Ⅵ-4 帰国命令
遠くからの呼びかけが聞こえた。
セオは辺りを見回す。市街地にもかかわらず、最近では治安の悪化を恐れたテゥアータ人たちの帰国が相次いでいるため空き家が目立つ。
セオは、はびこる雑草が秋の花を咲かせる一軒に目を留めた。扉が細く開いたままになっている。
空き家であることを確認して入り、扉を閉めた。荷物から、本職である魔導師の外套を取り出し、纏う。片膝をついたところで意識をテゥアータの城へ集中させた。
壁の木目を透かして、はるか彼方の王都におわすガルディア王の姿が浮かび上がる。数ヶ月前の交信に比べ、また一段とやつれた様子に、セオは密かに眉を潜めた。
『
思念の張りも弱い。
「いかがなされましたか」
無礼を承知で問うと、王は深いため息をついた。艶を失った髭を撫でつけ、隈に縁取られた目でセオを見下ろす。
『チサトから逃れた民から聞いた。そちらの情勢は、厳しくなっておるようだな』
「はい」
これまでの交信でも伝えてきたが、実際に地球人種に襲われ命からがら逃れた民からの声は、王の心に強く響いたのだろう。
しかし、王は髭を撫で続け、豪勢なマントの下にあってもはっきり分かるほどに肩を落とした。
『我が力が及ばぬために、そなたにも苦労をかける。これまで通り、出来るだけ多くの民を説得し、帰国を促してもらいたい。私がチサトへ働きかえる力は、今はない』
テゥアータ史上最弱といわれるガルディア王の力は、積極的に地郷内の同胞を救うことができない。分かっていても、もどかしい。そのような状況を導いたのが弟子であることが、さらにセオを苦しめた。
「申し訳ありません」
額を床へこすり付けるセオに、王は軽く手を差し伸べた。
『よい。そもそも、私の力の弱さ故だ。界も、緩んでおるそうだな』
「所々にほつれがみられるそうです。界の綻びは吸引力を伴う
『警備の飛空族を増やしてはいるが。チサトを覆う界は広い。まだ足らないのだな』
「しかし、警備の
続く沈黙に、セオは嫌な予感がした。背筋が寒くなる。王の思念を通じて、弟子アルファの憎悪が伝わってきた。
「そちらで、何が」
王の顔には、ひたすら己の力不足を嘆く悲しみしか浮かばない。
『魔導師長の具合が思わしくない。次長や大臣も力添えしておるが、あれももう年だからの』
加齢のみが不調の原因と思えなかった。アルファが影で呪術をかけている可能性も捨てきれない。
テゥアータの王城でセオの留守を守る弟子は、ひとつの肉体に二つの魂を宿していた。そのうちのひとつ、アルファと名乗る魂は、王を始めとした周囲の全てを憎んでいる。地郷のミカドをも排し、『方舟』すら密かに掌中に収めていた。
王に不安を伝えるが、彼は実年齢より多い皺に包まれた目をしょぼつかせるばかりだった。
『かもしれぬ。そのためにも、先ほど大臣たちとも話をして、チサト
セオのこめかみに冷たい汗が流れた。
今までに見てきた人々の顔が浮かんだ。
命からがら逃れ、セオのもとへたどり着いた顔はどれも、恐怖に染まっていた。飢え、苦しんだ末に路地へ転がる同胞の遺体も、幾度も目にした。見せしめのため、営んでいた商店の塀に張りつけにされた商人の無残な姿も。
自分が帰任すれば、唯一残された希望への路が閉ざされてしまう。
握り締めた拳が、砂埃でざらついた。荒くなる呼吸の下から、セオは声を絞り出した。
「お断りします」
『何だと』
「いかに王の勅命であろうと、私は未だ恐怖と戦いながら助けを求める人々の思念を振り切って、己のみ安全な帰国を果たすわけには参りません」
『しかし、あやつを止められるのも、そなただけなのだぞ』
潜めた王の声が、鋭い刃となってセオの胸に刺さった。
アルファの出現は何故か、セオによって抑制される。
セオが地郷に留まれば、アルファはテゥアータ王城で力を振るい続け、ガルディア王を破滅へ追い込むだろう。三歳になられた幼い王女の身も危険にさらされる。
