第八章 最後の夢

Ⅷ-1 あれから四年

 号令と共に、屋外射撃演習場に散っていた数十個の白い制帽が集まった。

 三列に並び、腕を伸ばして長銃ライフルの銃口を自らの胸に、銃把を指揮官に向けた後、肩へ担ぐ。

 一糸乱れぬ、と言えないまでも、だいぶ動きが揃ってきた。


(全くの素人集団でも、半年訓練すれば様になるもんだな)


 東守口支部庁舎に隣接する銃器部専用の訓練施設が、現在のマサキとコウの所属部署だった。


 指揮をとるコウの隣に立ち、マサキは感心しながら、並んだ顔を見回した。いずれも、半年前まで一般町民だった顔だ。


 地郷公安部が銃器部を結成するにあたって人員を募集したところ、定員の三倍近い人々が押し寄せてきた。

 テゥアータとの交易が絶たれ商売が立ち行かなくなった商人、材料不足で店を畳んだ食堂や衣料品関係者、人口の急激な減少に職を失った教員や医者。

 安定した収入を目当てに応募し、健康や体力など適性検査に合格した者がここに並んでいた。

 全員の制服を支給するには布などの材料が手に入らず、とりあえず帽子のみを配布している状況だった。


 ジリジリと照りつける陽がようやく山の端へ差し掛かった。涼やかな風が吹き始め、汗ばんだ身体を心地よく冷ましていった。


 セオの死から四年。


 彼を殺害した少年シゲを崇拝する者たちが現れ、いつしか「狩人」と呼ばれるようになった。彼らは、あえて原始的な弓矢を使ってテゥアータ人たちを殺めていた。


 それでもテゥアータ人は現れ続けた。危険を承知で地郷へ来るのか、隠れ住んでいた者がまだ居るのか。


 地球人種の血筋にテゥアータの形質を持つ子供が生まれる件数も減ることがなく、むしろ増えていた。

 気候が安定せず、作物の実りが少ない年が続く。流行り病が毎年のように広がり、町に葬儀の列が絶えない。

 それらすべての不安を、人々はテゥアータの呪いと言って恐れ、憎んだ。


 マサキたちの前に並んだ銃器部員の一人が唐突に咳こんだ。連鎖するように、ここかしこで空咳が起こった。


 コウが鳶色の眉をひそめた。


「最近多いな。体調管理もしっかりしろよ」


 あちらこちらで帽子が揺れ動く。頭を下げて謝罪する波がようやく落ち着いてから、コウが今日の訓練について総評を述べていった。


「しかし、気になるな。悪い病でも流行ってるのかな」


 解散命令後、肩を並べて庁舎へ行きながらコウが首を傾げた。頭に馴染まない制帽がずり落ちる。マサキも、汗が染みる帽子を脱ぎ、型のついた髪に指を入れ、ワシワシとほぐした。


「工場のせいだろう。空気が悪くなっている」

「そうなんだ? あまり感じないけど」


 銃器部が発足するきっかけは、地郷北部の山岳地帯で新しく発見された鉄鉱石の鉱脈だった。

 地郷政府はこの機を逃すまいと、テゥアータ国へ攻め入る準備を始めた。採掘を進め、製鉄所をフル回転させた。煤や灰を含んだ煙が、休みなく吐き出される。そうして精製された金属は、各地に建てられた金属加工施設で武器製作にあてられた。


 お陰で懐が温まった人が増えたが、数年の間に、地郷の空気はきな臭く変わっていた。好戦的になった民が、あちらこちらで喧嘩に銃器を持ち出すことも増えた。


 その中にあってマサキは、真面目だがやや不器用な公安部員として勤めていた。


 銃器部において指揮官の座をコウに譲っているのも、試験の際、わざと成績を落とすように細工したからだった。

 懸命に的を狙うふりをして、僅かに外す。数回に一回は見事に打ち抜くが、まぐれ当たりだと嘯く。

 随分と演技が上手くなったと自分でも感心しながら、空気の臭いをかいで首を傾げる親友の帽子を受け取った。庁舎の玄関の壁に揃えてかける。


「山に行けば分かるよ。町の上空が常に霞んでいる」


 鼻の頭に皺を寄せるマサキに、コウが笑った。


「相変わらず登ってるのか」

「今度一緒に来るか? 気持ちいいぞ」


 町での仮面生活に疲れると、マサキは山に登った。故郷だった時埜村方面だけではなく、さまざまな山へ足を運んだ。


 マサキの山好きは地郷公安部内でも有名で、非番に連絡が取れなくても諦められるようになっていた。どうせまた、通信機が電波を受信できないくらい山奥に行ったのだろう、と。


