第四章 空を舞う怪文書
Ⅳ-1 現在と過去の謎
指定の集合時間を僅かに過ぎていた。
マサキは急いで、抱えていた紙束を用意された麻袋に詰める。癖の付いた大量の紙で膨れた袋は、重くはないが嵩があった。
これで三袋。事務室に並べて置かれているのを見ると、薄汚れた服の浮浪者が三人背中を丸めてうずくまっているようだ。
どの地郷公安支部でも、同じくらい回収したと報告に上がった。いつもの不機嫌そうな仏頂面で、支部長が皆を見回した。
「反逆性が認められる。今後も、所持している者があれば、速やかに没収しろ」
緊急招集により集まった部員は班ごとに固まり、資料用の文書を回覧した。
狭い事務室に十六名全員が集まると、蒸し暑く、息苦しさすら感じられた。支給されたばかりの夏服に、汗が染みていく。
マサキの班に資料が回ってきた。
使われている紙は、地郷公安部で事件簿に使用している紙同様、縦横比三対二ほどの用紙で、短い辺は掌をいっぱいに広げた親指の先から小指の先までの長さ。活版と見られる活字で印刷されているが、活字をただ並べただけで、字間が調整されていない。
紙の上部に小さな穴があり、ものによってはそこから破れかけていた。穴の位置は、全てが同じというわけではなかったが、ざっと八割は一致している。
ノリナが眉をしかめ、眼鏡の弦をつまむとレンズを目に近づけた。
「これって、五年前の未解決事件と関連がありそうね」
支部長が重く頷く。
「本部でも、その筋を探っている。しかし、例の事件では容疑者の一人は処刑され、一人は取調べ中に獄中死している。新たな人物が関わっている可能性も大きい」
気だるく形だけ目を通したアオイから、マサキへ資料が回ってくる。一読し、マサキは首を傾げた。
『……。テゥアータ人がこの星の侵略者であるという説は間違いである。彼らは古来からこの星に住まわっており、地球人種と同じ祖先から発した人類である。それを証明するデータは地郷中央研究所でも認められているものであり、近い未来、環境に合わせて地球人種の外観は次第にテゥアータ人のそれと似通ってくると予測されている』
「あの、どのへんが反逆になるのか、分からないのですが」
恐る恐るアオイに聞くと、彼は支部長に見咎められないよう、こっそりと欠伸をしながら答えた。
「文書にあるデータを、政府は認めていない。はったりか、テゥアータ側の捏造だと言われている。異星人である奴らがこの星を乗っ取ってた、ていうのが正式見解だから」
声は低められていたが、斜め前にいるシズクに聞こえたのだろう。彼女は、ビクリと肩を震わせた。
さらに問いを重ねようとするマサキを、チハヤの張りのある声が遮る。
「この文書を撒いた者の意図が、民衆にミカドに対する懐疑を植え付け、煽ることであるならそれは明らかな反逆罪だ。新庁舎への移転作業で多忙なときであるが、捜査官を中心に情報収集に当たれ」
まだ腑に落ちない部分があった。しかし、マサキも皆に合わせて返答すると、資料をフタバへ返した。
先日、新しい庁舎が完成した。今の事務室にある大量の書類を、手の空いた支部員で少しずつ移動させているが、壁の半分はいまだにファイルの箱で埋まっている。
夜番明けだったが、マサキは袖をまくった。玄関を通るついで、と、箱のひとつを抱えあげる。側面を押され、軽く合わせただけの箱の上部が開いた。中のファイルの背に書かれた文字が目に留まる。
過去の未解決事件をまとめたものだ。
先ほどのノリナの言葉を思い出す。
五年前の日付を探し、該当すると思われるページを開いた。担当した支部、捜査官、容疑者の名前や事件の概要が、几帳面な字で書かれていた。
(え?)
