Ⅴ-4 崩落

 通信機が鳴る。


即座に、通信士のサラが幼子をマサキの膝へ乗せ替えた。


「はい、東守口支部です」


 最近になって耳に慣れてきた、シズクより小気味良いサラの応対を聞きながらも、マサキは膝の上でキャッキャとはしゃぐ幼児を扱いかねて救いの目をアオイへ向けた。が、動物すら苦手なアオイは身体をねじり、マサキの視線から逃れようと必死だ。


 科研町から東守口町へ行商に来た荷車に潜んでいた、と幼児が届けられたのは朝番の仕事が丁度波に乗ってきた時分だった。2、3歳とみられる子供は物怖じせず、支部内の探索を試みるなど活発だ。


 誘拐か、事故か。明確になるまで荷車の主は別室に勾留され、ミツキが応対している。


 マサキは壁にかかった時計を見上げる。じき昼食の時間だ。子供のためなにか食べるものを買いにいったノリナが戻れば、子守を代わってもらえるのだが。


 はしゃぐ幼児の声をかいくぐるように、通信へ耳を傾ける。通信の相手が、幼児の身元を捜す科研支部ではないと分かると、肩を落とした。


 仕事が進まない。


 マサキの落胆を他所に、幼児は書き損じの紙の裏へ、ペンでなにやら書き付ける。あどけない顔で見上げてくると、ニパ、と笑った。


「おじちゃん、みてぇ」


 グッと返事に詰まった。

 立てかけた書類の陰で、アオイが肩を震わせる。


「そうだよな、マサキだって成人してるんだから、おじちゃんだよな」

「アオイさんだって、俺より年上でしょ」


 恨めしく睨みつけると、アオイは飄々として、弟の子とか居るよ、と答えた。


「マサキだって、村にいたら、もう二人くらい子供がいたっておかしくない年じゃないか」

「まあ、そうですけど。アオイさん、身近に小さい子がいるなら、対応の仕方も分かるでしょうに」

「だからこそ、嫌なんだよ。めんどくさいし。マサキだって、兄弟くらいいないの? 面倒見のいいお兄さんっぽいけど」


 肩章を引っ張って遊ぶ子供に顔をしかめ、マサキは口を尖らせた。


「いません」


 加えて、近所というものが存在していなかったので、小さい子に対しどのように接したらよいのか分からない。にも関わらず、幼子はマサキにじゃれついてきた。


 アオイが、意外そうな顔を向けてきた。


「ひとりっ子って、珍しいな」

「そうですか?」

「村は町に比べて子だくさんだろ。働き手になるから」


 考えたこともなかった。最も身近な幼馴染みであるサクラも兄弟を持たなかったからかもしれない。


 しかし、考えてみると不思議に思えてきた。


 地郷公安部員は総じて結婚年齢が高い。慌しい日常は、あっという間に年月を運び去り、気がつけば婚期を逃している人も多い。

 その中で、同い年であるチハヤとヤマトに、やはり同じ年の子供が居る。母親も、けして若くない。


「……まあ、うちの親、変わってるから」


 言葉を濁していると、サラが支部長を呼んだ。通信を代わると、マサキの肩へよじ登ろうとする子供の脇を抱え上げてくれた。


「いやー」


 子供は小さな手を伸ばし、マサキにしがみついてくる。困惑していると、サラが笑った。


「すっかり気に入られちゃったみたいね」

「何もしてませんよ、俺」

「分かるのよ、子供には。いい人なのかどうか。親御さんが分かるまで、マサキに預かってもらおうかしら」

「困りますって。この書類、今日中に仕上げたいのに」


 自分が担当した事件の捜査記録は、朝から数行しか進んでいない。紙面を見やり、サラが肩をすくめた。


「いいじゃない、明日でも」

「明日から非番です」

「じゃあ、非番明けで。今は、子守が仕事、てことで」


 むぅ、と顔を顰めていると、通信を終えた支部長に呼ばれた。


「来い」


 事務室を出る背中に、マサキは慌ててインクの蓋を閉める。サラも眉を潜め、首をかしげた。


「今度は、なにをしでかしたの?」

「何もしてません」


 急いで子供を抱き上げ、サラの腕に押し付ける。ぐずる子供の頭をひと撫でして立ち去る後ろから、サラの声が聞こえた。


「おじちゃんはお仕事なんだって。お腹空かない? おやつ食べる?」


(だから、おじちゃんじゃないってば)


