第6章 Singles , Together 2015年 10月

第46話 目覚め

 夢を見ていた。


 酷く悲しく、寂しい夢を。

 決して幸せだとは思えない、夢を。


 それでも、そんな中で一人の少女が僕に寄り添っていてくれた。


 その柔らかい髪に触れる。

 心地の良い、安息ともいえる感覚が、僕の中にあった。


 けれど、突然に息苦しさに気づいて、僕は目を覚ます。


 ……そこは、薄暗くて狭い場所だった。


 一体、ここはどこなのか。

 手を伸ばすと、指先が薄い膜の様な物を破壊したのが分かった。


 バリバリと音がする。

 その膜は硬いが薄く、力を入れれば簡単に破れて行く。

 重なり合ったそれは、僕の腕が動く度に砕けて、子気味良い感触を僕に与えた。


 意を決して、強く突く。

 そして僕の腕は冷たい空気に触れた。


 突き破った腕が外に出たと言う実感。

 腕を使い、僕の周囲にあるそれらを破壊し尽くす。


「ようやく出てきたか」


 目の前に、男がいた。

 いや、こいつには見覚えがある。


「……なぜ、貴様がここに? イブは無事か?」


 声を発して、喉の渇きに気づいたが、そんなことはどうでも良い。


「これは驚いた」


 男が目を細めている。


「外見は上谷浩介そっくりだが、まさか記憶まで引き継いでいるのか?」


 こいつは何を言っている?

 確かに上谷浩介は僕だが、記憶を引き継いだとは何だ?

 僕は男に聞く。


「質問に答えろ。イブはどうした?」


 男は目を細めると、僕を指差して言った。


「イブは、だ」


 男が何を言っているのかが分からない。


「貴様の言っている意味が分からない」


 僕は思考と同じことを口に出して言った。

 頭はすっきりとしている。

 必要なこと以外の余計なことなんて、まるで浮かんで来ない。


 男は黙ったままなので、僕はさらに問いを投げかけた。


「全て説明してもらうぞ」

「説明? 上谷浩介の記憶ならお前が持っているんだろ? 自分に起きた事を思いだせ」


 思い出すだと?

 答えの出ない僕に業を煮やしたのか、男が語気を強めて言う。


「上谷浩介は、ここで死んだ」

「何?」


 だが、その言葉を返した時には、全てを思い出していた。

 藤森優子の死。

 そして、自分の身体の損傷。

 流れる血。そして。


「なるほど、思い出した。だが、そこからの説明を求めたい。僕は一体、なぜ生きている? なぜお前がここにいる?」


「お前があのホテルを脱出した後、俺はイブを拘束して窓の外を見た。外に脳波信号が現れてすぐ消えたからな。俺が窓から見たのは上谷浩介が、敵の脳波の現れた方角へ逃げていく姿だったよ。上谷浩介が死ぬのは俺の求めていることではないのでな。だからイブの拘束を解き、一緒に上谷浩介の後を追った」


「続けろ」


 僕はそう言うと、男の言葉の先を待つ。


「俺たちはすぐに上谷浩介を見失った。そこで発想を変えたのだ。脳波を頼りに群れてる奴らを探し出し、上谷浩介がそいつらと接触しないように警戒する作戦を選んだ。だが、奴らを見つけた時にはもう、遅かった。お前はすでに建物の中に連れ込まれ、奴らの信号が攻撃信号になっていた。ただでさえ数では負けている。不意打ちも出来ない状況では、俺も他の奴とたいして戦闘力は変わらない。連れて来たイブは弱りきっていた。そこで奴らが去るのを待ち、救出する作戦を選んだのだ。だが」


 男は一息ついた。


「まさか、お前を殺すとは思わなかった。生かしておいて適合する個体が表れた時に、生殖に使うと思っていたからな。完全な誤算だったよ。奴らが全員でこの場所を離れてすぐに、俺たちはここに侵入した。その時はまだ息があったが、どうにも助かりそうもない。そこで、イブは」


 ここまで来れば予想がつく。

 いや、むしろ、最初からそれを知っていたかのような、そんな確信めいたものまで感じた。


 男は、僕の予想通りの言葉を言う。


「繭を作り、お前を取り込んだのだ。あとは孵化するのを俺は待った。中から何が生まれるのか。俺の知的好奇心がずっと求めていたものだからな。だが、予想外だったよ。まさか、こんな物が出てくるとは」

「なるほど。理解した」


 僕はそう言うと、自分の姿を見た。

 服は着ていない。

 脇腹を見るが、斬られた傷跡の痕跡もない。

 血に濡れた学制服が近くに落ちている。


 ふと異臭を感じて目を向けると、藤森さんの死体がそこにあった。

 絶対的な死。

 僕は藤森さんの死体に近づき、彼女の髪に触れた。


 様々な記憶が溢れてくる。


『何があったか知らないけど、お姉さんに話してみなよ、少年』

『一緒に泣いてくれてありがとう。上谷君ってやっぱり優しいんだね』

『ねぇ、上谷君、私、上谷君の、こと、ね、ずっと……』


 全て、僕を見ていた。

 彼女は、僕だけを見ていた。

 どうしても、守りたかった。


「柔らかい。でも、冷たいな。なぁ、この子は、本当に良い子で、本当に守りたかった人間なんだ。この子がいれば、お前らとだって分かり合えると、本気で思ったのに」

「分かり合う?」


 男が言った。


「分かり合う必要など無い。俺たちと人間は違う生き物だ。どれだけお互いを知っても、知れば知るほど齟齬が生まれる。そうなれば、一方的な迫害意識が生まれて争いになり。強いものが弱いものを滅ぼすよ」

「ああ、そうだな。そうだったよ」


 僕は納得した。

 人の犠牲の上に在る生存や生殖本能を持つ生き物を、誰が認めよう。


「それに、俺も奴らの言っていることには一部賛成でね。人間など、俺たちの種の下位の存在だ。食物連鎖で言えば、俺たちの方が上なのだ」

「だけど、違うことも同時に考えている。貴様は人と言う種族と戦えば、自分達が滅びることを知っているんだ」

「悔しいことにな」


 人がいなければ繁殖できない種族。

 もし、戦いを挑み、人間社会の中に紛れ込んだ人の形をした化け物が人間に認知されれば、いったい何が起きるのか。


 きっと、パニックになる。

 人と彼らの区別なんて、人間には無理だし、そもそもその気になれば姿を隠せる彼らを探すことは、不可能に近い。

 疑心暗鬼が蔓延し、人はお互いを同じ人かと疑い、争い……そうすることで、彼らは人間が築いてきた社会を簡単に崩してしまうことだって出来るだろう。


 そして、彼らは人間なんて簡単に殺せる。

 気取られず、大量に虐殺することも可能だ。


 だが、例えそうした戦略の末に人間を絶滅させることが出来たとしても、結果的に滅ぶのは彼らの方なのだ。

 生き物であるのならば、やがて寿命だって来るだろう。


 彼らは、人がいないと増えることも、生きることすらも出来ない。


 ……僕は立ち上がって、衣服を身に着け終わった。

 下着、学生服。

 ポケットに財布とスマートフォン。


 バッテリーはかなり減ってはいるが、まだ電源は落ちていない。


「丸々三日か」

「ああ」


 表示された日付を見て、僕は思う。

 家族は心配しているだろう。

 着信履歴はほぼ、僕の家族からだ。

 外泊していたことにするとして、警察組織に連絡が行ってないかは心配ではある。

 なるべく面倒ごとは避けたい。


 と、そこで僕の頭は、どこか奇妙な感覚を覚えた。

 まるで、他人の感情が混ざりこんできたかのような、思考能力の違和感。


「敵だ。脳波信号は感知できるか?」


 男はそう言って、僕の反応をジッと観察していた。

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