いつか、咲きほこる花の下

かみたか さち

第一章 帰還五百周年記念

Ⅰ-1 抜擢か、それとも捨て駒か

生温かい液体が、ぬめりながら手を伝う。覆いかぶさってきた男の茶色い目から生気が消えていった。


 マサキは喘ぎ、男の体から短刀を抜いた。骸が足元へ落ちていくのを、悪い夢のように見下ろす。少し離れたところには、先に息絶えた青年が横たわっている。どちらも、知っている顔だ。


 周囲の地面には、花の残骸が立ち並んでいた。棒のように伸びた茎の先が五つに割れ、それぞれの先端に干からびた花弁がどす黒く縮れた紐のように垂れ下がっている。地の底から恨みを持って突き出された手のようにも見えた。


 マサキは、喉元にこみ上げる不快感を抑え、血に濡れた刃を倒れた男の服で拭った。

 これで、何人目だろうか。数えることは、すでにやめた。殺さなければ、こちらが殺される。仕方がないと言うにはあまりに苦しい。


 背後の茂みが揺れた。

低木の根元を割って、小さな顔が覗く。四歳児にしては小さく、発する言葉も未熟だが、マサキの言いつけはきちんと守れた。その、母親の面影をそっくり写したハジメの頬が、血に染まったマサキを見てびくりと震えた。


「もう、出てきていいぞ」


 手を差し伸べるが、ハジメは小さな体を震わせたまま、茂みに留まっている。その姿が、さらにマサキを苦しめた。お前を守るために俺は、と叫びたくなるのを、グッと堪えた。


 この子がいなければ、と、暗い思いがよぎった。彼のために、かつての仲間にすら銃口を向けなくてはならなくなった境遇を呪う気持ちが湧き起こる。


 ハジメが何かを言いかけ、紫色になった唇を震わせて、閉じる。血に染まったマサキの手を見て、ボロボロと涙を流し始めた。


「……じょおぶ? てて、いちゃくない?」


 ハジメは、細い指でマサキの右手を指差していた。手の甲を斜めに横切る、塞がったばかりの傷口に返り血を浴び、それが新たに負傷したように見えたのだろう。


 彼に対し抱いていた誤解に気が付き、マサキは目頭が熱くなった。

 ハジメはただ、殺気だった者たちと争った大切な人が怪我をしたと思い込み、恐怖を感じていただけだったのだ。


 細い体を、腕に抱きしめる。


 ハジメはまだ、幼い。

 母親の死の意味も、突然の生活の変化も、何故襲われるかも、理解するにはあまりに幼すぎた。


 襲いくる者たちの標的が、幼い自分であることも、知らないだろう。


 どうして、とマサキは漏れ出そうになる嗚咽を飲み込んだ。涙を見せれば、またハジメを必要以上に心配させてしまう。少なくとも彼の前では、強い男を演じなければならない。


 零れかける涙を目の奥へ戻そうと、空を見上げる。秋も終わりに近付いた空は、残酷なほど澄み切っていた。


 いつから、地球人種は、地郷ちさとはこんなふうになってしまったのだろう。


 もし、テゥアータの力で過去に戻れたら、何かを変えることが出来るだろうか。地球人種の持ち込んだ高度な科学知識をもってしても解明できないあの不思議な力で、異なる現在を導くことができるだろうか。


(無理、だな)


 苦笑して、ハジメの短い髪へ鼻をうずめる。


「まちゃ?」

「急ごう。きっとみんな、心配している」


 マサキは、ハジメをおぶって緩やかな坂道を登り始めた。


 たとえ過去に戻って、地郷とテゥアータ、両政府の裏で密かに蠢く存在に気が付いたとしても、一介の地郷公安部員になにができただろうか。


 七年前。努力の末地郷公安部入部試験に合格し、貧しい農村から町に出た十六歳のマサキは、ただの無力な一青年に過ぎなかったのだから。


* * * * * *


 立ち並ぶ高い棚の角を曲がった瞬間、薄暗がりに光が閃いた。銃口から発せられる火花だ。天井の高い倉庫内に銃声が響く。


 とっさに、走ってきた勢いそのままに肩から床に転がった。まだ新しい白い制服が土間で擦れて汚れるのも、構う暇はない。


 ほんの数歩離れたところから、まっすぐ狙われている。立ち上がることが出来ず、腹ばいのままマサキは標準を定めた。


 銃を向けているのは、黒ずくめの上下を身にまとい、帽子にゴーグルをつけた男だ。彼の指が、ゆっくりと引き金にかけられた。

 観念したとき、別の銃声が響いた。


 男が右腕を押さえた。手から銃が落ちる。幸い暴発はしなかったが、マサキはひやりと首をすくめ、急ぎ膝をついて身を起こした。


「大丈夫か」


 左手の、うず高く詰まれた荷箱の陰から、硝煙のたなびく銃を携えた背の高い公安部員が駆け寄った。

 反対側からも、黒髪の仲間が駆けつける。


 黒ずくめの男が呻く。マサキと長身の部員、さらに黒髪の仲間が構える三つの銃口に囲まれながら、尚も抵抗を試みるようにじりじりと後退していく。


 黒髪の部員が、銃を手錠に持ち替えた。果敢に男へ飛びかかる。


「確補……」


 声が終わらないうちに、パスン、と間の抜けた音がした。


 手錠を持った部員が、上腕部を押さえて倒れこむ。その指の間から、白い制服に広がる黒ずんだ染みが、淡い光の中でもはっきりと見て取れた。

 間髪入れず、再度消音機で縮小された銃声が発せられ、長身の部員もその場にうずくまった。


 凶悪犯の左手には、隠し持っていたのだろう、別の銃が握られていた。


(卑劣な)


 マサキは、奥歯を食いしばった。心の中に小さく激しい怒りの炎が燃え立つ。内部は熱いのに、反して頭の芯は冷めていく。


 男がすばやくこちらへ顔を向けるのが、マサキにはスローモーションのようにみえた。呼応するように、マサキも銃を構えなおす。


 引き金を引いたのは、わずかにマサキが速かった。耳元に鋭い風を感じた。

 男の眉間からにごった液体が飛び散るのが、窓からの薄い光の中に見ることができた。


 どうと倒れたあと、男はピクリとも動かなかった。


 マサキは大きく口を開け、水面の魚のようにあえいだ。手先がしびれる。先ほどまでの冷静さが嘘のように消え去り、嫌な興奮が残った。


 人を、撃った。この手で。


 頭の芯に動悸がこもり、鼓膜がドクドク震える。全身が樹木のように動かなかった。


 そうしている間に、物陰から小太りな影が、おずおずと出てきた。今まで、隠れて見ていたのだろう。彼は倒れた男の腕をそっとつま先でつつき、それでも動かないと見ると、予想外のすばやさで手錠をかけた。


「か、確補ぉうっ」


 裏返った声が倉庫内に行き渡る。


「そりゃ、ないだろ」


 長身の部員の、苦々しい呟きが聞こえた。


 倉庫内に、訓練終了を知らせるホイッスルが鳴り響いた。




 マサキはまだ、銃を構えたまま肩で息をしていた。嫌な汗が、冬の名残に冷やされていく。

 集合がかかっていた。

 しかし、体は、ようとして動かなかった。小刻みな震えが止まらない。


 どうにか足を踏み出すがよろめき、側を駆け抜けようとした部員にぶつかった。先ほど撃たれた黒髪の青年だった。マサキが謝罪を口に出すより先に、鋭い一重の目に睨まれる。


「なにをぼんやりしている。集合だ」

「あ、ああ」


 マサキの血の気が戻らない顔をみて、青年はあざ笑った。黒髪の間から見下ろされる。


「大丈夫か、貴様。そんなんで、公安部員やっていけるのか」


 制服の襟首をつかまれる。体を持ち上げられてようやく、マサキは足腰が自分のものになった感じがした。


 会釈で礼を伝え、どうにか小走りで倉庫の貨物搬入口前にできた列へ加わった。

 列に並んでいる十数名は、いずれも十五歳の成人の儀を済ませた男女だ。中には成人して数年経ったと見える者も居るが、たいていはまだ幼さが残る。この秋、地郷公安部員入部審査に合格し、今まで約半年間、各支部へ仮配属されていた新参部員たちだった。