 言い返す暇もなく、支部長の待つ小部屋の扉をノックした。

 窓から入る光が、支部長の背中に濃い影を作っていた。


「西守口支部から、捜査協力の要請だ。陽暮村で岩盤崩落が起きた。自然崩落か人為的なものか、貴様に現場検証をしてほしい、と」

 小さな黒目が、じろりと動く。言外に、どうする、と問われる。

「旭丘村土砂崩れの報告書を見ての判断らしい」


「それなら私より、その筋の専門家の方が」

「どの支部も、中央から人を雇える余裕はない」


 いかつい支部長の背を見ながらマサキは、報告書で坑道や地質について触れたことを後悔した。


 元坑夫だった祖父から教わった知識が、今後の災害防止に繋がればいいと思って言及した。しかし、怪文書事件でカイトの服毒を阻止したときのように、いらぬ詮索を呼び込んでしまう恐れがあることを意識しなければならなかった。

コウから聞いた、公安部の裏で蠢く闇から伸びる糸を感じながらも、マサキは半ば無意識に手帳を開いていた。


「概要を、教えていただけますか」


「今朝早く、陽暮村のはずれで古い坑道が崩落。領主から内部の調査を命じられた村人が巻き込まれた」


「中に、入っていたんですか」


 思わずマサキは支部長の言葉を遮った。重く頷くのを見て、胸が重くなる。


 地球人種は、資源を求めて、町を取り巻く山を削っていった。町の近くから、次第に山を越え、山地の奥へと手を伸ばした。そのため、マサキが住んでいた時埜村付近の坑道は新しく、閉山後も抜け道として利用できた。

しかし、麓に近くなるにつれ坑道は古く、長年放置されているため痛みも激しい。祖父は常々、岩盤崩落の危険を説いて、陽暮村近くの坑道へは立ち入らないよう、幼いマサキに言い聞かせていた。


(無茶なことをしたな)


 ちらりと、陽暮村に引っ越した父ヤマトの顔が脳裏を掠めた。彼がもし事前に知っていたなら、調査を辞めさせただろう。


 そこまで考え、ふと、支部長の言葉を思い返す。


 自然災害か、人為的なものか。


「事件性もあると、仰いましたよね」

「崩落直前に、複数の村人が爆発音と火薬の臭いを感知している」

「被害は」

「畑や人家への被害は無い。尾根がひとつ、完全に崩落。調査に入っていた村人三名のうち、一名は入り口付近に居たため自力で脱出、軽症。二名は行方不明だ」


 手早く書き留めていく。尾根一つが落ちたなら、おそらく不明者の捜索は不可能だろう。


「坑道地図は入手できますか」

「村長が持っている」

「不明者の身元は」

「ヤマトと、その妻だ」


 ペン先が、紙を引き裂いた。


 親父と……。


 思っただけのつもりが、声に出ていた。支部長の眉が上がる。


「出身は時埜であったろう」

「俺がこっちに来てから、陽暮に下ったんです」


 呆然として、仕事用の言葉遣いも忘れた。


 嘘だ、そんなはずはないと、何度も頭の中で繰り返す。同名の人物が村にいた可能性も捨てきれない。


 目の前から光が薄れていく。耳に入る音が自分への問いかけと判別するまでに時間を要した。


「断るか。身内が関わっているとなると、冷静な判断は望めん」

「だい、じょうぶです」


 目を閉じた。細く長く、息を吐き出す。


「捜査協力要請、受けます」


 敬礼した指先が、震えた。

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