたのは、藤森さんだった。
靴を下駄箱に入れながら数秒。「どうもしないよ」と、僕は言った。
「カノンさんとは、まぁまぁ仲良くやってる」
「ふーん?」
藤森さんは不思議と、そればかりを気にかけているようだった。
僕が何か言う前に、彼女はハハハと笑う。
「実を言うと、上谷君とコーヒーショップで会ったのが初対面でさ。良い子そうだし、紹介したみたいになった手前、気になってさ」
「そっか」
話は終わる。
教室に着いたからだ。
イブは校舎には入っていない。
どこにいるのだろうかと気にしたが、気配を消している彼女を探すのは、とても困難そうに思えた。
それでも昼休み。僕は校舎を出て、例えば誰も来ない体育館の裏だったりに出向いて、イブが姿を現すのを待つ。
そうすると、イブは待ちかねたようにして姿を現すのだ。
「イブ。はい、お昼ご飯。パンだけど良い?」
「体液が先だ」
僕はイブとキスをする。
学食の購買部で買ったパンはその場に取り残され、唾液の混ざり合う音が、誰もいないその場所に響く。
危険がまたいつ来るかはわからない。
その緊張感みたいなのは、常に僕の心の中にある。
とは言え、それから二週間程は何事もなく過ぎていった。
もうすぐ10月になるが、敵はあれから一度も現れていない。
人口比から見て、人に擬態している敵が現れる可能性は、こっちの方が高いように思えたが、そうでもないらしい。
イブが言うには、大火田町には元々、イブとイブの適合する人があの町で暮らしていて、それを狙っている奴等が元々潜んでいたと言う事が理由らしかった。
とにかく、僕が暮らしているこの街に敵はいないようで、ホッとする。
「油断はするな」
「油断?」
「本当はあまり動き回りたくは無い。敵に見つかるリスクが高くなる」
「学校なんだから仕方ないだろ? 行かないわけにもいかないし」
言ってから、命が危ないとすれば、学校なんて言ってる場合じゃないんじゃないかと気づく。
が、イブの答えは僕の予想を裏切った。
「分かっている。行かない方がリスクとしては高いだろう。突然、仕事や学校に行かなくなったのなら、それは不自然になるからな。どこで何が私達の存在の手掛かりになるかは分からない。奴らは今、必死になって探しているはずだ。私達を」
探している。
いずれはまた、あの化け物たちと戦わなければならないのだろうか。
そう言った事柄が僕の背中にうすら寒い物を走らせていて、やはり僕は死にたくないと思う。
生きているのなら、いつか、全てが良くなる日が来るはずだと、そう信じるしかない。
〇
カノンとは、時々、RINEでたわいのないやり取りをした。
それは本当に些細な、例えば、当たりくじ付きの自動販売機で買ったジュースが当たって、ついつい同じジュースのボタンを押してしまったとか、そう言うあたりさわりのない事柄ばかりだったけれど、それでも、僕にとっては癒しそのものだった。
彼女のことを考えて楽しくなったり、連絡が来ないことを寂しく想ったり。
そういった気持ちは僕にとっては初めての経験で、もっと早く、ずっと知っていたかった感情なのだと、思ったりもした。
……いつか、カノンのことをイブに話さなければならないのだろうか。
でも、僕がイブに対して、彼女を抱かない――キスと血を与えるだけにとどまっている理由を言ってしまうと、カノンが危ない気がしてならない。
『つがいのメスがいては色々と不都合だった』
イブのあの言葉が、頭の中でずっとぐるぐると回っている。
『排除した』
イブが、人間を――カノンをあの犬のように攻撃しないとは言い切れない。
しないと、信じることが出来ない。
僕はカノンと会ってはいけないと、強く思う。
イブのそのものに会わせることもそうだけれど、戦いに巻き込んでしまう可能性もあるのだから。
……だが、ある日の放課後。
僕は、イブに対して抱いている自分の感情を乱され、もっと、ずっと混乱してしまうことになった。
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