第9話 種
彼女の存在を感じながら、家へ向かう。
危機感は晴れない。
いつ、彼女が先ほどの言葉を撤回して、僕を力づくでどこかへ連れ込んでしまうのではと、気が気でなかった。
僕は彼女を信用していないし、さらにやっかいなことには、僕の身体は苦しいくらいに彼女の誘いに反応している。
……心を強く持たなければいけない。
今後も彼女は誘惑してくるだろう。
彼女の言う通り、それが生き延びるための手段だとしても、それでも僕はどうしても彼女の誘いを受けたくなかった。
枷から解き放たれた僕の心は、真っ直ぐに1人の女の子のことを見つめている。
人間の女の子だ。
僕はその感情を大事にしたい。
例え、彼女を抱かなければ死んでしまうのだとしても。
――――――――――
襲ってきた敵の死体はすぐに腐臭を放ち、生物の死骸とは思えない何かの残骸へと姿を変えていた。
近くに寄って見てみても、まるで朽ちた材木のように見える。
「こう言う生物だ。人を襲う時も、実に注意深く追い詰めて行う。だから人間にも察知されるのは稀だ」
彼女は冷徹な目でそう言い放った。
僕らがいた神社は、頭のつぶれた犬の死体と、敵の残骸。
そして、全て幻想だった、彼女と僕の思い出――子供のころの夏の思い出を、そこに残した。
僕達は家へ向かって歩く。
そして僕は、彼女が人間で無いということを、改めて認識することとなった。
「どうした、浩介?」
「……いや、あまりにも自然で。どう言ったら良いのか考えてるところ」
事実、何と言ったら良いのだろうか。
彼女は家に近づくまで僕と一緒に歩き、家に入る直前に姿を消した。
どこかに行ってしまったのかと思った。
でも、家に入った僕が見たのは、何食わぬ顔で家族とテーブルを囲んでいる彼女だったのだ。
「あら浩介。遅かったのね」
「いや、その子」
母の態度も普通である。
彼女は細めた目で僕を見ると、言った。
「どうしたの浩介君? お腹すいたでしょ? 私もまだだから、一緒に食べましょう?」
彼女は今までに見せたことの無いほどの上品さでそう言うと、それに似つかわしい、やわらかな声で笑う。
そうしてそのまま僕らはご飯を食べ、今は同じ部屋――大火田町にいる間に割り当てられた、僕の部屋に座っていた。
「何か聞きたそうだな?」
僕はため息をつく。
「簡単なことじゃ驚かないつもりだったけど……何で家にいるんだよ。誰も君がいるのに驚かないし、すごく溶け込んでる」
彼女は表情も変えずに、淡々と言った。
「暗示だよ。私の種族の特技だ。私は君の親戚で、君の家に同居している。ここには葬儀のために一緒に来た」
「そんなことも出来るのかよ」
彼女は再び目を細める。
「難しいことでは無い。他の人間に対しても同様のことが出来る。こっそり、私が視界に入っても問題ないんだと認識をさせるだけだ。あとは、私が違和感を感じさせない程度に堂々としてれば良い。そうすればすぐ近くで浩介を守ることが出来るだろう?」
「そんな便利なことが出来るのに、僕には使わなかったのか。暗示って言うなら、例えば、恋人と思わせるとか」
「有効ならとっくに使っている。だが、これはしょせんまやかしだ。私を浩介のつがいのメスだと認識させるように暗示をかけたとしても、関わるうちに無意識下で矛盾が生じる。すぐに破綻するよ。この方法は深く関わりあう人間には無理なんだよ、浩介」
それでもどこか納得できなかった。
「僕が、女の子を好きになれなかったとか、そういうことも出来たじゃないか」
「それだけは特別だ。逆に言うと、特別なことはそれしか出来ない」
彼女は視線を逸らす。
「少し、話をしよう。私の種族のことだ」
何を、と言う隙も無く彼女は話し始めた。
「私の種は、個体にあった体質の人間のオスの体液を摂取して生きている。だが、それとは別に、体を維持するために、水と食物を必要としている。これは普段、人間が食べているものでまかなえる」
確かに彼女は、僕の隣で茶碗によそわれた米を美味しそうに食べていた。
「暗示については先ほど説明したとおりだ。出来ることは大まかに分けて2つ。人間の認識をごまかすだけの簡単なもの。それから、浩介にかけていた、異性に関心を持たせないと言うものだ」
僕の表情は、彼女から見ても暗くなっていたらしい。
「私が生きるために必要だと思ったからかけた。それは謝罪しよう」
『これでお前の気が晴れるなら』とでも言いたそうな、謝罪の意思をまるで感じさせない声だった。
「……もう、良いよ」
今さら怒っても、なんにも変わらない。
「こんなことが出来るなんて、ほんとに人間じゃないんだな」
「まだ信じてなかったのか?」
「違うよ。だけどさ、時々分からなくなるんだ。その、あんまり人間に見えるから」
「おかしなことを言う」
彼女は不思議そうにこちらを見た。
「人間は不思議だ。未だに理解できない。事実を知った今、なぜ見た目にこだわるのか」
「複雑なんだよ。僕だって、自分の感情を全部理解出来てるわけじゃないし」
事実だ。
彼女をどう思っているか、感情が上手く定まらない。
僕に呪いをかけていたのは酷いと思う。
そのせいで、僕は生きていた、貴重な十代の青春は、台無しになったと言っても過言では無いのだ。
でも、彼女がいなければ僕は殺されてしまう。
『我々は共生関係にある。浩介がいなければ私は生きてはいけないし、私がいなければ、浩介は捕食されてしまう。お互いにいなくてはならない存在なのだ』
神社で彼女がそう言った時の声が、頭の中でグルグルと回っていた。
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