Ⅴ-5 ひび割れたランプと鍵束

秋の夕暮れが谷から迫ってくる。

眼下に広がる崩落の痕からは、湿った土の臭いが立ち上っていた。風に煽られ、手にした紙が音をたてる。


 手錠をはめられた領主が西守口支部員に引き立てられ下山する姿を見送ったのは、まだ陽が残っている時間だった。山の秋風に吹かれた身体はすでに芯まで冷えていたが、足は、崩落現場に面して張り出した岩棚に貼りついたように動かなかった。


 現場の様子からは、経年劣化した坑道が崩れたのか、それとも爆破なのか判断はつかなかった。


 マサキは西守口支部の担当捜査官と共に村長から提出された古い地図を辿り、崩落した坑道へ続く他の入り口を調べた。その結果、入り口全てが破壊されていることが判明。中には爆破に使用された簡易爆発物の破片が残っており、何者かが故意に起こした事件だと判断された。


 村長からは、数ヶ月前に領主が坑道地図の閲覧を求めていたこと。村人からは、領主が日頃からヤマトたちを快く思っていなかったことなど証言を得た。今後、領主の家宅捜査を行えば、さらに物的証拠もあがるだろう。


 淡々と、公安部員として捜査協力にあたることができた。不明者情報として両親の住民登録伝票の写しを渡されても、彼らが重い岩盤の下に眠っている実感が無い。


 空から、最後の残光が消えようとしていた。


 か細い声に呼ばれ、マサキは側の暗がりへ目を移した。包帯を巻いた足を引きずり、杖に頼って、青年が歩み寄った。


「東守口支部の、マサキさん、ですよね」


 崩落に巻き込まれ、軽症を負った村人だ。

聞くところによると、彼は最近にどこかから流れ来て、ヤマトが世話をしていたらしい。彼の顔に、暗がりでもそれと分かる死病の影が認められた。


 頷くマサキへ、青年は襤褸ぼろで包んだものを差し出した。


「来てくれて良かったです。俺、こんな状態で、直接渡してくれと言付かったのに、町なんて行けやしないと諦めてました」


 包みを開くと、見覚えのあるヤマトの鞄だった。中には、ヤマトが愛用していたランプと火打ち、無駄にジャラジャラとした鍵束が入っていた。

ランプはヒビが入り、もう使えない。


「忘れ物をしたから、取りに行って欲しいって言われて。ついでにこれを託されて。鞄預かって入り口に向かってたら、大きな音がして天井に亀裂が入って。もう、無我夢中で走ったんだ」

 青年は、ぼろぼろと涙を流し始めた。

「病気が楽になるからって、薬くれたり、働けない俺のこと、領主に掛け合ってくれたり。なのに、置いて、逃げちまって」


 すすり泣く青年をみて、マサキの胸にしこりとなっていた疑問がひとつ、解けた。


(分かって、いたんだ)


 ヤマトは、坑道調査が領主の罠であると分かっていた。生きて帰れないことも。その上で、せめて悪事を暴くために青年を証人として遺そうとしたに違いない。

彼らしい最期だった。

そう考えると、僅かながら慰められる。


 あくまでも『地郷公安部員のマサキ』として青年を労うと、マサキは用心しながら岩棚の端へ立った。荷物から酒瓶を取り出す。帰省を先延ばしにしたため、うっすらと被った埃を手で拭い、栓を開けた。


 風にのり、蛇行しながら酒は崩れ落ちた坑道へ降り注ぐ。礫の間に滴り、芳醇な香りが辺りに漂った。




 ヤマト夫妻が住んでいた家は、集落の最も高いところにあった。廃村となった時埜村に少しでも近いところを選んだのだろうか。


 マサキは、青年から受け取った鞄から鍵束を取り出す。

似たような長さ、太さの鍵が、六本連なっていた。暗い手元を透かし見ながら順に錠へ差し入れては、ため息をついた。


(使う鍵だけにしておけよ、全く)


 三本目でようやく、扉が開いた。


 住み慣れた時埜村の小屋が、そっくりそのまま移設されたようだった。台所に置かれた棚にならぶ食器も、壁に飾られた布も、懐かしさにあふれている。


 調理台には、今晩の食事に使う予定だったのだろう。洗い場の側に椀があり、乾燥豆が水を吸って膨れていた。


 天井から下がるランプへ火を入れる気になれず、床の敷物へ腰を下ろした。


 鍵を託された。

この家を、適当に処分しろという意味だろう。個人的なものがあれば引き取るなり廃棄するなりして、小屋を村長へ返す手続きを代行する。

後見人として。


 上着のポケットへねじ込んだ、西守口支部員から受け取った書類を握り締めた。


 ヤマトたちの住民登録伝票。

そこには、かつて夫婦の間に生まれ、村へ届出た後ほどなくして亡くなった二人の子供が記載されていた。


が、マサキの存在は、無い。


 地郷公安部を受験する際、公的な書類についてはヤマトが一切の手配を担った。マサキは、蝋で封をされた自分の住民登録伝票しか目にしていない。そこになにが記載されていたのか、知らないままだ。


