第40話 涙
入り口は薄暗かった。
外からの光だけが光源で、間もなく陽が沈もうとしている。
体が震えるのを感じたが、これは10月の気温の低さだけではなさそうだ。
「浩介、私達から決して離れるな。奴らはいないようだが、何があるか分からないからな」
「何かあるって、例えば?」
「トラップだ」
僕は黙って頷くと、イブの後ろを歩いた。
エントランスと言うには少し狭い場所を通り、通路を進む。
「浩介、動くな」
僕は止まる。
……トラップ。
目を凝らせば、それが張り巡らされた細い糸であるのが分かる。
ソラが糸に触れないよう、慎重に通路奥へと進んだ。
「解除した」
「なるほど。糸に触れると矢を飛ばす装置のようだな」
あれは、ボウガンだろうか。
ゲームで見た知識でしか知らないけれど、地面に転がしたソラを見てそう思った。
「ここは奴らの巣だ。トラップが一つとは限らん。浩介、気をつけろ。」
僕は再び頷いて答える。
「可能性としては、入り口から一番遠い部屋を使っている可能性が高い。上から探すぞ」
ソラが言い、なるほど、と思う。
「大事なものは、一番奥にってことか」
「そうだ」
イブが言い、僕らは上階へと向かう。
エレベーターは動いていない。
階段を上りながら、以前、イブに聞いた話を思い出す。
『生きたまま奴らの作った繭の中で、数日かけてどろどろに溶かされる。溶けた肉は、新しく生まれる奴らの子供の身体として変異する。奴らはそう言った増え方をする生物なんだ』
奴らの巣。
繁殖のための棲み処。
人のいない場所でひっそりと増え続け、人に混ざって適合した人間を探す、敵。
――その時、頭に別の思考が生まれた。
疑問だ。
繁殖、と言う点について。
……イブたちの種族はどう繁殖するのだろうか。
イブたちだって生き物である以上、どこかで生まれたはずだ。
あいつらの種の増え方は言葉では聞いているけども、じゃあ、イブたちは、どうやって増えるのだろうか。
「なぁ、イブ。ちょっと思ったんだけど、イブはどこでどうやって生まれたんだ?」
イブは歩きながら答える。
「知ったことか。生きるのに必要も無いし、考えたことも無い」
本当に知らないのか、それとも教えてくれないのか。
いや、今する話じゃないかと思い直し、僕らは目的地を目指す。
途中、ソラが糸のトラップを解除し、僕らはようやく最上階に到着した。
一番奥の部屋。
扉に鍵はかかっていないようだった。
ソラが、遠慮の無い様子でドアを開ける。
中は閑散としていた。
埃の貯まった巨大なベット。
ガラス張りの風呂。
どれも見るのが初めてのものばかりだったけれど、際立って異質な物体が部屋の中央に立っていた。
それ以外の全てを脇役にしてしまうほどの存在感。
周囲には、すでに孵化した物の残骸と思われる物が散らばり、その中央に灰色の、巨大な丸みを帯びた卵のような、物体。
繭玉だ。
「洋二」
ソラが繭に近づく。
だがその瞬間。
繭が、音を立てて割れ、バリバリと崩壊していった。
あっという間だった。
中から現れたのは、僕よりも年下の、人間の形をした生き物が複数体。
「浩介、伏せろ!」
イブが右手で僕の腕を掴む。
だが、その瞬間、僕は見た。
人の形をした物、それは、洋二さんだった。
髪も染めてない。年齢もずっと若い。
数も多い。
それでも、その繭から出てきた者は、全て洋二さんの顔をしていた。
「何をしている、ソラ!」
イブが叫ぶ。
だが、ソラは動かない。
「ソラ!」
イブの声だけがむなしく響いた。
そして、一瞬が、まるでスローモーションのように緩やかに流れて、止まる。
声を上げることも出来ない。
一瞬の後、ソラの肉体を、見えない腕が刺し貫く。
それが僕にも見えたのは、ソラの背中から生えて青い血に濡れたそれらの輪郭が僕の目にも映ったと言う、酷い現実からだった。
もはや間違えようもない。
洋二さんの顔をしているそれらは、繭から生まれたばかりの敵だ。
ソラが、思い出したかのように叫び、反撃を始める。
洋二さんの顔をした敵が、ソラの見えない手で潰されていく。
一匹、また一匹と。
途中、敵の反撃を喰らい、ぐらり、ぐらりと、身体を振らせて、それでもソラは最後の一匹に止めを刺した。
……終わりだ。
呆然としている僕に、イブが声をかけ来た。
「浩介、無事か?」
「僕は無事だけど、ソラが」
「ちっ、馬鹿なことを」
イブがソラに向かって言う。
「なぜ、何もしなかった? すぐに殺すことも出来たはずだ。なぜだ?」
「洋二の、顔をしていた。匂いも。頭では分かっていた。だが、私には、出来なかったよ。すぐには」
イブは言葉を失っていた。
彼女が何を考えているのか、何を感じているのか、それが分からないのが酷くもどかしい。
「イブ、一体、何が。洋二さんは?」
「予想はしていたが、手遅れだったのだ」
「手遅れ?」
段々と理解が追いついてくる。
敵が言っていた『手遅れ』と言う言葉。
あれはイブに対してではなく、すでに繭の中で変異しているので手遅れだとソラに言っていたのか。
「なんでだよ。洋二さん。3時にさらわれたって、まだ2時間しか経ってないじゃないか。こんなに早く変わるのか? どうして?」
「普通なら早くても3日はかかるさ。ソラは3時と言っていたが、恐らく3日前の3時にでも捕まったんだろう。捕まってからのどれだけ経ったかを聞くべきだったな。ソラ、よくも騙してくれたな」
視線の先。
青く、血まみれになっているソラが、震える手で敵の死体をかき集め、抱いていた。
「くそ! その脳波の信号はなんだ! なぜ我々を意味の無い戦いに巻き込んだのだ! 答えろ!」
イブが、激しくソラに言葉を叩きつける。
抑揚の無い声で、ソラがぼつりぽつりと答えていく。
「手遅れだと、分かっていても、洋二を取り戻したかった。奴らに渡したままでは、いたくなかったのだ。こんな、別の生物になる前に、なんとかしたくて、私は」
まるで、何かを確かめるようだった。
続けたソラの声が、段々と力を失っていく。
「イブ。私を人間のようだと笑え。だが、お前にもすぐに、分かるはず、だ。私を変えたのは、お前なのだからな。今の私は、未来のお前だ」
ソラが青い血を口から垂らして、咳き込む。
「ふざけるな! 意味が、分からんぞ! おい! 死ぬな!」
叫んだイブはその場に膝を着いた。
僕は、今、信じられないものを見ている。
ソラが、泣いていた。
イブも。
人間のように、涙を流していたのだ。
しかし、その時、繭の方で何かが動いて、僕らはそれに気を取られる。
「生き残りか? ちっ、こいつら、生まれたばかりでは脳波を発しないらしいな。何匹だろうと、今度は私が殺す」
イブが身構えて、視線をそこへ向けている。
だが、そこには、洋二さんの顔をしていた奴らとは、まるで違う生物がゆっくりと這い出る様子があった。
出てきたそれは、身体を持ち上げ、立ち上がり、こちらをジッと見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます