共生のイブ
秋田川緑
第1話 迫る危機
2015年。9月。
この日、僕は
久しぶりの訪問である。
大火田町に最後に来てから、実に7年もの歳月が過ぎていて、この神社はちょっとした思い出のある場所だった。
それは一人の少女との、夏の思い出。
僕がこの場所で会っていた、一人の女の子との記憶。
だが、美しいノスタルジーは、目の前で起きている、あまりにも凄惨な現実にぶち壊されてしまった。
地面に落下する重い音。
水気のある、気味の悪い音。
破裂したかのようなパンっと言う音と共に、目の前で命が弾ける。
あまりの突然の出来事に、僕は身動き一つ取れなかった。
「……うッ」
吐き気がした。
生臭さと共に、得体のしれない不気味な空気が場を支配する。
太陽が出ているのにどことなく薄暗く感じたが、これは、理解不能な出来事に直面した僕がパニックになっているからなのだろうか。
「安心しろ、浩介。邪魔者はすでに殺したぞ」
思い出の少女の声を聞き、この殺戮を行ったのが彼女だと言うことに、ようやく気づく。
だが、どう考えても、不可思議だった。
景色を歪ませながら蠢く、色の無い触手。
したたる赤。
「く、くそっ、こんな、なんで……!」
僕は戦慄する。
彼女は、人間じゃなかったのだ。
――――――――――
――その生き物は、ずいぶん古くから、人間社会に溶け込んでいたのだろう。
その種には名前が無い。
誰にも知られていないからだ。
しかし、僕は知っている。
幻想世界の怪物達――古来から伝わる、伝説上の化け物達の中に、その片鱗が残されていた事を。
ヴァンパイア。人狼。サキュパス。
人の姿をした、人を糧とする化け物たち。
もちろん、それは想像上の怪物たちの話で、僕が出会ったこの生き物は違う。
鏡にはちゃんと映るし、月夜の晩に姿は変わらない。
出現するのも、夜だけとは限らない。
何よりも、どんなにその存在が化け物じみていても、地球上に生まれた生物の一種でしかないと、自分で名乗ったのだから。
……そう。
彼女は、そう名乗った。
「何をじろじろと見ている」
声は、人間のものに聞こえた。
先ほどの異様さは鳴りを潜めて、今は人そのものの姿をしている。
黒いロングヘア―に整った顔。これは可愛いと言うよりは奇麗と言った方が正しいだろう。
年齢は13歳か14歳か。
中学校に上がったばかりの少女に見える。
やはり、どこからどう見ても人間に見えた。
しかし、彼女が人間でないことは、つい今、僕がこの目で確認している。
思えば、おかしいことだった。
彼女に始めて会った時、僕は当然のことながら彼女のことを人間だと思っていたし、少しだけ年上のお姉さんとすら思っていた。
しかし、これは2008年の夏。僕が10歳の時のことである。
けれど、今日。2015年の秋。
再会した彼女は、成長した形跡も、老いの痕跡もまるで無い。
僕だけが17歳に成長していて、彼女の外見は何も変わっていない。
「答えろよ、浩介。私の何を見ていたと聞いている」
「なんで、そんなに何も変わってないんだ? 僕だけ成長してるみたいで、その……」
「そのことか。人間はいつもどうでも良いことにこだわるな。だが、今はそれは重要ではない」
風が吹いて周囲の木々のざわめき、それから彼女の匂いを伝えてきた。
体温を感じさせるような肌の匂い。
その中に少しだけ潮のような生臭みがあって、それでも花やフルーツのような甘い、みだらな香りが漂う。
「……」
何も、声が出なかった。
何を考えればいいのか。何を言えばいいのか。
「浩介。先ほども言ったが、お前にはやって欲しいことがある。私と体質が適合していて、適齢期に達したお前にな」
彼女は目を細めて笑うと、ワンピースのスカートのすその両端を指で持ち上げて、下着を見せてきた。
人が履くのと変わらない、白い下着。
「私を抱け。お前の体液が欲しい」
……今、僕に、複数の危険が迫っている。
まず、貞操の危機が一つ。
「で、出来ないよ」
「興奮しているのは顔を見ればわかるぞ。何故、私を拒む? 私の体は人間のオスの、情欲を刺激するように出来ている」
気づけば接近し、囁くようにして出された、誘う声。
戸惑いながら周りを見渡したけれど、今いる場所は住宅地から外れた、山のふもとにある、神社の跡。
でも、僕は彼女を抱かない。出来ない。と言うより、したくない。
「早くしろ。時間はあまり無い」
瞬間、空気が変わった。
風が運んできたざわめきの音に、不愉快な感覚が混ざり始めている。
僕に危害を加えようとしている『悪意』がやって来ようとしているのだ。
彼女はフンと鼻を鳴らすと、言った。
「浩介、体液の補給は後回しだ。下がっていろ。敵が来る」
先ほど言った複数の危険の、もう一つは生命の危機だ。
僕は今、命を狙われている。
――――――――――
なぜ、僕だったのだろうか。
考えることはできても、答えが出ることはない。
彼女に言わせてみれば「たまたま僕の体液が、彼女が必要とする性質を持った体液だった」と言う、それだけのことなのだろうけれど、でも、どうしても納得することは出来なかった。
この物語は、人に最も近く、それでいて人から最も遠い生物である彼女と、それから彼女に目をつけられた僕の、戦いの物語だ。
彼女の人とは違う価値観と、それから人として生きていたいと願う僕の想いをすれ違わせ、いつか分かり合えると信じて、そうして共に生きた物語である。
……いずれ語ることになるとは思うのだけれど、最初に伝えておこうと思う。
7年前、彼女に始めて会った年、僕は彼女に一つの呪いをかけられていた。
それも、成長した暁には彼女の生きる糧――体液の供給源となるために、枷としてかけられた物である。
それは、彼女が僕のファーストキスの相手であると言うこと。
それから同時に、恋愛事を禁忌すると言ったような、深い暗示をかけられていた。
僕は人に恋をすると言う事が出来なくなっていたばかりか、恋愛対象となる人間に、反射的に嫌悪感を感じるようにされてしまっていたのだ。
そのせいで、7年もの間、ずいぶん生きづらい目にもあった気がするし、逆に様々な問題を敏感に感じ取って、避けて歩けた気もする。
しかし、その暗示が、再会した彼女によって解かれた今、僕は一人の女の子のことを考えていた。
この物語の登場人物の中で最も重要な人間で、たった今、僕に呪いをかけていた彼女に体液を供給することを拒否する要因ともなった、一人の女の子のことだ。
まずは、その女の子とのエピソードを語ろうと思う。
それは2015年、7月の中ごろ。
7年越しに人ならざる彼女と再会した今日の、およそ二か月前のことである。
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