Ⅸ-3 哀悼の町
廃材を運ぶ荷車が、灰混じりの土埃を舞い上げて過ぎた。すでに片付いて更地となった土地では、供えられた花の傍らで、大工が腕を奮っていた。杭を打ち込む槌の音が、葬送のリズムを響かせる。
久しぶりに踏み入れた東守口支部の元官舎通りには、悲しみを秘めた活気が溢れていた。
マサキは、残った区画を辿って自分にあてがわれていた官舎の前に立った。そこから一つ進み、隣の建物だった場所へ一本、三軒向こうへ一本、それぞれ花を供えた。そっと、敬礼を捧げる。その右手には、幾重にも包帯が巻かれていた。
あの日、何が起きたのかマサキに知らせたのは、収容された蔵場町の診療所へ見舞いにきてくれたノリナだった。
「容態はどう?」
と、隣の寝台へ間違って話しかけてしまうほどに、眼鏡を失った現在のノリナは、捜査官の仕事ができなかった。
「診断書が出たんだって? せっかく近衛に抜擢されたのに、残念ね」
心底慰める様子から、近衛の実態を知らない彼女を責めることは出来なかった。
「もう大変よ。地郷中の時計塔が一度に爆破されたんだから。狙われたのは全部地郷公安部関係。お陰で、どの支部も人手不足よ」
ため息をつく童顔には、深い疲労が見て取れた。テゥアータ人や、その形質を持つ民、地球人種だが親テゥアータ派といった人々が、地郷全域で一斉蜂起したのだった。
通信システムの要になりつつあった時計塔を爆破し、官舎や庁舎を襲撃した。地聖町の本部や「方舟」も例外ではなく、アリ一匹とて這いいる隙間もなかった「方舟」の外塀に亀裂が入ったほどに、凄まじい攻撃力だった。
「四年前に処刑されたセオの呪いだって話よ」
科学を追求しながら呪いを真顔で信じる様子が可笑しく、笑いを漏らすと怒られた。
「火の中で彼の姿を見た、ていう民が何人もいるんだから」
東守口支部の安否を聞くと、途端に彼女は顔を曇らせた。
「庁舎は、また半壊状態よ。それよりも酷いのは、訓練施設の銃器庫で」
嫌な予感がした。続きを聞くのが怖かったが、まだそのときは満足に体が動かせず、耳をふさげなかった。
「最初に外壁近くで爆発が起きて。対処に走った支部長とコウが、亡くなったの」
長年親友として過ごしたコウとの最期の思い出が、手錠をかけられたことになるとは。マサキは絶句した。
「それから、あなたの官舎の前辺りで、チハヤ班長の遺体が見つかった。彼がまさか、私たちを裏切っていたなんて、信じられない」
今回の蜂起は統制が取れていた。チハヤは現在、暴動の指揮者として最も有力視されていた。
「マサキだって、その手の傷、チハヤ班長から受けたものなんでしょ? 官舎の燃え後から、彼のナイフが発見されたの。彼がマサキの官舎から出てきたって、目撃証言もあるわ」
マサキの右手の甲は、親指の付け根から小指の付け根まで深く斬られていた。幸い骨は繋がっているが、筋に損傷が残ると診断された。日常生活では支障がない程度に快復できそうだが、射撃手としては勤まらない。
時間だからと席を立とうとするノリナに、ひとつ質問した。彼女は問いの意味を捉えきれない顔で、曖昧に笑いながら首を傾げた。
「マサキを救助したとき? 他に誰かいたとか、聞いてないよ」
礼を言って、寝台に横たわったままノリナを見送った。戸口にたどり着くまでに彼女は、三回寝台や椅子にぶつかった。
(どこに行ったんだろう)
意識が途絶えるまで、確かにハジメはマサキの側にいた。何かに反応して顔をあげ、じっと金色の目でどこかを見つめていた。
新聞に書かれる程度の情報は、入院中も耳に入った。しかし、テゥアータの形質を持つ幼子の行方は知れないまま、今日に至った。
マサキは官舎の通りの端まで歩いた。支部長が使っていた官舎の前でまた花を供え、敬礼を捧げた。
東守口支部庁舎は、隣接する訓練施設の銃器庫爆発を受けた部分が大破し、事務室の壁に穴が開いていた。
そのため、資料庫の棚を移動させ、机と椅子を二組ようやく置けるだけのスペースが確保してあった。
「ようやく来たか」
机を挟んで座るミツキ支部長代理の涼やかな目の下には、濃い隈があった。
「で、貴様のその手はどうなのだ」
マサキの右手には、分厚く包帯が巻かれていた。無言で見下ろしていると、ミツキは指先でペンを弄びながら書類を睨んだ。
「念願かなって昇進を果たしたのに、惜しかったな。しかし、その方が貴様に合っている」
嫌味を言われても響かないまま、マサキは彼が机の脇に積んだ山から取り出す書類を見ていた。
「今回の一斉蜂起で地郷公安部員も多く倒れた。どの部署も人材が足りない。貴様の意志次第では、事務官として残留願いを出してやってもいい。書類作製ぐらい出来るだろう」
「いえ」
ミツキの冷たい視線を浴び、マサキは項垂れた。
「すみません」
「射撃手以外では、残留する意味はない、か」
違うと言いたかったが、ミツキは書類とペンをマサキへ差し出した。
「傷病を理由とした免職通知だ。
渡されたペンも満足に持てなかった。四苦八苦して記した文字は、支部長に心を改めろと言われて署名したものより酷かった。
「このような、普段と別物の署名でいいなら、代筆でよかったのに」
弱々しく苦笑すると、ミツキは苦虫を噛み締めたように顔を歪めた。
「そうはいかないのが、我々の仕事だ」
文字と呼べない線の塊の下へ、ミツキが署名をした。
「これで貴様はもう、部外者だ。とはいえ、先ほど言ったように、部員にも死傷者が多い。立て直すまでにネコだろうとサルだろうと手伝ってもらえるなら大歓迎だ。医者を紹介する。治療に専念しろ」
項垂れ続けるマサキの前で、ミツキはペンを走らせた。途中で一度考えるように音が途切れた。マサキが顔を上げる前にペンが置かれる。
二つ折りにして渡されたメモをマサキはそのままポケットにねじ込んだ。
上着の布を通し、指先に固いものが触れた。
「返却します」
ベルトごと拳銃をはずし、机に置いた。長年携えていた重みがなくなると、腰が変に寂しく物足りない。
ミツキの眉が片方、上がった。
「これから地郷は荒れるだろう。丸腰で切り抜けるつもりか」
答えず、マサキは静かに敬礼して立ち去った。
切り抜けるつもりなど、毛頭なかった。あらゆるものを失い、生きる目的も気力もない。あれだけ切望した、安全で正式な離職を果たして得た自由の身を持て余す。
しばらく庁舎の玄関先に佇み、通りを行き交う人々を見やった。
襲撃は一部、市街地にも飛び火した。流れ弾に当たり死傷した民もいる。村でも、重税に喘ぐ民に襲われた領主がいると聞いた。
にも関わらず、目の前では変わらぬ日常が繰り広げられていた。
野菜を担いで食堂を回る行商人。木材を積んだ荷車を曳く大工。ふざけて駆け出した子供が転び、泣きついてくるのを笑いながら宥める親。
否応なくハジメを思い出し、マサキはようやく踏み出した。
(探そう)
金色の髪と目を持つ幼子の手掛かりを。
翻った上着の裾で、ミツキから受け取ったメモが乾いた音をたてた。
捨ててしまおうと手に取ったが、思い直して折り目を開いた。
ぼんやりと流し見た住所の違和感に気が付き、再度食い入るように文字を確認した。そして、末尾に付け加えられた一文。
『貴様は、貴様の道を行け』
庁舎を振り返った。厳重に扉を閉ざした庁舎は、部外者となったマサキを寄せ付けない冷たさを湛えて立ちはだかっていた。
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