Ⅰ-3  死を予告する夢

「火事だ」

「消防隊を」


 時計塔の上部で、鐘がけたたましく打ち鳴らされる。マサキは、血の気が引くのを感じた。

 すぐさま、今来た道を駆け戻る。後ろからコウの声がしたが、野次馬を掻き分けて走った。


 思ったとおりだった。

 出火元は、さっき後にしたウシの看板の店だった。客は全員、速やかに避難したとみえて、路上に固まって互いに顔を見合わせ、興奮気味に喋っている。


「あっという間だったよ」

「壁やら柱やら、脂が染み込んでいたんだな」


 消防隊が井戸からくみ上げた水を掛けるが、周囲へ延焼を防ぐのが精一杯だった。火の粉が舞い落ちる。


 人垣の前方で、店の女将が叫んだ。


「あんた、ヒロは? ヒロが」

「なんだって? 坊がいないのか」


 周囲の、常連客と思しき男たちがざわめく。店主が青ざめ、人垣へと視線を巡らせていく。


 そのとき、燃え盛る炎の中から、悲鳴のような子供の泣き声が響いた。


「ヒロっ」


 女将が叫ぶのと、男たちの腕を振り切って駆け出すのと同時だった。


「いけない」

「女将」


 宙を掻く幾本もの腕の先で、女将は猛然と消防隊の間をすり抜けていく。


 すぐさま、マサキも駆け出した。

 が、踏み出した足に衝撃を受け、バランスを崩して石畳へ倒れこむ。かろうじて受け身をとり転がる視野の端で、深く帽子を被った小柄な人物が走り去るのをとらえた。


「サクラ」


 とっさに叫んだ。小さな背中は、すぐ人ごみに紛れ消えた。


 人波を割って駆けつけたコウが、起き上がるマサキに手を差し伸べてくれた。


 背後で、カラリと軽いものが落ちる音がした。

 振り返ると、一面が明るくなった。ガラガラと音をたて、屋根が崩れ落ちた。悲鳴が湧き起こり、火の粉が空へ舞い上がった。


 マサキの背に、冷たい汗が流れる。


 あのまま走りこんでいたら、崩壊した屋根の下敷きになっただろう。


 じくりと痛む脛に手を当てた。明らかに、マサキの動きを止める意志をもって蹴り上げられた。あの小柄な背中が去った方向を透かし見る。


 崩れ落ちた店を呆然と見やる人の顔が並ぶだけで、彼女の緩やかにうねる栗毛を見つけることは出来なかった。


『夢の中で、人が死ぬの。そうしたら、しばらくして、本当にその人が夢と同じように死ぬんだ。地球人種なのに、どうしてテゥアータみたいな力があるのか、怖いよ』


 幼い日、細い己の身体をきつく抱え込み歯を食いしばっていたサクラの声が、手紙の文面に重なるように蘇る。


(俺、ここで死ぬ予定だった?)


 肺にある息を吐ききった。新たに吸い込んだ空気はきな臭かったが、気持ちを落ち着けるのに少しだけ役立った。


 わずかな間に、残っていた屋根もすべて落ちた。渦巻き、天空へ昇る火の粉の柱が消えた後には、満天の星が煌く春先の夜空が広がっている。


「あとは、管轄に任せよう」


 コウに肩を押され、マサキは頷いた。


 目を上げた先で、店主が口を半開きにして立ち尽くしていた。短時間に人生の多くを失ってしまった絶望が人の形をしているようだ。流れる涙すらない様子に、胸が痛んだ。


 サクラも、同じ、いやそれ以上の悲しみを抱えているのではないかと思った。予め悲劇を知りえながら、助けられなかったことへの罪悪感を、今まで彼女はいくつも背負っている。マサキは、無性に、今すぐ彼女をこの腕に抱きしめたい衝動にかられた。


