Ⅵ-6 裏腹なまま

 店から出ると、晩秋の冷たい風が吹きつけた。乾いた寒さに首を縮め、買ったものを抱えてマサキは路地を横切った。


 重量感のある包みは、地郷公安本部に異動となった先輩射撃手ジュンヤが店に発注していた物だ。なかなか東守口に行けそうにないから代わりに受け取って持ってきてくれと、頼まれた。


 それにしても大量の部品と薬莢だ。よからぬ事を考えている疑いで職務質問されそうだ。思わず、周囲に地郷公安部員がいないか確認してしまった。


包みで不確かな足元に何かが絡んだ。踏み出すと、クシャリと乾いた音をたてる。

 一歩退いて見ると、広場の掲示板から飛ばされてきた人相書きだった。


『指名手配犯の捜査に協力を』


 大きく印刷された文字の下の顔を、マサキは直視できなかった。

 絵師により醜く歪められたセオの似顔絵は、本人を知る者が見れば全くの別人だった。髪と瞳の色の記載によって、ようやくセオのことだと判別できるレベルだった。


『地郷政府転覆を図り、地球人種の生存を脅かす脅威』


 盛りに盛った罪状は、逆に嘘くさい。


 地郷公安部に入るための勉強しかしていないマサキは、サクラの祖父が研究していた遺伝子関係については門外漢だ。それでも、町に出て三年の間に起きた変化だけを見ても、怪文書として始末された論文の内容に納得する部分があった。回収した当時は理解できなかったが、今なら、内容が正しかったと思えた。


(保存しておけばよかった)


 言われるままに、拾った文書を残らず提出したことが悔やまれた。


 吐く白い息も、たちまち風下に流される。ひときわ強い風が吹きつけ、背けた顔にバサリと覆いかぶさるものがあった。

息が詰まる。


「ごめんなさい」


 慌てて駆け寄った女性が、頭部に絡みついた細長い布をはずしてくれた。呼吸が楽になりホッと相手を見て、マサキは呆然とした。

 対するサクラも、半ばうろたえたように目を丸くしていた。


 平静さを取り戻したのは、サクラが先だった。礼を言って、立ち去ろうとした。


 他人となったのだ。このまま素通りすべきだと考えるものの、意志に反して気がつけば声をかけていた。


「元気でやってるのか?」


 サクラの足が止まった。思い切って、マサキはもう一度声をかけた。


「少しでいい。話がしたい」


 話題があったわけではない。少しでもいいから一緒にいたかった。


 振り返ったサクラが、躊躇した末、無言で頷いた。


 彼女が動くと同時に、腰が軽くなった。あ、と思ったときには、携帯を義務付けられた小型通信機が抜き取られていた。

声をあげる前に、サクラの指が口の前に立てられた。そのまま木の根元へ機械を隠すと、サクラは路地裏へとマサキを手招いた。


「マサを疑っているわけじゃないの。だけど、念のため」


 幾分歩いた後に、サクラはようやく口を開いた。相変わらずの用心深さがかえって頼もしく感じられ、マサキは頬を緩めた。


「意外と近くにいたんだ」

「この町は、家賃が安いの。便利だし」


 一つの扉の前に立ったサクラが深呼吸をした。独特のリズムで木の扉を叩き、一拍置いてノブを回す。


(誰かと一緒に暮らしてるのか)


