第六章 それぞれの道

Ⅵー1 契約成立

 振り下ろした手刀が相手の急所へ入る。確かな手ごたえに、サクラは息をついた。息が白く月明かりに浮かぶ。

 崩れ落ちる男の意識が失われているのを素早く見て取り、目を白黒、いや、白青させている父子の手をとる。


「こっち」


 つい先ほど刃物を突きつけられていた父子は、一拍遅れてついてきた。


 充分に悪漢から離れた路地裏で、サクラは頭部に巻いていた布を緩める。こもっていた熱気が放出され、冷気が気持ちよく襟元に入ってきた。

顔を隠したほうがいいと判断しての布だが、息苦しくなることもある。

巻き方を工夫すべきかと考えながら深呼吸をした。癖のある栗毛がひと房、胸元へ垂れた。


「もう大丈夫。でも、出来るだけ早く地郷を離れた方がいいですよ」


 父親は感謝を述べながらも、訝しげにサクラの顔を見つめた。


「どうして、地球人種なのに私たちを助けてくれたのですか?」

「私がそうしたいから」


 微笑むと、まだ恐怖が残る子供の頭を優しく撫でた。



 ふた月前、セオに覚せい剤常習犯の手から助けてもらった後、しばらく東守口町の医師レンの厄介になった。そこで休養しながら、今自分に出来ることを考えた結果、サクラは地聖町を中心に、テゥアータの人々へ帰国を促すことにした。


 たったひとりの青二才が地郷政府を動かすことはできない。せめて、強化されるテゥアータ人迫害からひとりでも多くの人を救うには、地郷の地から離れてもらうのが最良だ。


 長く地郷に住んでいる人々からは、煙たがられた。中には、テゥアータ人でありながら地郷で生まれ育った人もいる。今は厳しい情勢だが、いずれ良くなると信じている人もいる。


 無理強いはできない。


 しかし、地球人種は憎悪の刃を翳し、この父子のようなテゥアータ人を追い詰めている。故国で何かしらの「力」があるとされるテゥアータ人も、地郷では無力な民にすぎない。金のやりとりと交渉術が武器である商人たちが多いので、まっすぐに突きつけられる暴力に抵抗する術も持たない。

そのような人々が助かるには、逃げるしかなかった。



 夜が更けていた。

 上着の襟を掻き合わせる。


さっきの子供はずいぶんと幼かった。夜の町を出歩く年頃ではない。サクラは眉根を寄せた。


 数日前、地郷政府は町役場へ通達を出した。テゥアータ人へ不動産を売買または賃貸することを禁じる法だ。それによって、町にテゥアータ人の浮浪者が急増した。

 おそらく父子も、住まいを追い出され、寒空の下で少しでも暖かい場所を求めて彷徨っていたに違いない。


 荷車の轍が残る通りで空を振り返る。『方舟』は、ふたつの人種が渦巻く恐怖と不安に襲われているのを、素知らぬ顔で見下ろしていた。


(止める力があれば)


 何度か潜入を試みたが、ミカドの居城でもある『方舟』の警備は厳しい。出入りの業者を装っても、用事は全て入り口で終了させられてしまう。まるで機械のように表情のない、目の死んだ職員たちが、クモの一匹も入れないよう見張っている。


 木枯らしが、乾いた砂を巻き上げて過ぎた。


(今夜はもう帰ろう)


 汗が冷えてきた。


 町内に借りている家へ戻ろうとして、サクラは耳をすませた。三件先の角から、男が二人走り出る。


「くそ、どっちだ」

「あれだけ目立つ頭だ。俺はこっちを見る」

「分かった」


 ひそやかに言葉を交わし、ひとりは通りを横切り、もうひとりは先ほど来た道を戻るよう走りこんでいった。


 何者かが追われている。


 サクラはきびすを返した。水樽の縁へ足をかけると、身軽に屋根へ上がる。


(どこだろう)


 息を殺し、耳へ神経を集中させる。先ほどの男たちの足音、寒空の下で喧嘩をするネコの声。


 数軒先の軒下に、ちらりと明るい色が見えた。くぐもった咳が聞こえる。

直感で、サクラはそちらの建物の屋根へ飛び移った。追う男の足音も近付いている。


 路地裏へ音もなく飛び降りた。軒下で体を丸め咳き込んでいた人物が顔を上げる。


(セオさん)


 サクラは頭に巻いていた布を解いた。広げて、傍らですくんでいるセオへ被せると強く念じる。


(声を出さないで)


 布の下で頷く動きを感じると、手早くセオの足から長靴ちょうかを脱がせ、その上へ横たわらせて隠した。そして地面の砂を掴んで自分の顔に擦りつけ、手や服も汚す。さらに髪へすり込んだところで、追手の足音がはっきりと迫った。


