第七章 開花までの十日間
Ⅶ-1 謎の思念の正体
新しいミカドが立ち、町は祝賀ムードで溢れていた。時計塔広場では久しぶりに市が並び、ミカドを讃える舞が披露された。寒風の中、ご馳走を振舞う屋台には長い行列ができた。
帰還五百周年記念式典に比べると随分簡素なものだったが、民の顔に笑顔が戻った。
しかしそれは、地球人種に限った話だった。
外の賑やかな喧騒と裏腹に、暗いがらんどうな部屋の隅では、テゥアータ人の一家が抱き合って震えていた。若い夫婦と幼い子供。どの顔にも、恐怖が浮かんでいた。
「今、飛空間と繋がりますから」
セオは柔らかに微笑みかけるが、彼らの震えは止まらない。
無理もない。彼らは界の綻びから地郷へ落ち、心無い地球人種たちに追われ続けた。セオが思念を辿りこの空き家にたどり着いた時には、恐怖と飢餓により発狂寸前だった。
セオは努めて柔和な表情を保ちながら、飛空間で待機する役人に呼びかけた。相手の反応が得られると、さらにこちらから発する思念を強める。
王の力は、飛空間では霧の中で発せられるほのかな光と見えるらしい。それを目指して、局所的に細く飛空間が伸ばされてきた。これが、力の行使が制限された地郷とテゥアータの空間を結ぶ橋となる。
壁の木目が揺らいだ。陽炎を通して見るように、輪郭がぼやける。やがて、そこに何色とも表現しかねる光の帯が現れた。
「さあ、これで国へ帰れますよ」
一家のやつれた顔に、ようやく笑みが浮かんだ。立ち上がり、母親が子供の手を引く。ふと感じた弱い思念に、セオは辺りを見回した。
『どうかされましたか?』
飛空間から
感情になる前のほんの微かな思念が、途切れながらも続いていた。が、明確に掴もうとすると、霞のように消える。
この空き家に近付いた時から感じる不思議な思念を、最近セオは別の場所でも頻繁に感じ取っていた。
(危険なものでなければいいが)
腹に手を当て、母親が頭を下げた。子供の手を引き、光の帯に飲み込まれるように姿を消す。続いて、父親が深々と叩頭した。
『三名、お引き受けいたしました。いや、四名かな』
「どういう意味ですか」
『お腹に赤ちゃんがいらっしゃる』
肯定する夫婦の思念が、
セオは頬を緩めた。あの淡い思念の正体が分かり、胸をなでおろす。
『それでは、リーディもあと十日ほどですね。お気をつけて』
光の帯が薄れ、消えた。
セオに残された地郷での時間はあと十日。焦りに背中を押され、空き家を後にした。
あの一家は運が良かった。執拗な追っ手から逃れ、身を隠すことが出来た。しかし、駆けつけたとき手遅れになっていることのほうが多い。
冬から春へ移り変わろうとする地郷は寒暖の差が大きく、護衛のサクラも体調を崩しがちだった。隠れ家で待っていることが増えた。
もっとも、セオは極力サクラの同伴を控えるようにしていた。彼女が協力者として通報されれば、セオ同様指名手配される。
彼女を今より危険に近づけたくなかった。
それにしても、とセオは先ほどのやりとりを思い返した。
胎児の思念。
そのようなものがあるとは知らなかった。地郷で働く間も何度か妊婦と接したが、他のことに気をとられていたためか、か細い思念を見落としていた。
それだけ神経質になっていると自覚し、苦笑した。
ふと、首を傾げた。
(だとしたら、最近感じてるあれは?)
家で寛ぐとき、危険に囲まれている同胞を救いにいくとき。その思念は風に運ばれた何かの香りのように微かに漂い、過ぎていく。
(もしかして)
行き当たった答えを確かめたい衝動にかられ、セオは走った。これからもう一件仕事が入っていたが、居ても立ってもいられない。
隠れ家にたどり着くと、合図のノックももどかしくドアノブを回した。内側から鍵が開けられ、サクラの険しい顔が覗いた。
「追われているの?」
素早くセオを引き込み、拳銃を構える彼女を後ろから抱きしめた。彼女の腹部に当てた手へ意識を集中させた。
「いきなり、何?」
怒りと戸惑いを織り交ぜたサクラの抗議をものともせず、セオは目を輝かせた。
「いるんだよ、ここに」
興奮のあまり囁き、振り返ったサクラにキスをする。
「ちょっと、どうしたの、セオ。いるって、どういうこと?」
「子供!」
「も?」
「私たちの」
「の?」
宙を彷徨っていたサクラの焦点が次第にセオの上に定まり、半信半疑で腹部を撫でた。
「え……でもどうして分かるの?」
「感じるんだ。すごく弱いけど、確かな思念を。ほら、また」
ふわ、と綿毛のように掠める思念の感じをサクラに伝えられない。セオは焦れながらも、胎内からのメッセージを捉えようと必死だった。
「元気そうだ。多分、おとこ、かな」
「そんなところまで分かるの?」
「確定じゃないけど、そんな気がする」
感極まり、セオはきつくサクラを抱きしめた。まだ戸惑いの消えない彼女の唇を奪い、長く放さなかった。
「ん、苦しいってば」
もがきながらも優しく応えてくれるサクラと何度かキスを交わし、セオは溢れる歓喜に、つい涙ぐんだ。
「嬉しいよ。君たちは、私にとって初めての家族になるんだ」
切望していたつもりはない。憧れは自覚していた。
魔導師見習いとして寄宿舎に居た頃、休暇になれば学友は家族の元へ帰っていった。
城で働き始めれば、同僚は地方の家族への仕送りが大変だと、ぼやきながらも誇らしげだった。
セオにだけ、迎えてくれる家族も、仕送りを求める家族もなかった。そういうものだと諦めながら、そっと彼らから距離をとらざるを得なかった。
今ようやく、未知なる家族に含まれる喜びに、セオはサクラへほお擦りをして、繰り返し礼を言った。
「初めての家族、かぁ」
サクラの両手がセオの顔を挟みこんだ。そして、明るい茶色の瞳が笑いかけてくる。
「じゃあ、ハジメ、だね。この子の名前」
「いいね、決まり!」
「あ、でも、まだ女の子の可能性もあるんだっけ」
「そうしたら、次に生まれる子にとっておこう。次も女の子だったら、その次に」
「大家族になっちゃう。女の子の名前でも可笑しくはないんだから」
サクラの笑い声に合わせ、ハジメの思念もひときわ明るくセオの胸に広がった。
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