 戸惑うマサキの前で、扉が内側から開かれた。そのことに、サクラが驚きを見せた。マサキは不思議に思った。


 少し待つよう言われ、サクラが先に入る。数秒して、再度扉が開かれた。

 扉の隙間から、胃を引き寄せられる匂いが漏れ出た。


「どうぞ」


 厳かに言われ、マサキは中へ入った。暖炉の火が揺れ、部屋に満ちた料理の匂いが鼻をくすぐる。


 部屋の中はすっきりとして物が少なかった。寝台の側にもう一組の寝具が畳まれ、大きめの鞄が二つ、床に置かれている。あとは必要最低限の調理用具。それらが全てだった。


「いらっしゃい」


 落ち着いた声に、マサキは弾かれたように調理台を見て目をみはった。


「セオさん」

「偶然だね。でも良かった、サクラが君を連れてきてくれて」


 湯気と同じように温かい金色の瞳が細められ、料理を勧められた。

 答えを迷っていると、おもむろにサクラが口を開いた。


「実は、私のほうからもマサキに話したいことがあるの」


 嬉しそうな、そわそわした様子で続ける彼女を、マサキはどこか遠くから眺めている気分だった。


「私、テゥアータに行く。セオの任期が切れるとき、一緒に行くことにした。彼の妻として」


 言葉がばらばらになってマサキの頭を周回していく。意味を理解するのに、とてつもない時間を要した。


「そう、か」

 マサキは笑っていた。

「そのほうが安全だな。相手がセオさんなら、向こうでの生活も安泰だろうし。セオさん、サクラをお願いします」


 深々と頭を下げた。

桜色に染まったサクラの顔に幸せそうな笑みが溢れ、マサキも目尻を下げた。


「発つのはいつに?」

「春の予定。状況次第では早まるかもしれないから、マサキに伝えられるか分からなかった」


 だから今日会えてよかったと、胸の前で両手を合わせるサクラに、セオが微笑んだ。彼の眼差しは慈愛に満ち、温かい。きっと彼女を幸せにしてくれるだろうと、マサキも胸をなでおろした。


 湯を沸かそうとしたセオが、焼き物の水差しを覗いて、サクラへ共同井戸から少し水を汲んでくるよう頼んだ。


 セオとふたりきりになり、再び緊張と戸惑いが入り混じった。

何を話せばいいか、話題に困っていると、調理台に向いたままのセオに声をかけられた。


「彼女は内心、まだ迷っている。本当にあちらへ行くべきか」

 セオの落ち着いた声は、心なしか震えていた。

「私も、迷っている。だからもし、君が引き止めて、彼女が応じたなら」


 マサキへ向き直り、真っ直ぐ見つめてくる金色の瞳に陰りがあった。マサキの胸が疼く。真剣な彼の想いが刺さった。


「そのまま彼女をつれていってほしい。公安側は今、別のことに気をとられて文書の件はほぼ水に流れているはずだ。私に協力した件さえ漏れなければ、地郷で生きる道も拓ける」


 跪き、深く叩頭するセオを前にして、マサキはうろたえた。


答えを探す間もなく、セオがすばやく立ち何事もなかったような顔をすると同時に、扉が叩かれ、開いた。水桶を提げたサクラが、足元を濡らしながら入ってくる。


「俺、やっぱ用事思い出したから帰ります」


 ようやく出てきた言葉すら、マサキは笑顔で発した。

残念そうなサクラに謝り、セオにこの先の安全を祈っていることを伝え、ジュンヤのものである大荷物を抱え上げる。


「サクラ、念のため送ってあげて」


 断ろうとしたが、サクラの頭越しにセオの懇願の眼差しを受けると、マサキは彼女の見送りを受けざるを得なかった。


 路地裏へ出て、警戒しながら歩く。地郷に居る限り、彼女はずっと周囲に気を許すことなく生活していかなければならないだろう。

考えると、哀れに思えた。


「幸せに、な」


 マサキの言葉に、サクラは振り返って頷いた。


「不安もあるけど、決めたから。いろいろ迷惑かけて、ごめんなさい。でも、ありがとう」


 サクラは、薄っすらと涙を浮かべていた。しかし、誇らしげにも見える微笑みに一点の曇りもない。

熟考の末の決意だと、感じられた。


 官舎の通りに出る手前で、サクラに再度礼を言われ、マサキも祝福の言葉を述べて、笑顔で彼女の肩を叩く。


 引き止める言葉は、搾り出せなかった。


(これでいいんだ)


 冬の夕闇に紛れた後ろ姿をいつまでも眺め、頬に張り付いた笑みを擦った。すべて、丸く収まる。


 セオになら、任せられる。時に不安定なサクラを、穏やかに包んでくれるはずだ。

国での地位も高いと思われる。殺伐とした地郷でマサキと添うより、幸せな未来が彼女を待っているだろう。


「まーくん」


 通りの先でコウが手を振っていた。朝番が終わった時間だ。彼の後ろでシズクも笑顔で小さく手を動かしていた。


「それ、ジュンヤさんのか。相変わらず大量だな。まーくん、また地聖ちせいに届けなきゃいけないんだろ?」

「ついでだから、いいけど」

「まったく、まーくん遣いが荒いんだからあの人は」


 大丈夫、とマサキは思った。きちんと普通に笑えている。コウと、他愛のない会話ができている。

だから、俺は大丈夫だ、と。


「なにか、あった?」


 きょとんとするコウの肩辺りから、シズクの灰青色の目が遠慮がちにマサキの顔を覗き込んできた。


「なんで?」


 明るく応えたマサキだったが、シズクが引いたトリガーは、感情の箍を撃ち抜いてしまった。


 一筋流れた涙をきっかけに、平静の仮面が溶け落ちる。膝の力が抜け、その場にへたり込んだ。

 慌てて駆け寄るコウの腕にすがり、マサキは溢れる涙をただ、流し続けた。

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