第15話 接触

 完全なる奇襲。


 いや、イブの位置や存在は知られていたはずだったけれども。

 それでも、突然近づいてきたイブに化け物の男は反応しきれなかったらしい。


 遠く、噴出する青い血液。

 だが、イブの攻撃は相手の急所を外れた。

 イブの見えない腕は男の右腕を握りつぶしたが、それだけだった。


「浅いか……!」


 男の意識がイブを捉える。

 僕は思わず叫んだ。


「イブッ!」

「バカが! 隠れていろ、浩介!」


 直後、男の見えない腕で弾かれたイブの身体は、まっすぐにこちらへ向けて返って来た。

 激突。

 壁で止まったイブの身体は、そのままずるりと下に落ちる。


「くそっ! こんなの見て、逃げられるわけないだろ!」


 僕はイブに走り寄った。


 直後、僕の体は強張り、凍り付いたように動かなくなる。

 金縛り。

 こちらに向いた男の殺気だ。

 しかし、僕が必死の思いで顔を上げて見たのは、青い血を身体中から噴き出させ、次には身体をバラバラにされて崩れ落ちた敵の姿だった。


 元々戦っていた少女の攻撃だろう。

 大量の青が、見覚えのある工場跡の壁を染めて行った。


「……逃げろと言っただろ、浩介。なぜ来たのだ」

「イブ、大丈夫なのか?」

「心配は要らない。攻撃は失敗したが、防御は成功した」


 僕はイブの手を握った。


「良かった、無事で」

「おい」


 聞きなれない声が僕に届く。

 男を倒した少女の声だ。

 イブとは違う顔、だが、同じくらい美しく、やはり人間離れした目で僕を見ている。


「お前らはなんだ? 結果的には助かったが」

「助けに来たんだ。戦ってるって、分かったから」

「助けに来た? 意味の分からないことを……排除させてもらう」


 それを止めたのは、女の子と一緒にいた男の人だった。


「ちょ! 待てよ!」


 恐らくは、目の前の少女と体質が適合した、僕と同じ境遇の人間。


「助かったよ。ありがとう。僕は木島きじま洋二ようじ。説明は不要さ。俺にはわかるって。人間だもんな。とにかく、敵と戦ってて負けそうでやばいってのに、もう一匹近づいてくるとか言ったから、びっくりしたよ。助けてくれてありがとな」


 最後のありがとうは、イブに向けてのものだった。


「浩介の意向だ。それに、場合によってはどちらも倒すつもりでいた」

「攻撃信号を解かないのはそれが理由だな」


 少女の方が言い、イブが緊張感を保ったまま返す。


「私は、そもそも近づくのは反対だった。だが、貴様が我々を排除すると言うのなら」

「待ってくれ!」


 今度は僕は止めた。

 争う理由なんて何も無い。

 何も無い、はずだ。


 相手の少女が僕の目を見る。


「いや……よしておこう。今、止めを刺すのは容易だが、追い詰められたネズミに噛まれるのはごめんだ。それにメリットが無い」


 メリット? と言いかけた僕の声は、僕に向かって放たれた少女の声でかき消される。


「貴様の連れ合いは私と適合しない」

「こちらも確認した。私もそこの男とは適合しない」


 そう返したイブは、視線を少女から外す。


「あーっと、何だか仲直り? 出来たのかな?」


 木島さんがそう言って、ピースサインで笑った。


「ラブアンドピース」


 空気は和まない。

 木島さんと言うのは不思議な人に見えた。


 見た目はとても若い。

 茶色に染めた短い髪に、アロハのシャツ。

 年はそんなに離れてはいないと思う。

 僕から見たら、ずっと大人に見えるけれど。


「洋二。場所を移そう」

「は? なんで?」

「傷の手当てをしなくてはならない。まずは体液の補充だ。ここでこいつらに見られながらつもりなら、ここでも良いが」

「お、おう、わかった」


 する、と言うのが何をするのか分かって、僕は顔を赤くした。


「……あのさ、浩介君? 君とは一度お話したいね。同じ境遇の身として、さ。連絡先、教えてくれるか? RINEやってる?」

「はい。あの、木島さん」

「なんだい?」

「無事で良かったです」

「なんか、恥ずかしいな、これ。はは、俺も君に会えて良かったよ」


 僕と木島さんは連絡先を交換し、2人は去っていく。


「これで、満足か?」


 イブが生気の無い声で僕に言った。

 僕はイブを抱き起こす。


「イブ。ごめん。ありがとう」

「そんな顔をするな。意味が分からない」


 そう言われても、自分の表情がわからない。

 僕は今、どんな顔をしているのだろうか。


「イブ、その、手当てを」

「手当てなどいらん。それより、今度こそ私を抱いてくれ。……苦しいんだ。上手く動けない」


 イブが優しく僕を抱きしめた。


 果物や花のような彼女の香り。触れ合っている肌が、彼女の体温を教えてくる。

 一瞬、気が遠くなって僕の身体は強く反応してしまっていた。


「お前が欲しい」

「だ、だめだよ。こんなところで」

「こんなところ? ではどこなら抱いてくれるのだ?」

「違う。そういうことじゃなくて、その」


 ここでイブを抱くことを選ぶことは出来ない。

 カノンの顔と声が、僕の胸を満たして、全力で目の前の少女の魅力を否定していた。


「イブ。ごめん。出来ないよ。僕は」


 イブは僕に返事を返さない。

 僕の身体に手を移し、色んなところを撫でて回る。

 僕の、あまり他人が触らない部分にも。


「ち、ちがう。これは、その……」

「謝罪の言葉など、聞き飽きた」


 イブはそう言うと、僕の身体に顔をうずめ、ズボンの上から僕を撫で続けてた。


「イブ……やめろよ」


 イブは答えてくれない。

 潤んだ目が無言で見上げてきている。

 手の動きが早まり、そして……


「い、イブ!」


 僕はイブの肩を掴んだ。

 イブの身体を引き剥がし、倒れそうになった彼女を支えながら、地面に横たえる。

 僕は急いで右手の親指に歯を立てた。

 治癒しかけの傷が再び開いた時の痛覚は酷いものだったが、血はしっかりと出てくれる。


 イブの口元に血で塗れた親指を持っていくと、イブは観念したようにして、それを口に含んだ。

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