Ⅵ-2 夜桜の迷い

 ミツキ班長の指先が机を打つ。


 規則正しい音が、迫り来る足音のように聞こえ始めて、マサキはじわりと汗を感じた。うららかな春の夜にも関わらず、室内の張り詰めた静寂が次第に深まっているからだろう。


 背中を床と並行になるまで頭を下げる姿勢が、辛くなってきた。それでもマサキに顔を上げる許可は下らない。

 ミツキの声は、あくまでも凪いだ水面のごとく静かだった。


「貴様、入部して三年目になるな?」

「はい」

「今までの書類に、こんな凡ミスはなかったと思うが。しかも、これで何回目だ」

「自分の記憶では、四回目かと」


 机を叩く音が止んだ。マサキは、頭頂部に意識を集中させ、相手の反応を窺う。

短いため息が聞こえた。


「貴様ほどの腕があれば、ジュンヤ射撃手より先に本部へ上がることも可能だったろうに」


 修正しろと、書類を突き返された。

 再度頭を下げると、マサキはようやく腰を伸ばした。


 書類の内容は、よくある事件だった。


食堂で酔客の二人、青年と中年男性が、些細な事で諍いになった。口論が高じて殴りあいとなり、周囲の客を巻き込んで騒動となった。

 どちらが先に手を出したのか、どちらが悪かったのか、判別が出来ない。地郷の法に照らし合わせれば、喧嘩両成敗の判決が下る事例だ。


普通なら。


 裁判課でも、一度は両者注意勧告のみで咎めなし、と判決が出る流れになった。が、いざ関係者が地郷公安部に呼び出された途端、判決は覆された。

一方的に中年男性へ暴力を振るったとされた青年が、多額の慰謝料を支払うように命じられた。


 理由はひとつ。青年の髪が、藍色だったからだ。


 裁判課は、書類に関係者の形質が書かれていなかったために無駄な審議をさせられたとして、支部長、班長を通じて書類作製者のマサキへ苦情を伝えてきた。


 同様の判決が、昨今増えている。

地球人種同士なら軽い罰で済まされるところを、テゥアータの形質を持っているだけで重罪となる。書類作製の時点で関係者の形質を記載することが不文律となり、ほとんどの捜査官が従っていた。


 マサキはその書類に、青年について中年男性同様「地球人種」と記載していた。書類を確認したミツキも支部長も、当時は気に留めていなかった。

 地球人種であれば、髪と瞳の色は黒から茶色と相場が決まっている。暗黙の了解で、そのような形質の者だと無意識に判断したのだろう。


 間違ってはいない。

青年は、家系上れっきとした地球人種だった。両親と祖父母のいずれにもテゥアータ人はいなかった。


 ランプの光に惹かれた羽虫が、炎に焼かれて落ちる。

地郷で精製された油の臭いが、マサキの胃をさらに重くした。シズクの提案で、香草を乾燥させ砕いたものを油に混ぜているので多少油臭さが緩和されているものの、去年まで使用していたテゥアータ産の油の芳しさに及ばない。


 乱暴に修正し、再提出する。重く頷くミツキの前で、深々と頭を下げた。


「すみませんでした」


 頭を下げる先に、被疑者の姿が浮かんでいた。マサキは心中で唇を噛む。


(公正な判決にならなくて、本当に申し訳ありません)


 羽虫がまた、炎に焼かれて落ちた。


 席に戻ると、ノリナとサラがランプの一つを手に立ち上がる。


「じゃあ、私たちは先に仮眠取らせていただきます」


 まるで、マサキを避けるようなよそよそしさだ。気のせいではなく、取り残されたアオイも立ち上がった。


「あ、俺、巡回行ってきます」


 ミツキの返答を聞くより先に、サラの席に置かれた小型通信機を片手に扉を開いた。

 ランプの煤けた硝子カバー越しの灯りが、揺らめく。


「うわぁ」


 アオイの叫びが上がった。

マサキは反射的に、指示を仰ぐため合わせたくない顔を振り返った。

 彼は先ほどのことなど無かったかのように、いつも通り頷く。

済んだことは引きずらない上司の対応に、マサキは感服した。同時に、煮え切らない思いが未だに渦巻いている自分を恥じた。


 アオイは、玄関先でオロオロと歩き回っていた。ノリナとサラも、仮眠室から駆けてくる。


 月が明るい夜だった。アオイが指差す方に、小さなものが丸まっている。

近付いて、マサキも息をのんだ。ノリナが小さく悲鳴をあげ、サラが心痛も露に顔を歪めた。


「地郷内で、今月に入って六件目になるわね。まだ上旬だというのに」


 赤子の遺体だった。


 生まれてきた子にテゥアータの形質を認めると、こうして捨てていく親が後を絶たない。町の路地裏で、広場で、そして地郷公安支部庁舎や町役場の前で、身元の分からない赤子が見つかっていた。


