Ⅴ-3 絡みつく糸

 フタバは、地郷公安本部へ連行され、即日処刑された。


 支部長の短い報告が終わると、東守口支部の事務室に苦い沈黙が満ちた。夜番の一斑は、誰もが戸惑いと落胆の表情で互いに顔を見合わせる。

 深い息を吐き出した後、支部長が再び重い口調で語った。


「明朝、全体召集をかける。新しい二班の班長については、本部からの報告待ちだ。マサキ」


 マサキは、力なく返答した。


「貴様も、二ヶ月の減給処分が下っている。管轄外での職権乱用だ。異論は無いな」


 浮遊する糸くずのように漂っていた思いが、絡み合って渦となり、マサキの胸にわだかまった。


「しかし、フタバ班長については、納得できません」


 堪えきれず、マサキは口を開いた。背後でコウが止めるのが、小さく聞こえる。しかし、構わず、一年前は目を向けることすら恐れていた支部長の強面をまっすぐに見据えた。


「最初に危害を加えられたのは、班長のほうです。なのに、事情を聞こうともせず処刑など」

「仕方あるまい。フタバが感情に任せ、他者に危害を及ぼしたのは、今回が初めてではない」


 支部長の声に遮られ、マサキは唇を噛んだ。しかし、一度あふれ始めた怒りを止める術を持たなかった。


「そうだとしても、事情も聞かず処刑など、あってはならないじゃないですか。どうしてなんです。彼女が」


 ふ、と左頬に圧を感じた。避ける暇はない。とっさに歯を食いしばる。

 嫌な音をたて、支部長の拳がマサキの頬にめり込んだ。そのまま支部員の机へ倒れこむのを、コウに受け止められる。


「口を慎め」


 言い捨てると、支部長は手振りで一斑に業務に戻るよう指示をして、事務室を出て行った。

 口の中に血の味が広がる。昼間の光景が目の前に点滅し、失望と混ざって吐き気となる。


「まーくん」


 そっと呼びかけられたコウの声すら、耳障りだった。


 マサキはコウの腕を振り払い、夜の中へ走りこんでいった。


 単身用官舎のある方角に背を向け、町外れへ走る。新聞社の近くにかかる橋の袂までくると、ようやく速度を落として、切れた口の端を拭った。


 低い欄干に手をつき、水面を覗き込んだ。闇をたたえた水が、とうとうと流れている。


 胸に澱む気持ち悪さを吐き出してしまいたかったが、胃の中の物と違って容易に出てこない。爪を欄干に突き立てるが、ささくれた木の繊維が癒えたばかりの指先へ新たな傷をつけるだけだ。


「マサキ」


 気遣わしげに、コウが側に立っていた。マサキは顔を背けた。


「勤務中だろ」

「許可はとってある」


 コウはそれ以上言わず、マサキと並ぶように欄干へ腰掛けた。星明りを受けて、コウの制服姿だけがぼうっと、何かの目印のように闇に浮かんだ。


「俺が、もっと的確に動けばよかった」


 マサキの呟きに、コウは肯定も否定もせず、ただ僅かに目尻の下がった目で見下ろしてきた。


「いろいろ、納得いかない」


 小首をかしげるコウに、マサキは水面へ目を注いだまま、呟き続ける。


「いくら管轄内で事件が多発しているといっても、巡回にあれだけの人数を割くかな。指笛に応じてくれることを期待はしたけど、対応が速過ぎて」


 言葉にすると、違和感が増した。

 あの時集まった地郷公安部員の肩章は、自分たち支部員の黒ではなく、赤ではなかったか。赤い地に金糸の刺繍。本部員の証。


「仕組まれた事件のような。最初から、こういう結果を出したかったんじゃないか、て」


 逮捕された少年シゲは、商家の息子だった。あの後、蔵場支部で取調べを受け、過去に自分が『仕留めた獲物』について自慢話のように語ったという。

それでも彼に課せられた刑は禁錮二年。未成年であることを考えても、あまりに軽い。


「なのに、支部長も、事態をあんなにあっさり受け入れるなんて」


 最も悔しいのは、その点だ。


支部庁舎襲撃事件への対応を考えると、マサキは支部長が本部へ異議申し立てをするものと期待していた。しかし、マサキを引き取りに来たカイジュは、報告をいつもの無表情で聞くだけだった。


「仕方ないさ。俺たちは所詮、ミカドに雇われた身だよ」


 諦めたようなコウの声が、マサキの中で空ろにこだました。


 おぼろながら、マサキも分かり始めている。テゥアータ人も含む地郷中の人々『みんな』を幸せにできる公安部員になることは、困難だ。


 地郷公安部は、ミカドを中心とした政府を守る組織である。


 そのことを、改めて思い知らされると同時に、胸の中にあった職務への誇りや希望が霧消してしまった。


「俺、やめようかな」

 聞き返すコウに、マサキは彼の肩章を手の甲で軽く叩いた。

「やっぱ、向いてなかったんだ」


 突然手で口をふさがれ、マサキは息をつめた。


「冗談でも、その言葉を口にするな」


 鋭い囁きが耳元へ刺さった。白黒させた目を向けると、コウは油断無く闇夜を警戒しながら、さらにマサキの耳へ口元を近づけた。


「今の幹部内に、辞意を示した部員は謀反人だとみなす連中がいる。奴らに殺されるぞ」


 そんなバカなと、コウの手の中で反論した。しかし、コウは厳しい顔を横に振った。


「勾留中に、耳打ちされた。お陰で、どうにかやり過ごせている。もちろん、そういう連中はごく一部の、極端なミカド崇拝者だ。けれど、ここ数年で着実に勢力を広げている」


 証拠でもあるのかと目で訴えるマサキの意を汲んでかどうか、コウは続けた。


「釈放されてすぐ、支部襲撃で長期休暇とっている射撃手を訪ねた。家族が出て、辞表を提出した数日後変死した、って。班長のほうも、自殺と言われたけど怪しい」


 作り話での脅しか、と疑ったが、コウの濃い茶色の目に浮かぶ恐怖と怒りに、マサキはその話を信じた。嘘の話をして得があるとも思えない。 


 コウは、さらに声を低くした。


「奴らは、権力を利用してあらゆるところに目と耳を持っている。油断はできない。だから、心でどう思っていようと、態度だけは従順な振りをしておけ」


 ぎこちなく頷くと、ようやくコウの手が口から離れた。


「でもそれ、誰が」


 川を見ながら、マサキはそっと訊ねた。コウが静かに首を横に振る。


(言えない、か)


 腫れた頬が、どくどくと痛んだ。首筋に嫌な気配を感じ、そっと闇を透かし見る。

うねる川面を撫でた風が、木の葉を揺らしている。人の姿は見えない。それでも、寒くもないのに肌が粟立つ。


コウの大きな手が肩に載せられた。


「今日は、大変な目に遭ったな。送っていくよ」


 何事もなかったかのようなコウの口調は、物陰に潜む何者かに聞かせるようなわざとらしさがあった。マサキも、心得て頷く。


「悪いな。忙しいのに」

「いいの、いいの」


 他愛のない会話をしながらも鋭く耳をすませてしまう。


追尾される気配はなかったが、マサキは四方八方から見えない細い糸が絡み付いているような不快感をいつまでも拭えなかった。




 新しく東守口支部二班の班長として配属された人物を紹介され、マサキとコウは互いの顔を見合わせた。


「本部から配属されました。ミツキです」


 涼しい一重瞼の目元。短く整えられた、まっすぐな黒髪。

 地球人種帰還五百周年の日に行われた実戦訓練にて、犯人役のジュンヤをマサキ、コウと共に追い詰めた人物だった。


「え、マサキたちと同期? 昇進早くない?」


 興味津々なノリナが、丸眼鏡を押し上げる。無遠慮な彼女の視線を受けても、ミツキ新班長は平然と支部長の傍らに立っていた。


「ミツキ班長の就任に伴い、支部内で配置変換を行う」


 支部長が、シズクと一斑の通信士サラの名をあげた。


「本日より、両名の所属を入れ替える。シズクは一斑へ、サラは二班へ異動だ」


 小気味良い返答をするサラに対し、シズクは返答の後、戸惑ったようにマサキたちを振り返った。

 隣で、コウが小さく手を振る。さらに片目を瞑って見せられ、シズクは不安そうながら、ようやく笑みを浮かべた。


 ざらついた動揺が、支部全体に漂っていた。しかし、マサキも極力平常通り席につき、夜番から引き継いだ書類を手に取った。


 ミツキは、幹部候補生の中でも異例の昇進をしたにも関わらず、驕ることもなく淡々と仕事を始める。


『そんなんで、公安部員やっていけるのか』


 実戦訓練でマサキを嘲った嫌味な雰囲気は片鱗も感じられない。支部長の指示にも低姿勢で従い、同じ年齢と思えないほど落ち着いていた。


 静かに息を吸い、吐いた。視野の右端に入るオレンジ色は、もう無い。けれど、自分はここで、今まで通り、何事もなかったように過ごさなくてはいけない。


 資料のページをめくり、記述の抜けを見つけた。担当者はノリナになっている。

 マサキが声をかけると、一心に書類を読んでいたノリナがハッと顔を上げた。


「これなんですが」


 机を迂回し、資料を彼女の側へ持っていく。

傍に立ち、彼女の眼鏡越しに、目の縁が赤くなっているのに気がつく。思わず視線を反らせた。


「えーっと、なになに? ああ、これ。ちょっと待って、これね」


 彼女らしくない慌てように、胸が締め付けられた。二班の女性三人は、仕事外でも仲が良かった。

ノリナが、苦しくないはずがない。


 資料の空白を埋めるノリナの前で、作業をしながらアオイが「班長」と声をあげた。いつものことながら、アオイは相手の顔を見ずに続ける。


「ここんとこなんですけど」

「なんだ」


 ミツキの返答に、アオイは一瞬驚いた顔を挙げた。即座に思い出したように表情を曇らせ、気を取り直して質問をする。


喪失感を抱いているのは自分だけではない。


修正した資料を受け取る手を、ノリナがコツリと叩く。

席に戻るためアオイの後ろを通るとき、彼に背中をトンと押される。

ささやかな励ましが、辛うじてマサキをこの場に繋ぎ止めていた。

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