 それが、狙いだった。



 次の非番にも、マサキはまだ暗いうちから官舎を出た。

 何気ないふうを装いながら、背後の気配には十分気を配り山を目指す。

 村の集落が途絶えるころには、人の気配そのものがなくなる。眠そうな鳥の鳴き声、夜行性の小動物が帰路へつく足跡。それらの間に雑音がないことを確認して、マサキは草に埋もれつつある古い道からはずれ、姿を消した。


 祖父から父へ、そしてマサキが引き継いだ古い坑道の一部は、未だに秘密の通路として使えた。


 鼻をつままれても分からない暗闇を味方につけ、手探りで曲がりくねった道を行く。数時間歩くと前方に小さく光が見えてきた。足元の勾配がきつくなり、上りきると最後はマサキの身長ほどの縦穴になっていた。

 耳をすませ、危険がないのを確認すると穴の縁へ手をかけた。懸垂の要領で身体を持ち上げる。


 疎林が広がっていた。金属の精製のため木を切りつくしたこの界隈にも、まず草が茂り、次第に若木が育つようになっている。山の生命力の強さに感服しながら、斜面を下った。


 谷あいにポツリと小屋が建つ。外壁は蔓草に覆われ、廃墟にしか見えない。リズムをつけて扉をノックすると、内側から用心深く開いた。


 マサキを認めてさらに扉を開けるサクラの足元から、ちょろりと滑り出す影があった。


「あ、こら」


 素早く伸びたサクラの手に抱え上げられ、ハジメは小さな手足をばたつかせた。口をへの字に曲げ、救いを求めるようにマサキを見上げてくる。


 たちまち頬を緩め、マサキはサクラの手から少年を受け取った。替わりに、持ってきた包みをサクラへ手渡した。


 包みの中は、穀類や干し肉、乾燥果物など日持ちのする食材だった。毎日少しずつ市場で購入しては、こうしてまとめて持ってくる。

 サクラはいつも眉尻を下げ、困ったような顔をしながらも受け取った。

「いつもありがとう。おいくら?」

 値段を聞かれ、サクラには内緒で実際よりやや安い価格を答えるのが常だった。


 ハジメが腕を踏んで、身体を伸ばした。マサキの頭を掴んで肩へよじ登る。そのままストンと肩車の位置に納まった。


「お。そんなことが出来るようになったのか」


 むき出しの細い膝をくすぐってやると、喉の奥を震わせるように無音で笑う。


 一般的な四歳前の子供と比べると小さい。人目を避け隠れ住む生活で、言葉も遅れている。それでも、会う度、確実に成長している様子をみると心が洗われた。


 おもむろにマサキは背中を丸め、頭を下げた。短く息を吸ったハジメが、ころりと肩から落ちる。それを腕に抱きとめた。

 引きつっていた顔が、マサキを見上げるとニパと笑う。床へ飛び降りるとすぐさまマサキによじ登り、もう一回といわんばかりに足でトントンマサキの胸を叩いた。


「それ」


 さっきより勢いをつけて落とし抱きとめると、口を開け、声を出さずに笑う。


「あーあ、鼻の下をのばしちゃって。すっかりおじバカね」


 サクラが呆れたようにお湯を沸かし始めた。疲れた顔が僅かに明るく微笑んだのを認め、マサキは内心、安堵した。


 腕の中のハジメが、鼻をひくつかせた。臭いを辿るように、マサキの懐へ顔を寄せ、上着をめくった。


「見つかっちゃったな」


 上着の内ポケットに入れていた包みを取り出す。油紙を開くと、ハジメが小鼻を膨らませて息を吸った。

 粉を練り薄く延ばして乾かした生地で干した果実を巻き、多めの油で揚げ焼きにした菓子に、目を輝かせて見入っている。


 ハジメがサクラを見上げた。


「いいわよ」


 了承を得て手を伸ばすまで、瞬きが終わるより速かった。両手と口の周りを油でべたつかせながら、威勢良く食らい付く。半分ほど食べたところで、つとマサキを見上げてきた。


「いりゅ?」


 うろたえたように眉尻を下げ、食べかけの菓子をマサキの口元へ差し出す。


「俺たちのはあるから、ひとりで食べてもいいんだよ」


 頭を撫でると、嬉しそうに頷き、はぐはぐと続きにかぶりついた。


 茶を注ぎ、湯を注ぎ足すためポットの蓋を開けたサクラが小さく声をあげて顔を顰めた。


「ちゃんと冷やしとけよ」


 声をかけると、サクラは拗ねたように顔を背けた。相変わらずの不器用さに、マサキはそっと笑った。

 器に茶を注ぐだけでも、こぼさずに出来ない。そんな彼女を、目を細めて眺めた。


 気が付くと、膝の上からハジメがマサキをじっと見上げていた。小さな口の周りに菓子の食べかすがいっぱい付いている。指の腹で擦り取ってやると、いやいやと逃げようとした。


