Ⅰー2 ウシの看板の店

 先に正気を取り戻したのは、コウだった。


「えと、犯人役の」

「東守口支部射撃手のジュンヤでーす。先輩だからって堅苦しくしなくていいぞ。射撃は腕のよさがなんぼだからな」

「顔、洗ってきてください」


 マサキが心臓を押さえながら言うと、たちまちジュンヤは唇を尖らせた。


「誰のせいでこんな真っ赤っかになったと思ってるんだ。いくら色液入りのカプセル弾だといっても、至近距離で急所に当たったら気を失うくらいの威力があるんだぞ。少しは遠慮したらどうだ」

「新参部員の訓練で銃二丁持ってるとか、しかもサイレンサー付きで威力増強とか、そっちのほうがどうかと思いますが」

「より実戦に近くするためだ。凶悪犯はどんな手で来るか分からないんだ。あらゆる可能性を考えて対処せねばならんのだ」


 一人で腕を組み繰り返し頷く先輩部員の腰に、もう一丁の銃がホルスターに納まっているのを認め、マサキは頭を抱えた。

 ジュンヤが所持していたのは、三丁。訓練用とはいえ、地郷政府が定めた拳銃所持限度の二丁を超えている。


 そもそも上が許可したことなのかと問うマサキに、ジュンヤは鼻の穴を膨らませて胸を張った。


「模擬弾や模擬銃の開発者の特権で、自由にしていいとの許可をもらっている」


 たちまちコウが目を輝かせた。


「噂に聞く銃マニアって、先輩のことだったんですか」

「そうよ。なんだったら、俺の手がけた改造銃を見せてやるよ」

「改造の仕方とか、教えてもらえますか」

「もちろん」

「女性にも詳しいんですよね?」

「もち……なんだ、その噂は」

「え、違うんですか」


 首を傾げるコウに、ジュンヤがしばし腕を組んで考える。


「まあ、人並みには。せっかく地聖ちせいに来たんだ。いい店を知ってるから、行こう」


 盛り上がる二人から密かに距離をとって闇にまぎれようとしていたマサキだが、コウの長い腕にがっしり捕まえられてしまった。


「ジュンヤさんのおごりだって。マーくんも一緒に行こう」

「いや、俺は……」

「誰がおごりだと言った。紹介するだけだ。マサキもどうだ? ウシとか、滅多に食えないだろ」


 ウシは、ミカドの居城のあるここ地聖ちせい町をずっと南に下った平野部を中心に育てられている。数も少なく高価なので、なかなか口に出来るご馳走ではない。

それに、来月から世話になる先輩の誘いを断るのも失礼にあたる気がした。いい機会でもある。シフトの関係で、同じ支部に配属される射撃手三人が揃って食事に行くチャンスは、今日を逃したらないだろう。


「じゃあ、少しだけ」


 色液に染まったジュンヤの顔に、笑みが広がった。


「そうと決まったら早速行こう。今日は帰還五百周年記念式典の後だから、品切れが心配だ」

「それでも、顔は洗ってください」


 マサキの指摘に、ジュンヤが渋々頷く。


 後ほど地聖町の中心部にある広場で落ち合うことにして、三人はそれぞれの宿へ向かった。




 宿にたどり着くと、肉体的疲労より、長時間張り詰めていた神経の疲れがどっと押し寄せた。マサキは、こわばった肩周りの筋肉をほぐしながら階段を上がっていった。

 長靴ブーツが踏みしめる床が、きしきしと鳴る。廊下ですれ違う他の客と会釈を交わし、借りている二階の部屋にたどり着いた。


 宿主に預けていた鍵を差し込んだところで、扉と枠の間に紙片が挟まっていることに気がついた。周囲を見回しても、先ほどの客以外に人影はない。


 用心しながら爪の先で引き出し、四つ折にされた紙を広げた。


 紙面に並ぶ懐かしい筆跡に、一瞬鼻の奥がツンとする。


(サクラ)


