Ⅴ-2 こぼれる刃
東守口の管轄を出るのは、久しぶりだった。コウが戻り、ようやく休暇らしく過ごせる。
仮配属先だった
秋の気配が近付き、透明度が増している空の下で、賑やかな商人の声が飛び交う。
雑踏を懐かしく感じている自分が可笑しくなり、ひとりで小さく笑った。
地郷公安部員となり、故郷の村を離れて一年。賑やかな町の空気がすっかり肌に馴染んでしまった。
通りですれ違う子供たちが、肩に提げた荷物にぶつかりそうになる。
慌てて、建物に近い手へ持ち替えた。
「棒魚か。自分で料理するのか?」
マサキは驚いて顔を上げた。耳に馴染んだ声だが、この場で聞くと思ってもみなかった。
その上、視線の先に立つ姿が、あまりに普段と違っている。
フタバは、勤務中は制服のボタンをきっちり首元まで留め、オレンジ色の髪をひっつめに一つ結びにしている。研いだばかりの刃物を連想させる雰囲気だ。
しかし、今、数歩先に立つ彼女は、髪を緩くひとつに編み、肩へ流していた。柔らかな素材のシャツにベスト、スカート。
もし彼女が普通の地球人種と同じ髪と瞳の色を持っていたら、当人だと認める事ができなかっただろう。
「ああ、これ」
マサキは、袋からはみ出す棒状の包みを示した。
河口近くで獲れた魚の頭、内臓と骨を取り除き、塩漬けしたものを十数匹分、棒状にまとめて干し固めた保存食だ。芯まで乾燥し、木材のように固い。丸一日水に浸してから調理するらしい。
「今夜から、実家に寄ろうかと思って。酒の他に土産を迷っていたら、店主から勧められました」
「手間がかかるが、美味いぞ。ま、私は作ろうとも思わないが」
見た目は別人でも、口を開けばいつもの班長だった。
「フタバ班長は?」
「野暮用だ」
しばらく無言で並んで歩いた。ひしめく人々が、彼女の姿を見て、道を開けていく。
フタバが、ポツリとこぼした。
「色が違うだけで、こうも認めてもらえないとは、な」
考えを巡らせて、彼女がテゥアータの形質を持っていることで、父親から娘とさえ認められていない話を思い出す。
「兄夫婦に子供が生まれたと聞いて、祝いを、な」
持っていた袋を掲げて見せられた。中身は、可愛らしい子供用の服のようだ。
彼女は、ハッと息を吐くと、袋を突きつけてきた。
「要るか?」
「へ?」
「要るわけないな」
「え、だって、それ」
今から届けるのではないかと断るマサキに、フタバが奥歯を噛み締める音が、雑踏に紛れることなく耳に届いた。
「玄関先で突き返された」
苦々しく握り締められる拳から、マサキは目を反らせた。
「まったく、あの新聞記者も余計なことをしてくれたよ」
テゥアータ人と地球人種の起源が同じだと告げる文書が撒かれて以来、各地でテゥアータの形質を持つ人々への風当たりが強くなっていた。
地郷政府は、事件に乗じてテゥアータ人を排除する法を強めた。発令された直後に多少の反発があっても、人々は次第に現状に慣れていき、口を閉ざしていく。
テゥアータ人や、地球人種であっても何故かテゥアータの形質を持つフタバのような人々が、次第に生き辛さを感じるようになっていた。
このようなときにかける適切な言葉を、マサキは持ち合わせていなかった。無言で、俯いて歩く。
フタバは、件の袋を肩にかつぎ、わざとらしく空を見上げた。
「サラんとこにでもやるか」
「一斑通信士の?」
「大きめを仕立てさせたから、一番チビっ子なら使えるかもしれん。あの裏道の先だし、丁度いい」
カツリと靴の踵を鳴らし、大股で大通りを反れる後ろ姿を、マサキはしばらく眺めていた。
地郷最大の市場を抱えるこの町に来て、漠然と感じていたことが、明確な輪郭を持ち始めた。
以前、仮配属されていたときと比べ、テゥアータ人の数が激減している。そのため、門を閉ざした大店が目立ち、雑踏から覇気が失われていた。
