第20話 猜疑心

「いや、別に責めてるわけじゃないさ。俺達みたいなのは、出会う確率も、敵対する確率も低いんだそうだ。こうして会えたんだ。仲間だろ? 相談してもいいんだぜ」


 木島さんはおどけた様子で言葉を続ける。

 僕はハンバーガーをテーブルに置くと、重い口で言葉を吐いた。


「洋二さんは、その、あの子とは、したんですか?」

「したさ。俺は死にたくない。それに、生きるためだと聞いたし。それにさ、あいつ、カワイイだろ? 我慢なんて出来ないって」


 僕は混乱した。

 洋二さんの笑みが変化している。

 どこか、そう、下劣な感じに。


「いや、何。普段は生意気だし、人間離れしたものの考え方をしてるけどさ。ベットの上じゃ可愛い奴なんだぜ。良い声で鳴くんだ、あいつ。頼めばなんだってしてくれるし」


 僕は嫌悪感を感じていた。

 耐え難いものだった。

 女の子を性欲処理みたいな目でしか見ていないような、眼。

 顔から血が引いていくほどの醜い感情が、僕の中に生まれていた。


「なんてな」


 洋二さんは急におどけた。


「嘘だよ。ジョークさ。でも、今の反応を見て、浩介君の悩みが分かったよ」

「……ジョークって。なんのためにそんなこと言うんですか?」

「直接ズバッと聞いても、君は何を悩んでるかなんて言わないだろ?」


 それはそうかもしれない。

 なんでイブを抱かないか、なんて聞かれても、僕自身、ここでは何も答えられなかったと思う。

 もし『好きな子がいるから』なんてここで口にして、もしイブ達に聞かれたらと思うと、とてもじゃ無いけれど打ち明けることは出来ない。


 だけど、僕の心は落ち着かないままだった。

 洋二さんは、頭を下げる。


「謝罪するよ。悪かった。全部嘘だからさ」

「いえ、別に、良いです」


 僕はそれしか言えない。


「まぁ、とりあえず、君の悩みは大体分かった。君みたいな年齢の時には、よくあることさ」

「僕の、何がわかるっていうんですか?」

「君は女の子を抱くのが怖いのさ。セックスそのものに嫌悪感がある。汚してしまう気がするんだろ? 相手を、と言うよりも君の心の中にある大事な何かを」


 そうなのだろうか?

 しかし、否定する材料が自分の中に浮かんでこない。

 それでも何かを言わないとと、僕は声量を落として、洋二さんに言った。


「行為そのものをしたくないわけじゃないんです。イブと触れ合ってると、変な感じになるし」

「普通の反応だよ。あの子達はそういう生き物らしいし。でも、それでもしないと言うことは、何か理由があるんだろ?」


 言って良いのだろうか。

 いや、言うべきだと思う。

 自分でもこの先、どうしたら良いのか分からない。

 洋二さんなら答えを出してくれるかも知れない。

 あまり大きな声だとイブに聞かれるかもしれないけど、小声なら……


「あの、実は」


 と、そこまで言いかけた時だった。


「あれ? お兄ちゃん? ……と、上谷さん?」


 声の方向に、顔の向きを変える。

 そこにはトレーにハンバーガーを載せた、見たことのある女の子がいた。


「おいおい、なんでここにいるんだよ?」


 洋二さんが引きつった笑いを見せる。


「いや、だって、お母さんから叔母さんに届け物があって、その帰りでお腹空いたから」


 声も聞いたことがある。

 以前は嫌悪感に悩まされ、枷を解かれてからは、恋焦がれた奇麗な声。


 ……今は、まだ、君に会いたくなかった。

 カノン。


「ってなんだよ菜緒子なおこ、浩介君と知り合いか?」

「そうなんだけど、なんだか、お兄ちゃんと浩介君の組み合わせが意外すぎて」


 カノンと洋二さんが、親しげに会話を交わしている。


「どういう知り合いだよ」

「大切なお友達」


 ちょっと顔を赤くして、カノンが笑った。

 洋二さんがこちらを向く。


「なんだ。友達なのかよ浩介君」

「あ、はい」


 思考能力がストップしている。

 返事しか出ない。


「お兄ちゃんこそ、上谷さんとどういう知り合い?」

「まぁ、なんだ。ちょっとした仲間って奴さ」


 洋二さんが再び僕に向き直った。


「浩介君、菜緒子は俺の従妹いとこなんだ。意外だったね。もしかすると、どちらにしろ、俺たちはどこかで会ってたのかもな」

「そ、そうかもしれませんね」


 カノンがちょっとイタズラな視線で僕を見て、それから言った。


「あの、そう言えば本当の名前、教えてなかったですよね。改めまして、木島きじま菜緒子なおこ、です」


 カノンの本名だ。

 クラシックのカノンからハンドルネームを付けたとチラリと聞いたことがあったが、KANONカノンNAOKOナオコのアルファベット表記を考えると、本名にも少しかけていたらしい。


 考えてみればその時が本名を聞く絶好の機会だったのに、枷をかけられていた僕は聞かなかった。

 そして今、思いがけずに知りたいと願った名前を知って、僕は動揺している。


「よ、よろしく」


 なんとか答えた僕の声は掠れていた。

 好きな女の子と向き合うことが、ここまで恥ずかしいものだったとは思わなかった。


「一緒に食べてもいいですか?」


 カノンの申し出に、洋二さんがすかさず答える。


「菜緒子、ちょっと男同士の話してるんだ。悪いんだけど、1人で食ってくれ」


 カノンは僕達二人を見て、それからにこっと笑った。


「そう、ですよね。ごめんなさい。邪魔しちゃ悪いですね。じゃあ、すいません」

「悪いな」


 洋二さんが手を振った。

 カノンが僕達から離れて、遠くに座る。


「さて、不味いことになったな」


 洋二さんの表情がシリアスそのものになっていた。

 同じく遠くの席だけれど、カノンとは違う席に座っていたイブ達が、僕らの方を見ている。


「場所、変えますか?」

「そうだな。先に出よう。……あいつらは後から追ってくるだろう。行こうか」


 僕と洋二さんはハンバーガーを持って立ち上がった。


「しかし、なんとなく分かったよ。菜緒子だったんだな理由は」


 多分、今。僕の顔はとんでもなく、赤い。


「まぁ、何だ。がんばれ、なんてありきたりの言葉も言いたくもなるけど、上手く割り切れ。割り切らないと、死ぬぞ」


 洋二さんの言葉に、僕は何も返せなかった。


 そして、何よりも不味いのは、カノンの存在が、イブにばれてしまったことだろう。

 僕らが店を出てから、カノンに関して言及されてしまったのだ。

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