 マサキはそっと赤子へ手を合わせると、サラへ声をかけた。


「仮眠の前に、処理班の要請をお願いします」

「分かった」


 幼子を育てている最中のサラは、思うところが多いのだろう。他の人から隠れるように、目元を拭っていた。


 後は、地郷公安本部の末端組織である処理班に任せるしかなかった。


 今年の春、地郷公安部は異例の中途採用を行った。不審に思っていたところ、増員されたのは主に処理班であったことが判明し、マサキは背筋を冷やした。

 処理班とは、獄中で死亡した人や町で発見された遺体を回収、しかるべき処理を行う組織だった。そればかりか、拷問や処刑も行う。他の部署と異なり、試験など無い。テゥアータとの交易が衰退し、商売が成り立たず路頭に迷った人々が応募に殺到したと、後で知った。


(地郷は、これから先どうなるんだろう)


 暗澹たる気持ちで、マサキはアオイが取り落とした通信機を拾った。


「やっぱマサキ、巡回お願いしていい? 俺、発見者だし、立ち会わないといけないし」


 遺体発見に慄き、夜の町を一人見回ることに怖気づいたようだ。マサキは頷き、そのまま通信機をベルトへ提げた。



 月明かりは、白い路へ建物の影をくっきりと描いていた。


質の悪い地郷産の灯火油も日を追うごとに高値になり、節約のため、日が暮れても灯りをつけない家が増えた。そのため町全体が白と黒に塗り分けられていた。

 時折、足元を小さな影が走る。ネズミだろう。キィキィと鳴き声も聞こえた。


 ふと、風に乗って煙の臭いがした。人々の談笑も聞こえる。

不思議に思って角を曲がると、炎の色が家の壁を染めていた。さらに奥へ進むと、建物の間にポカリと開いた空き地で焚き火を囲む人々がいた。空き地の隅には、一本の桜が花開いていた。


「オオトリ退治のあんちゃんじゃねぇか」


 聞き覚えのあるだみ声がした。東守口庁舎の建て直しを請け負っていた大工だった。


「どうした、不景気な顔して。公安さんに景気も不景気も無かろうに」


 勧められた酒は、さすがに勤務中を理由に断った。数人の男女が焚き火で小動物の肉を焼き、酒を飲んでいる。


「お元気そうで」


 マサキが大工の隣に腰を下ろすと、彼は無精髭に囲まれた口を歪めた。


「大工は失業したけどな。なんせ、住民が減ってるんだ。解体屋に鞍替えしたお陰で、どうにか生活できてるさ。薪にも困らないしな」

「その肉は?」

「町外れに住んでいる友人にもらった。ここみたいに建物を引き倒した空き地で畑を始めたら、作物を食い荒らされたってな。罠にかかったのを分けてくれたよ」


 内心マサキは舌を巻いた。

村はいうまでもなく、町の人々もテゥアータとの交易が廃れるにつれて苦しい生活を余儀なくされている。それでも、工夫して楽しむ彼らが頼もしかった。

相槌を打つと、元大工は酒の入った器、それも木材を自ら削って作った即席の作品らしいものを掲げて片目を瞑って見せた。


「丁度桜も見頃だし、憂さ晴らしに飲んでいるのさ」


 日に焼けた髭面に促され、マサキも彼の目線を追って木を見上げた。


「本当に、綺麗ですね」


 変わり果てた大地へ『方舟』で運んだ遺伝子を樹木へと復活させるため、地球人種の祖はあらゆる知識と技術をつぎ込んだと伝えられている。人類の復活と同等の熱意をもって蘇った花は、毎年春になると、赤みを帯びた葉の間から可憐な花を咲かせ、地球人種の意識の底に受け継がれた郷愁を誘った。


 しかしマサキの胸中では、別の懐かしさが溢れていた。目の奥が熱くなる。


「三区画向こうの木は、見事なもんだよ。あんちゃん、時間があったら寄ってみな」


 焚き火を囲む面々に、仕事柄、火の始末をしっかりするよう申し伝えて勧めに応じた。


 なるほど、二区画も行くと、建物の屋根越しに見事な枝が見られた。

 どの枝にも、たわわに咲いている。青白い光を背後から受け、薄い花弁が藍色の光を放っているようだ。

そよ風に重たげな枝が揺さぶられ、指の先ほどの花弁がはらりと零れ落ちた。宙に差し出したマサキの指の間をすり抜け、次の風に吹かれて闇へ消えていった。


 月の光に浮かぶ滑らかな肌の感触が手の内に蘇り、そして花弁のように指の間から消えていく。


『マサキには幸せになってほしい』


 花と同じ名を持つ女性の声を今思い出しても胸を締め付けられた。

 嘘でも、憎いから別れるのだと言って欲しかった。何かと演技力があるくせに、サクラは肝心なところで本音しか言わなかった。


(俺にはもう、何もできない)


 地郷公安部を抜けることが出来ない以上、マサキがテゥアータの形質を持つ人々を助けるには、事件が公正に裁かれるよう書類を作成するしか考えつけなかった。しかし、次からも行動を押し通せば確実に罰せられる。


 無力さが、ひしひしと足元から這い上がってきた。

このまま、テゥアータ人への虐待を間接的に進めていかなければならないと思うと、いたたまれない。かといって、命の危険を冒してまで現在の身分から逃れられるほどに、心も決まらなかった。


 そうやって、くすぶり続ける熾きを抱えながら職務に流されるのかと、暗い気持ちで花へと足を引きずった。


 花の手前で路は緩やかに曲がっていた。煙突の影が落ち、横道と交わる一所ひとところに、黒々と闇が溜まっている。

 ぼんやりと花に気をとられ歩いていたため、横からの気配を感じたときすでに、肩へ衝撃を受けた。バランスを崩し、多々良を踏んだ。


 骨ばった力強い手が腕を引いてくれたお陰で、どうにか転げずに踏みとどまれた。


「すまなかった。怪我は」


 問うてくる声が、月明かりを受けたマサキの顔を認めて途切れた。


「巡回中なら、周囲にもっと気を配れ」


 眉間の皺を深くし、私服姿のチハヤがたちまち渋面を作る。声の温度もグッと下がり、マサキは慌てて頭を下げた。


 そのままチハヤは角を曲がって、マサキが後にした酒盛りの焚き火の反対へ歩み去っていこうとした。


 マサキの足元に、紙の包みが落ちていた。落下の衝撃で緩んだ口から、中のものが覗いていた。

 チハヤの後ろ姿はすでに闇に紛れようとしている。マサキは慌てて駆けた。


「チハヤさん」


 思わず昔のように呼びかけ、しまった、と足を止める。

振り返ったチハヤも怒りの形相だったが、マサキの手元にある包みに気がつくと、うろたえたように上着のポケットを確認した。


「落とされましたよ」


 差し出す際、月明かりに白々と包みの表が照らされた。薬の袋だった。書かれた名前を読んでしまい、マサキは目を伏せた。


「奥様は、いかがですか」


 薬を受け取りながら、チハヤはかすかに頷いた。


「南部の療養所で穏やかに過ごしている。体の病のように、はっきりとした快復は見られないが、仕方がない」


 かつて、実母のマリが地郷公安本部に謀反の疑いをかけられ、チハヤが率先して拷問を担当した。それがきっかけで近所の風当たりが冷たくなり、気さくで友人が多かった彼の妻は心を病んだ。

笑顔を失い、家は荒れ、幼いサクラが懸命に食べるものを作っても受け付けなくなったと、ヤマトから聞いたことがあった。

 チハヤが苦笑した。


「彼女の心は今、私を忘れ去ることで幸福に満たされている。こうして薬を持っていっても、医者の使いとしか思っていない」


 心が痛んだ。

かける言葉もなくうなだれるマサキへ、包みをポケットへ仕舞いなおしたチハヤが向き直った。


「ご両親のこと、何もしてやれず、すまなかった」

「いえ」


 幼いとき、互いに笑いあっていた父ヤマトとチハヤの姿を思い出し、マサキの鼻の奥に痛みが走る。涙腺が緩んでばかりなのを誤魔化しながら、マサキは抱えていた謎の答えをチハヤに求めた。


「それにしても私は、本当に彼らの子供なのでしょうか」


 言葉は部下として丁寧に、しかし踏み込んだ質問を投げてみた。

 チハヤは一瞬、その切れ長の目を見開いたが、しばらく後に眉尻を下げた。


「住民登録票を見たのか」

「はい」

「ならば、ヤマト夫妻が君の生まれる前に、二度乳飲み子を亡くしたのも知っているだろう。彼らは、三度目に授かった命もまたすぐに失うことを恐れ、生まれても役場に届け出ずに君を育てた。一種の願掛けだな」


 その後、届け出ることを忘れて十数年過ぎたことを、肩をすくめながら続けられ、今度はマサキが苦笑した。


「私が町の助産師を紹介し、生まれ落ちた直後の君を見ている」


 チハヤの大きな筋ばった手が、マサキの肩に載せられた。


「それに、君はこんなにも父君に似ている。間違いなかろう」

「似て、ますか」


 適当で何を考えているか捉えどころのなかった父に似ていると言われ、喜ぶべきか、嘆くべきか分からなかった。しかし、久しぶりにチハヤの優しい眼差しを受け、マサキは鼻の頭を擦った。


「ありがとうございます」


 チハヤの手が離れた。立ち去る気配に、マサキは急いで付け足した。


「遺品を、時埜の尾根に埋めました。あの、桜の大木を墓標替わりにしています」

「参らせてもらうよ」


 振り向きはせず、軽く手を上げたチハヤが一度足を止めた。


「周りを良く見て歩くんだぞ、マサキくん」


 マサキは春の夜に溶け込んでいく後ろ姿を見守った。


 今の彼の背中に、地郷公安東守口支部班長の威厳はなかった。ただ一人の、孤独な男の哀愁が、春霞のように漂っていた。

 マサキは息をついた。

夫であることを忘れられても尚、献身的に尽くす彼が、実母の拷問担当に進み出たのか。


 その問いは、もしかしたら死の国へ渡るその時まで口に出来ない予感がした。

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