肩に重い衝撃を受け、ファイルを落としそうになった。振り返ると、支部長がマサキの肩に手を置き、目だけで見下ろしていた。
「勤務、ご苦労。さっさと帰れ」
「退勤ついでに、ひとつだけ運んでおきます」
慌ててファイルを元に戻し、箱へ手をかけ直す。腰を落とし足に力を入れ、持ち上げた。玄関に置いた荷車まで運ぶのも、結構な重労働だ。荷物の重みのせいで顔を顰めていると思われるよう、努める。
五年前に起こり、未解決のまま終わっている事件は、ひとつしかなかった。
チハヤの淡々とした口調、記憶にある終焉と異なる内容に、事件の類似を認めながら同一のものという考えを捨てたのだが。
瞼の裏に焼きついた文字が消えない。
『マリ(46)科研町在住。取調べ中に心不全により死亡』
幼馴染みであり、恋人でもあったサクラの祖母に間違いない。
確かにマリは地郷公安本部に連行され、息子であるチハヤの主導で拷問にかけられた事実がある。しかし、釈放されたはずだった。
担当捜査官として、チハヤの名も無かった。
(親父は、一体何をした)
考えうる事象を並べるうちに、首筋の辺りに鳥肌が立ってくる。
マリは、無罪確定で釈放されたのではなかった。逃亡し、マサキの父が匿った。本部の牢は警備が厳しい。いかにして逃亡したのか。父は、事実を知った上で匿ったのか。疑問が尽きない。
ふと、帰省した折の呟きを思い出す。
『無茶しなければいいが』
(もしかして、サクラが)
祖母の隠した文書を見つけ、何らかの方法で印刷、拡散を試みたのか。
マサキは頭を振った。強引に、その考えを振り払う。
地郷で活版印刷を扱えるのは、地聖町にある出版社のほか、各町にある新聞社のみ。それぞれ厳重に管理され、悪用される隙はない。
荷車へ資料を載せると、ため息交じりのシズクが玄関から出てきた。
思わず呼び止める。普段柔らかな笑顔を絶やさない彼女が、酷く落ち込んでいるのが気になった。
「三班の通信士がね、引継ぎのときも厳しくて」
マサキを安心させるように笑みを浮かべるが、朝の光を受けても弱々しさしか伝わってこない。追いついたノリナが、眼鏡を押さえて頷いた。
「厳しいんじゃなくて、完全な嫌がらせよ。あの人、大のテゥアータ嫌いだから。隣で聞いていても辛いわ」
三班通信士の顔を思い出そうとしたが、引継ぎの時見かけているはずなのに、あまり記憶に無い。ジュンヤへの引継ぎは、日誌とメモで事足りるためマサキの退勤は早く、三班通信士の出勤はいつもギリギリだからだと、ノリナに指摘されて気が付いた。
「正直」
と、ノリナはチラリとシズクを見た後、決まり悪そうに目をそらせて続けた。
「私も、この星が留守の間にテゥアータ人に盗られたことには腹が立つけど。でも、シズクは仕事もきちんとしてるし、礼儀正しくていい後輩だと思う。最近事件を起こしている奴らとは、違うと思ってるよ」
「ありがとうございます」
ようやく、シズクの頬に赤みが戻り、路地から差し込む光に目を細めて笑顔になった。襟足を越えるふんわりとした栗毛が、嵐の名残風に乗って膨らむ。
ノリナの掌が、力強くマサキの背を打った。
「沈んでる同僚のために、ここはマサキが美味しいものを奢ってあげなさい」
「給料前ですよ?」
不安になり、財布の中身を確認するマサキに、シズクは首を振って断る。結局、奢りはしないが一緒に朝食を食べることにして、ノリナと別れた。
時計塔前の広場へ足を運び、屋台で軽い食事を買う。
発酵させない生地を平たく焼いたパンで、タレを絡めた肉と数種類の野菜を挟んだものを食べながら、シズクはじっと石畳に視線を落としていた。
「マサキは、どう思う? あれの内容」
うーん、と軽く唸り、マサキは口の中のものをとりあえず飲み込んだ。
「難しくて、よく分からない。だけど、今食べてる野菜のほとんどが、テゥアータ産だということは確かだな」
「そうね」
シズクが、そっと口の端を指先で拭った。
「私も良く分からないけど、あれが本当なら、フタバ班長は救われるのかな、て」
二班の班長であるフタバは、オレンジ色の髪と瞳を持つ女性だ。本来の地球人種の色ではない。マサキはずっと、彼女もシズク同様、近い親族にテゥアータ人がいるものと思っていた。
「違うの。彼女は、家系を辿っていっても地球人種だけの血筋だけど、あの姿で。そのために、お母様は親戚全員から不貞を疑われるし、地郷公安本部に勤めておられるお父様からは、娘として認められていないって」
「初めて知った」
「仕事終わって、女同士で食べに行ったり、お風呂……行ったりしてるから」
少しばかり頬を赤らめて言葉を濁したシズクが、乱暴にパンをかじる。
なんとなくマサキの視線は、彼女のふっくらとした胸元に吸い寄せられていた。厚地の冬服の時には目立たなかった膨らみは、夏服の下で柔らかな丸みを作っている。
(サクラより、大きいかも)
「なんか、想像したでしょ、いま」
ジロリと、上目遣いで睨まれた。
「顔、真っ赤よ」
そういう彼女も、耳までほんのり染まっている。尖らせた唇で、パンに食いつく。野菜を噛み切る小気味良い音がした。
マサキは、片手で顔を覆った。
「全く想像しなかったと言えば、嘘になるけど」
謝るマサキに、シズクは小さく噴きだした。
「そこ、正直に答えるところじゃないでしょ」
クスクス笑い続けるシズクが怒っていないと分かり、マサキは安堵した。それでも再度謝ると、じゃあ、とシズクがいたずらっぽく肩をすくめた。
「今度の非番、付き合ってくれる?」
「え」
「深い意味じゃないのよ。通信士だけど、甘えてちゃダメだなって、思って。射撃下手だから、指導お願いします」
ペコリと頭を下げられた。短い栗毛が動きに合わせて大きく振られ、ふわりと花の香りが漂った。
(親父を問いただしに帰ろうかと思ったけど……農繁期だし、忙しいか)
真実を知る機会を先延ばしにする口実に過ぎないと、頭で分かっていた。けれど、知らされる結果への恐怖も、小さくなかった。
「じゃあ、コウとも時間を調整してみる」
「ありがと」
シズクが、小さな灰青の目を細めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます