Ⅵ-3 真夏の立てこもり事件

 蒸し暑い夜も、明ける頃にようやく心地よくなった。

遅れて訪れた睡魔に身を任せ、夏の朝番の疲れを癒すマサキは、けたたましいサイレンにたたき起こされた。


 何事かと重たい瞼を引き上げ扉を開くと、隣の官舎の扉が勢いよく開いた。


「まーくん、緊急招集」


 すでに制服を着込んだ非番のコウが、通りの先に建つ時計塔を指差した。


 緊急時にそこからサイレンが鳴らされることは、入部時に教えられていたが、実際聞くのは初めてだ。


 眠気が吹き飛んだ。コウに頷き返し、身支度にかかる。

その耳が、そこにいるはずのない人の声を聞いた。


「コウ、忘れ物」


 押さえ気味だが、澄んでいる。完全に閉じていなかった扉の隙間を細く保って除き見ると、コウの後にシズクの姿が見えた。


 咄嗟に後ろ手で扉を閉め、原因不明の動悸に襲われた。ふたりの足音が遠ざかってようやく、椅子の背にかかった制服に袖を通せた。


(そういう、ことか)


 通信士のシズクが二班から一斑へ異動してから、コウと連れ立って通勤しているのは知っていた。

テゥアータ人を祖父に持つシズクの瞳は灰青色で、目立たないが、昨今のテゥアータ形質を持つ人への暴行を考えると、コウの同伴は心強いものだっただろう。

 その二人の間に、愛情が芽生えてもなんら不思議ではない。


(それならそうと、言ってくれてもいいのに)


 つい数日前も、同期三人で食事に行ったが、ふたりとも素振りにも出さなかった。ひとり取り残された寂しさを感じながらも、コウとシズクなら似合いのカップルだと考える。


 夏服の上にホルスターのベルトを締め、拳銃を確認して、マサキも彼らの後を追った。


 支部庁舎には、すでに多くの支部員が駆けつけていた。

町外から通っているサラやミツキ、アオイは不在だった。そのほか、夜番の三班は、先月老齢のため退職した女性の代わりに赴任した若い男性通信士以外の顔が見られない。


「二番街にて、テゥアータ人十数名が立てこもっている。そのうち数名が武器を携帯している様子だ。争った地球人種が一名、腕を斬られた。すでに三班は通信士以外現場で対峙しているが、全員応援体勢につけ」


 支部長の檄が飛ぶ。

三班の通信士はシズクに代わるよう言われ、席を立った。侮蔑の眼差しが注がれるのをマサキも認めたが、シズクは青ざめながらも手際よく業務を始める。


「現場から、ライフルの使用許可を求めています」


 シズクの報告に、支部長が頷いた。マサキとコウへ、鍵が渡される。火器保管庫のものだ。


「三丁のみ、使用を許可する」

「了解」


 本部から送られた時は、いつに使うのかと疑問しか浮かばなかったライフルの使用に、マサキは緊張した。

 狩猟用ライフルより銃身をやや短くして扱いやすくなっているが、手にかかる重みは拳銃の比ではない。改良に携わったのは、新しく設置された本部火器開発部に異動したジュンヤだと聞いている。


「行こう」


 コウの鳶色の瞳にも、いつもにはない緊迫感が浮かんでいた。



 現場付近はすでに立ち入り禁止となり、付近の住民は避難していた。


 テゥアータ人が立てこもっているのは、閉店した大店の蔵だった。テゥアータ人であった店の主は数ヶ月前に従業員を連れて帰国しており、以来空き家となっていた。


 施錠されていなかったのか、それとも鍵を壊したか。ともかく、そうとうな人数のテゥアータ人たちが立てこもっているようだ。正確な数は、夜明け前の光の乏しさに加え、窓の少ない蔵の内部が暗すぎて判明していない。


 現場を仕切っているのは、三班の班長だった。


「射撃手はそれぞれ、入り口が狙える場所へ散れ。それ以外は正面を固めろ。そこ以外に逃げ口がないのは確認済みだ」


 場所を決めるため辺りの地図を確認するマサキに、三班の射撃手が駆け寄った。昨年秋に入部したばかりの、アカザという名の華奢な女性だ。しかし、的に向かったときの冷徹とも言える集中力と腕は確かで、部内の評価は高い。


「配置を、どのようにしましょうか」


 ライフルを抱える彼女の頬が、紅色に染まっている。マサキは、地図を示した。


「コウとアカザは、蔵の前の通りについて横から警戒してくれ。俺は正面に立つ」

「けどマサキ、正面はかなり固められている。他の部員の間から狙うのは難しくないか?」


 首を傾げるコウに、マサキはニヤリと笑ってライフルを背負った。


「高低差をつければいい」


 そして、近くの屋敷の塀へ手をかけた。石積みを漆喰で固めた塀の表面は凹凸があり、岩登りに慣れているマサキは長靴ちょうかであっても容易に登れた。


「相変わらずのサルっぷりだな」


 呆れ半分のコウの側で、アカザが目を丸くした。

ふたりに軽く合図すると、マサキは塀から、住民が避難した後の屋敷の板葺き屋根へ飛び移った。


 屋根に腹ばいになり、ライフルを固定する。

右手の空が白んできた。


 ここからなら、蔵の様子もよく見えた。

入り口に大柄な男性が二名、武器を手に地郷公安部員たちと睨みあっていた。薄明かりに目をこらすと、武器はナイフとフライパンであることが分かった。蔵の奥に身を寄せているのは、女性や子供が多い。


 三班のメンバーは、テゥアータ人を嫌う人が多い。

ライフル使用要請を聞いた時点で、彼らの報告がやや大袈裟な気がした。実際に現場を見ても、「長物」を持ち出すほどのことかと疑問が湧いた。

新しく支給されたライフルを、ただ使ってみたいだけではないかとの懸念が広がった。


 マサキは機械的にライフルの準備を整え、ため息を押し殺して入り口へ標準を定めた。携帯を義務付けられた小型通信機のイヤホンを左耳に差し入れる。


 事態は完全に膠着状態となっていた。三班の班長が、テゥアータ人を説得する声が聞こえる。


「大人しく身柄を引き渡しなさい。さもなければ、そこにいる全員を巻き込むこととなる」


 しかし、テゥアータの人々は一声も上げず、微動だにしない。じりじりと、夏の朝日が近付くばかりだった。


 焦らされ、耐え切れなくなったのは、班長のほうだった。


『射撃手、入り口の二人。抵抗する者全員、射殺対象』


 イヤホンを通じ、通信士の指示が入った。


 嫌悪感から、鳩尾が痛んだ。引き金へ指を添えながら、奥歯を噛み締める。

 その場に、制服を着て立たねばならない己の身が、どうしようもなくもどかしかった。


 班長の手が上がる。


「待ってください」


 静寂を打ち壊した声にすがるように、悲鳴に似た懇願が続いた。


 蔵が作る濃い影からあわいの光に出てきた人物の外套に、幾本もの手がしがみつく。影へ引き戻そうとするその手をなだめるよう解き、班長の正面に立つ。被っていたフードを取り払うと、その辺りがほのかに明るくなった。

彼の髪の色のせいだ。


「地郷駐在役人を務めているセオ=グラントです」


 跪き、淡い金の髪に覆われた頭を下げる姿に、さすがの班長も硬直して、顔より上に手を上げきらなかった。


「我らが一堂に集まり、そのことによりあなた方を不安にさせてしまったことをお詫びします」


 慇懃に言葉を紡ぐセオに、マサキは様々な思いで全身から噴出す汗に濡れていた。


(危険すぎる。どうしてわざわざ出てきて。せめてフードでその髪を隠さないと)


 動揺で、銃口が定まらない。

そもそも、セオを撃ちたくなかった。尊敬している彼に銃口を向けるなどできない。

マサキは目を閉じた。通信機のイヤホンが、左耳の中で膨張し、意識を圧迫していく錯覚に襲われる。何も命じてくれるなと願いながら、イヤホンを引き抜きたい衝動と戦った。


「な、なら、大人しく奴の身柄を引き渡せ。奴のせいで、同胞が傷つけられたのだ」


 班長の声が震えている。


対して、セオの金色の瞳は、真っ直ぐに彼を見据えていた。


「刃物を振りかざしてしまったのは、確かに彼の非です。しかし、彼もまた、家族を、言われなき暴言と暴力の恐怖から救わんとした結果であることを、どうか了承いただきたい」


 一部の支部員に動揺が走った。ノリナが、側にいる支部員へ話しかけているのが見えた。

 ざわめきに刺激され、蔵を守るよう立っていた二人が身じろぎした。しかし、セオが軽く手で制した。さらに、下がるよう合図する。


(ん?)