 堪えきれないセオの咳に合わせ、サクラも激しく咳き込んだ。昨今町人の命を奪っている流感を患っている浮浪者を演じる。


 追手がギョッと足を止めた。サクラは敢えて顔を上げる。気だるそうに、空ろな表情を作って男を見上げた。


「う、うつすんじゃねぇ」


 男は口と鼻を手で覆い、息を止めて走り去った。

 角の向こうから「危ねぇ、流感浮浪者だ」と声がする。サクラは尚も用心しながら身を起こした。


「あ、ありがとう」


 弱々しく言いながら、セオの咳は止まらない。

だいぶ逃げ回ったのだろう。隣に横たわっている間も、彼の呼吸と鼓動は激しかった。

サクラは持っていた水筒を差し出した。水で喉をうるおすと、ようやくセオは深い息を吐いた。


「もう、だめかと思った」


 言葉に反し、金色の髪に縁取られた笑顔は能天気に見える。サクラは苦笑した。


 家の影に沈んだ長靴を探り、セオは左右を確認して足を通しながら聞いてくる。


「どうして長靴を?」

「足元で覚えられている可能性もあるから。この布じゃ、隠し切れないもの」


 幼い日に父から教わったことが、実生活にこんなにも役立つと、サクラも数ヶ月前まで思ってみなかった。

追跡技術、追尾をまく方法、格闘技から火器の扱い。

教えれば乾いた苔が水を吸い取るように覚える娘を面白がって、チハヤは様々な技術や知恵を授けた。


それを、裏切り者として行使している。複雑な思いが胸に沈殿していた。


 感嘆のため息をつきながら、セオが長靴の紐を結びなおすのを見守った。


「それにしても、不覚ね。あなたなら、彼らの殺意にいち早く気が付いて身を隠せそうだけど」

「さすがに私でも、眠っている間は無防備だよ。どこか、安全な路地裏があったら紹介してくれないか」

「この前の家は?」

「家主から、出て行って欲しいと請われた」


 サクラは眉間に皺を寄せた。


「ひどい」

「幼い息子を人質にとられ脅されたなら、仕方ないだろう」


 セオは、空に上る自らの白い息を見上げて、天気の話をするようにサラリと流す。過激なミカド崇拝者たちは、テゥアータ人ばかりでなく、彼らを虐げようとしない地球人種をも暴力で脅しつつあった。


 このまま地球人種同士の争いも激化すれば、地郷は自滅する。災難を避けるため永く宇宙を旅し、ようやく大地に根付いたのは、滅びるためではないはずだ。


 サクラは髪に指を通した。先ほど浮浪者らしく見えるようすり込んだ砂が、ぱらぱらと落ちる。


ふと、その手を止めた。


「ミカドもだけど、テゥアータの王もどうしたいのかしら。何故、自国の民を救おうとしないのかしら」


 セオが役人リーディであることを意識しての問いだった。が、彼は異色の目でサクラを見つめ、沈黙した。問いの意味を探られているように感じた。


「このままでは、地郷は自滅する。まさか、テゥアータ王は、それを見越して今を見逃しているの?」

「それは、無い」

「じゃあ、どうして助けようとしないの。それだけの力があるんじゃないの。あなたが地道に帰国の手助けをしているのでは、間に合わない」

「聡いね、君は」


 異国の役人は苦笑する。彼の本国での地位をサクラは知らないが、その顔に、内情に詳しいことは見て取れた。


「助けないのではない。助けられないんだ」

「何故」

「いろいろ、あるんだ。こちらにも」


 さらに質問を浴びせようとしたが、セオは立ち上がり、再度礼を言うとサクラを無視して立ち去ろうとした。


「待ちなさい。どこへ行くつもり」


 慌てて腕をつかむと、彼は激痛が走ったように顔を顰めた。


「手を離して。思念が強すぎる」


 慌てて手を開くと、セオは額の汗を拭った。顔色が悪くなっている。


「ごめんなさい」

「いや、私のミスだ。君の思念の深みまで探ろうとしていたところだったから」


 素直に白状し、彼は襟元を握って深く息を繰り返す。


「とりあえず、どこか風を防げるところを探すよ。町の方が便利なんだが、諦めて村にでも行くかな」


 のんびりとした口調で、荷物から古びた帽子を取り出すと深く被る。月明かりに煌く髪と瞳が隠された。


「村こそ、滅多に人の出入りがないんだから目立つわよ」

「そうか。なら、やはり町中がいいか」


 路地を見て、どちらに行こうか、探検をする子供を彷彿させる仕草で立てた指を左右に揺らす。

なんでもない風に装う姿に憤りすら覚え、サクラは心を決めた。


「うちに来ない?」


 驚くセオに、ニヤリと笑いかける。


「匿ってあげる。必要なら、さっきみたいな奴らから守ってあげるわ。そのかわりあなたは、人の考えを読む力で、信用できる味方を探して」

「テゥアータ国王の遣わした役人を配下に置くのか、君は」


 セオが苦笑した。構わずサクラは続けた。


「この先に、私が借りてる家があるわ。寝台は一つしかないから、寝具だけでも調達しないといけないけど」

「いや、床で構わない。それより、いいのか? 私は男だぞ」

「もちろん、手を出したら承知しないわ。指一本触れたって、叩きのめして地郷公安部に突き出すから」


 拳を振り上げて見せると、セオも笑いながら両手を挙げた。


「決して、サクラさんに手出しはいたしません」

「契約成立ね」


 こちら向きに掲げられたセオの掌に、ハイタッチをする。その手を、セオは慌てて避ける。


「触れるなと言ったのは、君だろう」


 真面目なのかふざけているのか。サクラにセオの本心は読めなかった。


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