 この、殺傷能力のない模擬銃を使用して凶悪犯を逮捕するミッションを通し、各々の適正や能力を審査される。その結果で、春からの配属先が決定されることになっていた。


 長々と地郷公安本部長のお言葉が述べられ、改めてミカドと地郷政府へ尽くすように、と締めくくられると、場を取り仕切っていた男性本部員が一同を見回した。


「本配属先は後日追って知らせるが、特別に二名、急ぎ異動を伝える」


 ぞわぞわと、若い者の間に動揺が走った。期待と不安が波のように広がり、鎮まる。

科研かけん町、コウ」

 マサキを助けた背の高い青年が、首を傾げながら返答して一歩前へ出る。


蔵場くらば、マサキ」

 虚をつかれ、マサキは呆然と立ち尽くしていた。本部員が冷たい眼でマサキを睨みつける。


「居らんのか」

「は、はいっ」


 ギクシャクと進み出てつまずき多々良を踏む姿に、ここかしこで失笑が湧いた。本部員はその者たちを目で抑えると、改めて辞令を下す。


「両名は、来月から東守口支部射撃手への異動を命じる。以上」


 解散が命じられ、遠慮のないざわめきが広がった。いくつもの目が、哀れみや好奇心を伴ってマサキの側を通り過ぎた。

 苦い波がマサキの心をかき回す。


「あれだね、きっと」


 一方のコウは、諦めたような息をついた。


 たいてい入部したばかりの若者は、書類整理や物資配達などを請け負う事務官に配属されることが多い。犯罪者と直接向き合い、最前線で仕事をする射撃手に任命されるのは、名誉ある大抜擢だ。異例の昇進である。


 しかし、配属先として指定された東守口支部は、つい先月、管轄の村の農民の襲撃を受け、殉職者を出していた。事件はまだ解決されておらず、再来襲の噂も流れている。

 そのような不穏な支部の射撃手に新人を配備するということは、捨て駒と考えられているのか。


「ま、よろしく、マーくん」

 コウというその青年は、旧知の友人であるかのような態度で続けた。

「さっきの射撃は、ほんと完璧だったねぇ。今回の最優秀賞はマーくんで決まりだね」


 気がつけば、他の青年たちは三々五々帰路についており、倉庫に残っているのはマサキたちと数人、そして訓練の後片付けをしている地郷公安本部の事務官だけだった。


 集合の際、マサキの身を起こしてくれた黒髪の青年もまだ残っていた。彼は一瞬憎しみを込めて睨んできたが、一転、鼻先で笑う。


「ま、田舎者はせいぜい地方支部を堪能するんだな」


 ミツキ、と他の同僚に呼ばれ、青年は再度あざけるような表情を見せて去っていった。

 幹部候補生たちだろう。

 公安本部員や権力ある役人の子息は、将来の地位を保証されていた。マサキたち地方出身者とは違って、余裕のある態度だった。


 ぼんやりとその後姿を見送るマサキの耳に、コウがいたずらっぽく口を寄せる。


「威張ってるけどあいつ、この前現場で遺体見てゲロったらしい。最終的に手錠かけたあの太った奴といい、幹部候補なんて、そんなもんだよな」


 どう反応していいか分からず、マサキは曖昧な顔で返した。


「だけど、訓練中あの人の動きは的確だった。他の候補生と違って、最初から意欲的に動いていたし」


 鳶色の癖毛の下で、コウの茶目っ気のある目が垂れた。口の両端が上がり、いきなりわしわしとマサキの頭を撫で回す。


「マーくんはいい子だなぁ。俺、相方がマーくんでほんと良かった」


 堅く短い髪をぐいぐい動かされ、根元が痛い。抵抗してどうにかコウの腕を振り払ったところで、背後から覆いかぶさってくるものがあった。


「いやー、ほんと後輩ふたりがいい子みたいで嬉しいぞ。お近づきのしるしに、一緒に晩飯いこうぜ」


 振り返ったそこに、血まみれの顔が笑っていた。


 夕暮れ空に絶叫が響いた。

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