「こら逃げるな」

「やー」


 半分本気で、半分ふざけてハジメは身をよじった。茶を置いたサクラが膝から落ちそうになる息子を抱き上げる。


「ほら、おじちゃんは疲れてるんだから、こっちに来なさい」


 抱いたまま膝に座らせようとする母親を、ハジメはじっと見上げた。マサキを見て、再度サクラを見る。


「まちゃ、いい」


 めい一杯伸ばされた細い腕に、マサキの表情がめろめろに溶けた。名前を呼ばれたのも初めてだ。


「よーし、こっちに来い」


 抱き取る気満々で腕を差し出すが、サクラが厳しい表情で遮った。


「マサなんて呼んだらダメ。いい、この人のことはおじちゃんと呼ばなきゃ」

「おいちゃ?」


 差し出した手のやり場に困り、マサキは苦笑した。


「名前で呼ばれるのは嬉しいし。なんでもいいよ」

「だめ。いざって時にあなたの名前を出したりしたら」


 声を詰まらせ、サクラはハジメを抱く腕に力をこめた。彼の柔らかな短い癖毛に埋めるように顔を隠され、マサキも言葉を失う。


 彼女が抱えているものの大きさが、ふいにのしかかってきた。数ヶ月の間に四度も仲間に裏切られたとあっては、神経質になるのも無理はない。


 きゅう、と小さく喉を鳴らし、ハジメが泣きそうになる。大丈夫、と微笑みかけるが、不安そうに母親とマサキを見比べる姿に胸が痛んだ。


「ごめんね。もう平気」


 涙を浮かべながらも微笑み、美味しそうだねと菓子の話題へ気持ちを反らすサクラに合わせながら、マサキは小さな胸の痛みを感じ続けた。


 やがて、マサキの膝の上でハジメがうつらうつらし始めた。汗ばんだ頭を腕にもたせかけ、すっかり寝入るまで時間はかからなかった。


「やっぱり、マサが来てくれると興奮しちゃうのね。寝つきがいい」


 愛しそうに息子の額へ張り付いた髪を撫で上げながらも、サクラの目に涙が盛り上がった。


「ごめん。正直、時々この子の存在が重いの。大切な息子には変わりない。なのに」


 ぽろぽろと転がり落ちる涙もそのままに、サクラは自分の膝で拳を握った。長めの短衣の裾に皺が寄る。


 マサキは静かに頷いた。腕の中のあどけない寝顔を見つめる。


 細い顎、柔らかな癖毛。目元はややセオ寄りだが、全体的にサクラの幼いときを彷彿させる。


 しかし、隠しようもなく、セオから引き継いだもの。


 淡く光を受け輝く金色の髪と、陽だまりのような温かな目の色。ハジメは、完全にテゥアータの形質を持って産まれていた。


 逆であればと、何度も考えてしまう。いくら顔がセオに似ていても、栗色の髪、明るい茶の瞳であれば、もっと普通に生活ができたかもしれない。

 このまま、限られた人との関わりのみで育てるわけにもいかないが、人前に出せばたちまち「狩人」の餌食となる。


 その重圧を、サクラは一身に背負っていた。


 俯き、涙を拭う彼女の髪を撫でようと上げた手を、気付かれる前に下ろした。


 本当なら抱きしめたい。サクラが涙で悲しみを洗い流せるまで、この腕に抱きしめておきたかった。


 しかし、彼女はまだセオを愛していた。


 マサキは、密かにため息を漏らした。

 たった、三日だった。あと三日サクラとセオが地郷での生活を無事に過ごせたなら、ハジメはテゥアータ国で平穏な日常を送れただろう。声をあげてほかの子供と遊び、元気に走り回っていたかもしれない。


 笑うときも、泣くときも、ハジメは声をたてない。山の風に運ばれる声で存在を知られないよう、サクラが用心しているうちに身に付いた行動だった。

 それがまた、不憫でならなかった。


 現状でマサキに出来ることは、時折訪れて母子の気を紛らわせることだけだった。

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