 マサキは目をこすった。

 蔵の奥、明るくなっていく外の光の影響でさらに深みを増す闇の中で、何かが揺らいだ気がした。よく見ようと目を凝らすが、かえって輪郭が霞み、歪んで焦点が合わない。


(寝不足、かな。それとも、視力が下がったか)


 射撃手として、視力の低下は職務に関わる。試しに、朝日を受けて煌き始めた遠くの木々の枝葉へ視線を転じれば、それらは今まで通りくっきりと見れた。


 再び蔵の内部に目を凝らし、マサキはさらに不審に思った。


(減ってないか?)


 暗がりにうっすら見えていた人の数が、明らかに減っていた。

正面以外に出入り口は無いはずだ。屋根に上がった形跡もなければ、地下というものは地郷では一般的ではない。逃げる先は、どこにも無いはずだった。


 気がついているのは、マサキだけのようだ。入り口の正面近くに立つ班長も、セオに意識を奪われて蔵の中に気を配る余裕がみえない。


 さっきまでと別の、じっとりと冷たい汗が湧き出した。


(何が、起こっているんだ)


 一瞬、セオと視線が合った気がした。

彼の頬が、わずかに緩んだ。屋根の間から差し込む暁の悪戯かもしれなかったが、マサキは、セオがこちらの思念を読み取ったと確信した。


(とにかく、逃げてください)


 強く、思う。


 セオが、わずかに足へ体重をかけた。

 班長の手が動く。

 マサキの耳元を、何かが風を切って飛んだ。それは対峙するセオと班長の間に着地し、炸裂した。


「煙幕だ」


 誰かが叫んだ。


 刺激のある煙がたちまち辺りに立ちこめた。続いて数回、炸裂音が続き、煙が濃くなる。


 屋根の上にも煙が上がってきた。咳き込みながら、袖を引き伸ばし、鼻と口を覆った。しかし、冬服ならともかく、通気性に優れた夏服の袖は薄く、十分な効果が望めない。


 視界が閉ざされ、下手に動くこともできず、マサキは風が煙を吹きさらってくれることを祈った。が、今朝は夜更けから無風状態で、煙はひしめき合う建物の間に腰を据える気配をみせていた。


 爆薬に、香辛料の類を混ぜ込んであったのだろう。目も開けていられない。

うずくまって少しでも煙を吸い込まないよう努めていると、すぐ側の空気が揺らいだ。

 最低限細く目を開け、息をとめて上げた顔へ、柔らかなものが押し当てられた。わずかに、細い指と長い髪が見えた。


(サクラ)


 追うために踏み出した足が、板葺きの上で滑る。かろうじて踏みとどまったが、ハンカチと思しき布を残した影との間はすでに、分厚い煙に阻まれていた。


「ひどいな、こりゃ」


 ようやく煙が薄らぎ、三々五々集まった部員たちは互いの煤けた姿に苦笑した。


 後輩射撃手のアカザが、ひとり顔が従来の色を保っているマサキのハンカチを見て感嘆する。


「さすがマサキさんです。常に準備を怠らない姿勢、見習います」


 ペコリと頭を下げられた。くすぐったさを堪え、手の内にハンカチを隠すマサキの背中を、コウがニヤニヤしながら叩いた。



 蔵の中は、もぬけの殻だった。周辺の警備にあたっていた部員に聞いても、集団逃走を見た者はいない。


「二十人近くが居たはずだが」


 捜査官たちが首をかしげ、あらゆる逃走経路を探してみたが、いずれも徒労に終わった。


 蔵に立てこもっていたはずのテゥアータ人たちは、夏日に照らされた水溜りのように、跡形もなく消え去っていた。

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