オレンジ色が道を曲がってからもしばらく、マサキはその場から動かなかった。
フタバが曲がった角の向かいから、二人の少年が小走りに彼女の後をつけていくのが見えていた。
彼らの手元で、細長いものが光を鋭く反射させた。
マサキは、左の脇腹へ手を当てた。
羽織っている上着の内側に、地郷公安部で支給された拳銃がある。コウが
足早に進み、角を曲がる。裏道は右に緩やかなカーブを描き、先を見通せなかった。
右手には、大店の裏塀が続き、左手には店や住居の裏口が並ぶ。人影がなく、資材やゴミが乱雑に積まれている箇所もあった。
不安定な足元に注意を払いながら、可能な限り足早に、無音で進む。聴覚を研ぎ澄ませると、先を行く少年の足音と、囁く息が聞こえた。
突然、鈍い音が響く。
「くそ」
大人になりきらない声が悪態をつき、争いの音が続いた。
マサキはカーブに沿って走りこんだ。
フタバと少年のひとりが組み合っている。
もうひとりの少年は、その辺のゴミから取ってきたのだろう木材を構え、ふたりの様子を窺っていた。子供服が入った袋は踏みにじられ、砂にまみれて地面に落ちていた。
フタバと組み合っている小柄な少年が、逆手に短刀を握っていた。フタバはその手首を掴み、振り下ろされるのを阻止するので精一杯とみられる。普段の彼女なら難なく取り押さえそうなものだが、最初に一撃見舞わされたのだろう。こめかみからは一筋血が流れていた。
マサキは拳銃を抜いた。
「地郷公安部だ。動くな」
狭い道に、声が反響した。どこかからか、窓が開き、直後に閉まる音がした。
木材を握り締めた少年が、ギョッと目をむいた。
「シゲ、やばいよ」
おろおろと、フタバと組み合う少年へ声をかける。しかし、シゲと呼ばれた彼は、ひるむどころか、不敵な笑みを浮かべた。
「構うな。どうせ撃てはしない」
マサキはシゲの表情に、本気の殺意をみた。
おそらく、初犯ではない。
昨今蔵場支部管轄内で、テゥアータ人を狙った犯行が相次いでいる。犯人は未だ捕まっていないが、そのうちの何件かに関わっている人物かもしれない。
フタバの怒気を含んだ目が、マサキを捉えた。
「発砲を許可する。こいつをぶち抜け」
命令を聞いてマサキは、反射的に銃口をシゲの頭部へ向けた。
「おい」
シゲは冷静に、相方に顎をしゃくって見せた。ギクリとした少年が、木材を握り直しマサキへ突進してくる。
その足元へ、マサキは発砲した。
この少年は、シゲの命令を聞いているに過ぎない。足元の地面がえぐられるのを見ただけで、真っ青になって動きを止めた。
問題は、シゲだ。
「何をしている。撃て」
フタバの声は、かなり切迫してきた。
しかし、撃とうにも少年とフタバの距離が近すぎる。震えるナイフの先は、撃たれた衝撃でフタバの喉に突き立てられるだろう。
それに、できることなら発砲したくなかった。他に方法があるなら、犯人といえども傷つけたくない。
マサキは銃を下ろした。ホルスターへ仕舞う。フタバが歯嚙みをした。
それに構わず、ゆっくりと、組み合う二人へ近づいた。
シゲが舌打ちをする。いきなり短刀を持つ手を大きく引いた。
バランスを崩したフタバの体が泳ぐ。
シゲを組み伏せるには、マサキは遠かった。再度フタバへ振り下ろされる短刀を阻止しようと走るが、間に合わない。
仲間の優勢を見て取った少年が勢いづいて、マサキの腰へ飛びついてくる構えを見せた。
マサキはとっさに、手に触れたものを投げた。
カツリと軽い音がして、短刀の切っ先へ棒魚が刺さる。意表をつかれたシゲが動きを鈍らせたところを狙い、フタバが反撃に出た。シゲの手首を掴み、足を払って鮮やかに投げ飛ばす。