そうなれば、新たな王が見出されるまで国は無防備になり、さらに力を得るであろうアルファによって滅ぼされる可能性が高かった。
セオは意を決して顔を上げた。勅命を受けなければどのような処罰が下るか、考える余裕もなかった。
「お許しください。せめて、期限を延ばしてください。すぐに帰国が叶わない者にも、北に開いているといわれる国への門の存在を、伝えたいのです」
自分でも不思議だった。上に立つ者に反抗した経験は、今までの人生で一度も思い当たらない。堪えきれない思いがセオを内側から突き動かしていた。
思念が結ぶ像が揺らいだ。ガルディア王の髭の合間から、深いため息がもれ出た。
決められた回数とリズムで扉を叩く。ややあって鍵が回り、警戒するよう細く開いた隙間へ、セオは体を滑り込ませた。夜になって冷たさを増した風が、唸りながら流れ込んだ。
「何かあった?」
迎え入れたサクラが、顔を覗き込んできた。
彼女は顔色の変化に敏感だ。セオは誤魔化す努力を最初から捨て、弱く頷いた。しかし、すぐには答えず、外套を壁にかける。
サクラはそれ以上問いただそうとせず、鍋の蓋を開けた。
「食べる?」
ほわりと湯気が立ち上る。首を縦に振ると、煮物かスープか分からないものが椀に注がれた。
いただきます、と匙に載るものは、ぶつ切りの野菜たちだ。切り方も味も、お世辞にもうまいと言えない。しかし、温かさと共に、サクラのセオへの気遣いが、疲れた体と心の隅々まで行き渡っていく。
黙々と匙を動かすセオと机を挟み、サクラは編み棒を手にした。
夏に再会したアヤメに教えてもらった編み物は、裁縫より彼女の性に合っていたらしい。小動物を捕らえる網なら編んだことがあるから、暑い季節に始めれば寒くなる頃にマフラーくらい仕上がるだろうと、有言実行にこぎつけていた。
編み棒から下がる不ぞろいな編地は、すでに長くなり、後は目を綴じるだけになっていた。
たどたどしく編み棒を操るサクラから、音にならない鼻歌が伝わってくる。
(楽しそうだな)
セオは、目にかかるようになった金色の髪を透かして彼女を盗み見た。
家では力を抑えている。それでも、表情に表れる以上の感情は伝わった。
セオの脳裏に、そよ風に揺れる淡い花が見えた。注意を向けると、影ほど薄かった像が、たちまち手が届くところに実在しているかのように鮮やかになる。サクラの心象風景だ。
優しい明るさの中で花弁を震わせる小さな花たち。まるで内緒話をしてクスクス笑いあっているように、時折眩しい光を零す。
静寂と温かさが溢れる光景に、ふと横切る小鳥の影。
セオは現実に引き戻された。
「大丈夫?」
額に触れた冷たい指先に、咄嗟に身を引いた。
匙が床で固い音をたてた。サクラの心配に満ちた茶色の瞳が、すぐ目の前にあった。
「ここのところ忙しそうだったから、疲れた? 今年も流感が出ているし、レンさんに診てもらったほうがいいかな」
そのまま、レンが患者にするように首筋へ手が延びる。
セオは逃げるように体をよじり、匙を拾った。
「考え事しててただけだよ」
「何かあった?」
帰宅直後と同じ事を問われ、セオは姿勢を正した。
「帰国命令がでた」
サクラが小さく息を呑んだ。
「いつまでに?」
「半年後。君の花が咲く頃」
王と交渉して延期できたのは、そこまでだった。それ以上は、いかなる理由があっても待てない。万が一のことがあり帰国要請が出たときは、速やかに従わなければならない。
「君は、どうする」
役人としてのセオを大いに助けてくれたサクラだが、彼女自身、地郷のミカドへの謀反行動を起こしていた。
起訴されてはいないが、先行きの分からない身だ。このうえ、テゥアータ人のために働いた数々の武勇伝が明るみに出れば、セオ同様、指名手配されるのが確実だった。