 もう一度、サクラと思われる人が去った路地をみやる。しかし、どんなに目を凝らしても、彼女の姿を見つけることはできなかった。




 求婚を断られたのに会いたいと言えば、サクラは嫌がるだろうか。マサキは考えながら、故郷の時埜ときの村への道を歩いていた。


 道といっても、山を二つ越える正規のルートではない。かつて鉱山の村として栄えた時代の街道は、閉山して十数年の間にすっかり草に覆われ、地図を片手に歩いても迷ってしまうだろう。


 マサキが歩いているのは、地中に掘られた坑道の跡だった。


 鉱夫で山を愛していた祖父は、山中の坑道を自分の庭のように把握し、場合によっては複数の坑道を掘りつないで麓の陽昏ひぐれ村への近道を作ってしまっていた。

 それだけではなく、祖父は孫に、秘密の道として坑道の筋を教え込んだ。

 お陰でマサキは、領主の畑を耕す労働の代わりに、山で採った薬草を新鮮なうちに税として収めることができた。村の人々からは、どこに住んでいる子かと、不思議がられていた。


 十歳になる前。マサキは険しい崖が連なる山地で薬草を探していて、崖下に倒れていたサクラを見つけた。

 サクラは足をくじいていた。道に迷って、滑落したのだ。


 それ以前から、村が輩出した英雄的存在の公安部員チハヤに憧れ、崖を使って筋肉を鍛えていたので、町育ちのひ弱な同い年の子を背負って崖を上ることは容易だった。


 手当てのため家へ連れ帰ると、サクラは父・ヤマトを見た途端、猛然と掴みかかっていった。


『お祖母ちゃんの荷物を、どこへやった』


 それがきっかけで、マサキもヤマトの隠し事を知ることとなった。


 ヤマトは、納屋の地下にサクラの祖母マリを匿っていた。


 マリは、機密文書を所持していた疑いで地郷公安部に逮捕され、拷問を受けた。

 釈放後、拷問により醜くただれた顔で同居していた息子の家に戻れば、近所の人の目が気になると困っていたところ、旧知の縁でヤマトが時埜村へ招いたという。


 お祖母ちゃん子だったサクラは、死んだと聞かされた祖母の荷物を夜中に運び出す怪しい人物=ヤマトを目撃し、後をつけて山へ迷い込んだということだった。


 そのサクラの父、マリの息子というのがチハヤで、ヤマトの親友だと聞き、マサキは驚いた。おふざけ者の父に立派な親友がいる事実を、すぐに信じることができなかった。


 それからサクラは、マリに会うため何度も山を登ってきた。町の学問所で犯罪者の孫と陰口を叩かれ、友人に見放された彼女は、辛いことがあるとマサキに愚痴をこぼした。


 マリの拷問を主導したのがチハヤであること、母親は精神的に病んで療養院にいること。


『公安部員なんて、大嫌いだ』


 憤るサクラに、マサキは約束した。


『僕は、みんなの幸せを守るための公安部員になるよ』


 もし、求婚を断る理由が、憎い地郷公安部員になったマサキのことも嫌いになったことであれば、まだ納得がいく。敢えて彼女より憧れの職業を選んだマサキが悪いだけだ。


 しかし、これから先ずっと一緒にいたいとの申し出に対する答えは、好きだから、だった。


『マサキのこと、今でも好きだから、ごめん、できない』


 涙の理由も、謎のままだ。


 サクラが夢でマサキの死を予知し、回避のため手紙を寄越したり救助を妨害したのは、間違いないだろう。


(まだ、俺のことを大切に思ってくれていると、捉えていいんだろうか)


 それなら尚更、側に居て欲しい。


 地球人種の結婚年齢として、十六はけして早すぎる歳ではない。これからの人生四十年ばかりを、サクラと共に泣いたり笑ったりしながら過ごせないというなら、もう少し説明が欲しかった。




 洞窟は次第に上り坂となり、前方に小さく光が見えてきた。迷う足を踏み出す度に光は大きくなり、頬を撫でる風が強まった。

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