マサキもまた、飛び掛ってきた少年の手が腰を捉える直前に片足を引いた。目標を失ってよろめく無防備な背中に、軽く肘を打ち込む。
「いてぇ」
顔から地面に落ちた少年は大袈裟にわめき、鼻を押さえて転げまわった。
フタバは再び掴みかかるシゲの横腹に蹴りを出すが、スカートが絡まり、いつものキレがない。
再度不利な体勢になりかけたところでマサキが追いつき、背後からシゲの手首を捻り上げた。手先から力がぬけ、短刀が地面へ落ちる。それを出来るだけ遠くに蹴ってから、膝裏を小突いて跪かせた。
解放されたフタバは地面に座り込み、頭の傷を押さえ、肩で粗い息を繰り返していた。
忌々しげに舌打ちしたシゲだが、すぐにニヤリと肩越しにマサキを見上げた。
「勤務外で、応戦要請されたわけでもないのに逮捕は出来ないんじゃないの」
「詳しいんだな」
マサキは応じると、片手と膝でシゲを押さえたまま、もう片方の指先を口に当てた。
甲高く、指笛が鳴る。一拍の間をあけて長く三回。地郷公安部が応援要請のときにホイッスルで吹く合図だ。
「聞こえるもんか」
毒づくシゲを無視して、少し間をおいて再び合図を送る。
犯罪件数の増加を受けて、蔵場支部では昼夜問わず巡回を増やしているはずだ。耳をすませば、家並みの向こうから、短く答える笛音が聞こえた。
シゲの顔がひきつる。マサキが再度両手で押さえ込む前に、渾身の力を込めて体を跳ね上げた。
足元をすくわれ、マサキもバランスを崩す。
そのままシゲは、跳ねるように壁沿いに走っていった。
カーブを曲がって彼の後ろ姿が消えた直後に、複数の声が入り乱れた。確保、と声があがる。
取り残された少年は、顔面蒼白でガタガタ震えている。
こちらは自力で逃げ出しそうにもないとみて、マサキはフタバの容態を確認しようと振り返った。
いきなり頬に走った鋭い痛みに、マサキはよろめき、尻から無様に地面へ落ちる。見上げると、怒りで炎の色をたたえたフタバの双眸があった。
「許さん」
フタバの手が、マサキの左脇へ伸びた。阻止する間もなく、ホルスターの銃を抜き取られる。
即座に銃口は少年に向けられた。
「ダメだ」
マサキは叫んだ。
しかし、目を血走らせたフタバは、怒りに支配されている。取り押さえようと立ち上がる前に腹へ蹴りを受け、マサキは再び後方へ倒れた。
「班長、やめてください」
少年はすでに、恐怖の余り白目をむき、泡を噴いていた。それでも、フタバは乱れたオレンジの髪の間から少年を睨みつけ、指へ力を入れた。
「フタバさん」
踏み出そうとした目前で、銃口から火花が散った。
少年が大きく身体をのけぞらせる。
眉間と後頭部からどす黒い液体が噴出す。
見開いた眼球に恐怖を張り付かせ、地面へ落ちていく。
その一瞬の出来事が、マサキの脳裏にスローモーションのように焼きついた。
重い音をたて地面に横たわった肉体は、軽く痙攣しながらもすでに生きた少年ではなかった。
鼻腔を通じて喉まで血の臭いが充満する。喘ぐように開いた口からも、生臭い空気しか入ってこない。固く目を閉じても、焼きついた映像が瞼の裏に見える。
マサキは、自分の体を抱えるように、その場に崩れ落ちた。
「しっかりしろ」
誰かの腕に支えられるが、それが自分の体の感覚なのかどうか、曖昧になっていた。
手錠をかけられたシゲがつれてこられる。
彼の顔を見て激昂するフタバが、複数の地郷公安部員に取り押さえられる。
それでもなお抵抗する彼女へ向けられる、いくつもの銃口。
目の前で行われたはずのそれらのことも、マサキの記憶に入ってこなかった。断片的な場面が数枚の絵のように浮かんでは消えていく。足元に地面があるのかどうかも、分からなくなっていた。
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