「地球人種は、テゥアータに行けないの?」
いつだったかも問われた。セオは、机の上に組んだ両手を置いた。
「国の方針として受け入れられないわけではない。けれど、あちらでの身元引受人が必要だから、婚姻関係や養子縁組の形が必要となる」
それに、とセオは表情を曇らせた。
「テゥアータの血を引く者でも、地郷で生まれた人の中には、あちらの空気に馴染めない人も出ているらしい。胸を病む人が多い。全員ではないけれど」
この地で、いつ追われるか不安を抱き生活するか。それとも、リスクを承知の上で移住するか。
サクラが選べる道は、いずれかだった。
「セオが居なくなったら、地郷に残った人はどうなるの?」
「帰国する術をなくす。もっとも、私はあちらでも、地郷との関係性が良くなるよう働きかけるつもりだし、そうなれば、テゥアータの人も、形質を持っている人も、前みたいに生活できるようになる」
明るい未来を信じ、帰国の説得に応じず逆境を乗り切ろうと残留を決める人々も少なくない。そのような人のためにも、まずは地郷政府の頑なな態度と、王の力を弱めようと企む動きの抑制が求められた。
ため息混じりにサクラが呟いた。
「でもそれは、何年先になるか、分からないよね」
否定できない。
五十年ほど前、地郷とテゥアータが抗争状態になったときも、関係性が良好になるまで一世代ほどの年月を要したと記録に残っていた。
力のある王の時代でもそうなのだ。内政も定まらぬガルディア王の力量を考えると、情勢は穏やかではない。
私は、とサクラが一度開いた口を閉じ、しばらく手元を見つめた。睫毛を伏せ、セオが座っているのと反対の床へ視線を落とした。
「移住するのも、いいかな、て」
「いいのか。二度と会えなくなるぞ」
誰に、と言わずとも伝わる。サクラは、そうだけど、と頬を膨らませた。
「かといって、ここに居てマサキと添い遂げられるわけでもないし。それに」
言いかけて、唇を引き結んだ。続きを促すセオに、なんでもない、と返し、サクラは手癖で栗色の髪へ指を通した。
彼女の表情から考えていることを推し量ることは出来なかった。
力を使えば難なく知ることが出来る。しかし、セオは敢えてそうしなかった。
「じゃあ、私はまた出かける」
器と匙を洗い、外套を手にするセオにサクラは眉を潜めた。
「こんな遅くに?」
「向こうの都合でね。先に休んでいていい」
魔導師のものではなく、地郷風の上着を羽織るのに合わせ、柔らかなものが首に掛けられた。
「外はもう寒いから」
照れくさそうに巻かれたマフラーに、セオは驚いた。
「私に?」
「お世話になっているお礼」
つい先ほどまで彼女の手で編まれていた毛糸の集合体からは、ほのかに彼女の匂いがした。薬草と食材と火薬の混じった、しかし温かな匂いだ。
礼を言い、セオは鼻先に当たる編地のくすぐったさに小さく笑った。
「まるで」
「なに?」
「いや、娘に初めての手作りの品をもらった父親の気分」
「娘?」
真っ赤に染まったサクラの頬が、プゥと膨れた。
地郷でもテゥアータでも、農村部では八歳にもなれば手編みの技術を教え込まれる。生活のうえで必要だからだ。
「どうせ、私の腕前はちっちゃな子と同等ですよ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
慌てて言い繕うとするが、言えばいうほど泥沼になる予感があった。
セオはグッと堪え、かといって、言うのを止めた本当の気持ちを口にすることも出来ずに息を止めた。
が、サクラは蕾が開くような笑顔に戻り、扉の外を伺った。
「気をつけてね」
いってきます、と言うしか、選択肢は残されていなかった。
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