 目の前が、ぼうっと明るくなる。峰から月が昇ったのだ。採光窓から入る光が、白い筋となって数歩離れた床を四角く照らした。


 自分は、彼らの子供だったのか。あの青年のように、流れ来たのを哀れに思われ育てられたのか。


 村長すら、マサキの顔を知っていたが、ヤマト夫妻の息子として認識していない様子だった。ただ、彼らが世話をしていた時埜村の子供という扱いだった。


 悲しみよりも深く、喪失感と謎が胸をえぐる。


 近付く軽い足音に気がついた時には、すでにドアノブが回されていた。鍵をかけられていない扉は、当然開き、月光と共にすっきりとした薬草の香りを招き入れた。

長い髪の影が揺れる。


「明かりもつけずに、どうしたんですか」


 心配を含んだ声に、マサキは腰を浮かせた。


「サクラ」


 呼びかけられ、影は立ち止まった。手元に力がこもり、薬草の茎が折れたのだろう。一気に匂いが強くなった。


「薬草を村に届けていたのは、サクラだったんだな」


 マサキが町へ下りてから、山岳地帯に生える薬草を摘むものがいなくなったはずだ。にもかかわらず、あの青年を含め村人はヤマトから薬草を分けてもらっていた。朝から夕方まで畑仕事をしたうえで、一体いつに採取しているのかと、皆、首を傾げていた。

サクラが協力していたのなら、納得がいく。


 小さく頷くサクラが、部屋の暗がりを肩越しに透かし見た。


「ヤマトさんたち、は?」


 尋常ならないものを、すでに察知した口ぶりではあった。

しかし、事件について伝えると、彼女の手の内から薬草の束が零れ落ちた。


「嘘でしょ。だって私、夢を見てない」

「全ての人の死を、予見できるのか?」

「ヤマトさんたちは、私にとっても大切な人だもの。見るはずよ」


 もしかしたら、とマサキも淡い期待を持った。崩れた岩盤の中で、彼らはまだ生存しているかもしれない。

未練を振り切るように、首を横に振る。


「落盤は、広範囲に渡っていた。深さも相当なものだ。助かっていない」

「だけど、どうして?」

「領主の命令だった。でなきゃ、親父がうかうかと危険な坑道にお袋を連れて入るわけがない。睨まれていたんだろう、いろいろと」


 領主は、元公安部員だったと聞いた。もしかしたら、サクラの祖母マリの件も耳にしていたかもしれない。


 サクラが、細い手で顔を覆った。


「どうして、夢に見なかったんだろ。見ていたら、助けられたのに」

「そうとも、限らない。事前に知っていても、坑道に入ったかもしれない」


「役立たず」

 歯を食いしばり、サクラは緩やかにうねる栗色の髪をかき乱した。

「こんな力、あっても仕方ないじゃない。ちゃんと、人を助けられないなら、持っている意味がないじゃない。不吉なだけよ」


 次第に声が高くなる。


マサキはそっと、彼女の体を引き寄せて扉を閉めた。この期に及んで、近隣へ彼女の不思議な力が知られるのを防ごうとする自分の冷静さを、酷く非道なものに感じながら。


 実際、マサキは陽暮村に入ってからずっと、変に冷静だった。自分が彼らの子ではないかもしれないと知ったときは一瞬思考が止まったが、それならばと、あくまでも公安部員として振舞うこともできた。


 サクラはいよいよ取り乱し、髪を引きちぎらんばかりに掻き毟った。支離滅裂に、自分自身を罵り続ける。マサキがなだめても、一向に耳を貸さない。


「誰も助けられないなんて、最低。変な力も、私も、全部消えてしまえばいい」

「サクラ」


 耐えかねて、マサキは彼女の肩を掴んだ。


 引き寄せ、唇を塞ぐ。強引に舌を絡めとり、言葉を封じた。


 全身を強張らせたサクラが、次第に力を緩めていく。さすがに息苦しくなったマサキが解放すると、それ以上は言おうとせず、涙の溜まった目で睨みつけてくる。


 マサキも、まっすぐ彼女を見返す。細い頬を掌に挟みこみ、額に額を押し当てた。


「サクラは、俺が一番大切にしている人なんだ。悪く言わないでくれ」


 サクラの顔が歪んだ。湧き出た涙が、次々に頬を流れ、マサキの指を濡らしていく。しゃくりあげる肩を抱きしめ、マサキは目を閉じた。


 まるで、彼女がマサキの分まで泣いてくれているようだ。怒涛のごとく押し寄せた衝撃に、涙が湧いてこないマサキの分まで。 


 届出上はどうであれ、彼らを親として過ごした日々に偽りはない。しかし、遺体を目にしていないからだろうか。彼らを失った事実に現実味がなく、怒りも悲しみも感じられなかった。


 頬の涙を拭ってやっても、すぐに次の涙が流れ落ちる。張り付く栗毛をそのままに、マサキは唇を寄せた。


 嗚咽の合間、息が続く間の短いキスを繰り返す。

次第に高ぶる気持ちに刺激され、どんな現実も一時だけ忘れる術を思い出していた。


そして、かつてその術を共に体験した相手が、今腕の中にいることに、今更のように気がつく。


 細い肩を支えていた手を、首へ、胸へと滑らせていく。短衣の腰に結んだ細帯を緩める手が、サクラに拒まれた。


 マサキから離れた唇を震わせ、サクラは半ば哀願するように泣き濡れた目を上げた。


「駄目。こんなときに」

「それなら、今度いつ会える」


 問い返された彼女の瞳が揺れた。瞬きをすると、水滴が頬へ落ちる。その滴を掬うように頬を寄せ、そのまま体重をかけた。緩やかにうねった栗毛が、なんの抵抗も示さず床へ広がった。


 再び細帯の結び目へ指を入れる。滑りの良い帯は、衣擦れの音を立てて解けた。拒む手は、もうない。


 伸びてきた腕が、マサキの首の後ろで絡み、引き寄せられる。打って変わって激しく求めるサクラに、マサキもまた、全力で応えた。


 採光窓から落ちる月明かりが、うねる肢体を青白く浮かび上がらせながら傾いていった。

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