 いつの間に差し込んだのだろう。そもそも、この宿のこの部屋に泊まっていることを、どこで知ったのか。唇を噛み締め、文面を追う。


 マサキへ、と始まる手紙には、地郷公安部員になったマサキへの労いや、今日の実戦訓練への激励がつづられている。肝心の、サクラの近況やどこに居るのかについては、一切触れられていなかった。


 読み進め、末尾に差し掛かって、首を傾げた。


『せっかくだから、帰還記念行事も楽しんだらどうかしら。ただし、ウシの看板の店には行かないでね』


 地聖町に隣接する、流花ながればな町という風俗街の店かと顔を赤らめもした。

 しかし、普通に考えると、これから連れて行ってもらう予定のウシ肉を扱う店だろう。それとも、この町にはウシの看板が複数掲げられていて、そのうちのひとつが、賭博でもやっているのだろうか。


 着替えながら、思いつく考えを並べるが、どれもしっくりこない。


(行けば、分かるか)


 マサキにサクラの動向は見えないが、明らかに彼女はマサキをどこかから見ている。


 行くなという場所へ行けば、姿を現すのではないか。淡い期待も浮かんだ。




 地球人種の国である地郷の主要都市には必ず、町の中心部に時を知らせる時計塔を伴った広場があった。地聖町のそれは、ミカドの居城である通称『方舟』と呼ばれる建物の前にある。


 方舟は、かつて宇宙を旅した船を、船首を空へ向けて安置したと伝えられている。木造の平屋が立ち並ぶ町の中で、唯一金属と硝子で作られた方舟は、初春の冷たい夜空を背景に、光を帯びて浮かび上がっていた。


 ガス灯が点る夕刻の広場には、様々な屋台が立ち並んでいた。

 午前中に執り行われた帰還五百周年記念式典で振舞われた食事や酒に満足した路上生活者たちも、今日は穏やかな顔で、行き交う客たちの足を避けて寝転んでいる。


 マサキたち地球人の末裔と異なる色の髪や瞳をもつ商人たちが、威勢の良い掛け声で食べ物を売っている。


 彼らは、地球の舟が帰還した際、この星に住み着いていた人々だと言われる。地球の科学では解明できない不思議な力を生まれながらに持っており、この星や自らのことを「テゥアータ」と呼んでいた。


 テゥアータの王は、帰還した舟を受け入れ、星の僅か0.1%あるかないかの少ない土地の一部を分け与えてくれた。時に両者の間に武力を伴う諍いも起きたが、この時代には比較的穏やかな関係が保たれていた。混血も珍しくなく、地郷で生活している者も多い。


 香ばしいタレや揚げ物の匂いが、空っぽの胃袋を刺激する。腹の虫が盛大に鳴いた。

 

「ほら、あそこだ」


 ジュンヤの示す路地の先に、その店はあった。路地に突き出すように看板が下がっている。ウシの形の看板だ。


「地聖町でも、ここでしか食えないんだぞ」


 胸を張るジュンヤに、マサキは訊ねてみた。


「じゃあ、ウシの看板っていうのも、ここだけですか?」

「あ? ああ。多分そうだと思う」


 変なこと考えるんだなと、コウとふたり笑うジュンヤに、身を縮めて曖昧に笑い返す。同時に、サクラの手紙が気にかかった。まるで彼女は、マサキが今日ここに来ることを前もって知っていたかのような。


(それだけ、有名な店なんだろうか)


 店内は賑わっていた。


 炭火の上に置かれた網で分厚い肉が焼かれ、脂っぽい匂いが鼻をついたが、しばらくすると慣れた。店員が用意してくれた三人席の目の前で、時折炎を上げながら肉が焼かれていく。


「う、わ。美味そう」


 早速身を乗り出すコウの隣で、マサキもすっかり料理に夢中になった。


 愛想の良い女将が運んできた皿に、大ぶりの角切り肉と色鮮やかな野菜を串刺しにしてこんがり焼かれたものが載っている。赤い肉汁が滲んではしたたり、頬張ると口の中に脂の甘さが広がった。


「んー。最高」


 満足顔のコウに、ジュンヤが笑う。


「これを食えるだけでも、地郷公安部員になった甲斐があっただろ」

「いやあ、ほんと。実家の店継いでたら、払えないかも」


 テゥアータ産のほっこりとした野菜を楽しんでいたマサキは、手を止めた。


「店?」

「ああ。俺の家、蔵場なんだ」


 マーくんの配属先、と付け加えられる。


「そうなんだ」

「ま、端っこの、ちっちゃい小売だけどね。弟たちに必要な金を稼ぐのも大変だから、思い切って受験させてもらった、てとこ。マサキは?」

「俺は、小さい頃から憧れてたのもあるし。あと、約束、かな。幼馴染みとの」

「ほぉ~」


 にやりとしたコウとジュンヤが、両方から身を乗り出してくる。


「女だな」

「その、幼馴染みのなんとかちゃんとは、今どうなってんの?」


 丁度、目の前の肉塊から炎が上がった。顔が熱いのは、炎のせいだけではない。耳まで火照っているのを意識しながら、マサキは顔の前で手のひらを立てて振った。


「そういうことじゃないですよ」

「いや、絶対なんかある」

「どこまでの仲なのか、この際白状しろ」


 ふたりに詰め寄られ、マサキは渋々口を開いた。


「村を出るときにプロポーズしたけど、断られました。好きだから、結婚できないって。その直後、姿消されて」


「なんだ、それ」

「こっぴどく振られたな」


 途端に、両隣からいたわる様に背を撫でられる。よし、とジュンヤに肩を叩かれた。


「じゃあ、食ったら流花にでも繰り出すか。女の子とパーッと遊んで、忘れよう」

「行きません。明日には蔵場に帰らないといけないし」

「堅いなぁ」


 苦笑いし、さらに絡んでこようとするジュンヤが口を開く前に、コウが話しかけてきた。


「そういえば、蔵場支部の近くに大きな酒問屋あるだろ? マーくん、飲めるクチ?」

「それほどじゃないけど」

「あそこ、政府御用達で高いんだけど、いい酒置いてるよ。もし良かったら、行ってみなよ」

「そうか。ありがとう」


 ふと、村にいる父親の顔が浮かんだ。

 村の生活は貧しい。子供であろうと、働いて税を納めなくてはいけない。そのような環境で、仕事より勉強を優先させ公安部員にさせてくれた両親に、少しばかり礼をしようという気になった。

 新しい配属先は、今より村から離れてしまう。転勤前に顔を出すのも悪くない。


 故郷の風景が瞼の裏に広がる。

 不思議とそれは幼い日、サクラと出会った頃の、まだ家でヤギを数頭飼っていた景色だった。


『僕は、みんなの幸せを守るための公安部員になるよ』


 約束したときの、サクラの驚いた顔に残る涙を、今でもはっきり思い出せた。

 同時に、耳の奥に蘇る声があった。


『夢を見るんだ。人が死ぬ夢』


 温かい茶が注がれた器を持つ手が、びくりと震えた。


「ん? どうした、マーくん」


 談笑の合間で、コウが不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「あ、ごめん。なんでもない。そろそろ混んできたし、出ますか」


 誘ってくれたジュンヤに、精一杯の笑顔を向けた。こみ上げる不安を払拭できたか、怪しいところだ。


 ふたりともまだ居座っていたそうな顔をしたが、マサキが腰を浮かせると、各々荷物を手にとってくれた。


 会計を済ませ、重たくなった体をゆるゆると広場へ運んで行く。先に行くジュンヤが振り返った。


「しかし、本配属を早めて悪かったな。といっても、上の指示で、俺が決めたことじゃないけど」

「仕方ないですよ」


 支部には通常、三名の射撃手が配属される。東守口支部は、そのうち二名が欠員なのだ。聞くと、現在はジュンヤのほか、元射撃手だった上司や本部からの緊急補助員で補填しているらしい。


「じゃあ、待ってるからな」


 手を振り、マサキとは別方向の宿へ足を向ける二人が、怪訝な顔をした。やや上空を見て、上げた手を下ろしていった。広場に居た人たちの間にも、不穏なささやきが広がっていく。


 振り返ったマサキも、それを見た。


 広場を囲む家の屋根越しに、藍色の夜空へ立ち上る黒煙が、はっきりと浮かび上がっていた。

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