Ⅳ-6 土砂災害での邂逅
草で覆われた丘陵地を、ウマは駆けていった。木はまばらで、見通しがきく。緩やかな尾根を越えると、谷を生々しく埋める土石が目に入った。
青く茂っていた作物が、無残になぎ倒されている。谷に沿って山を登っていくと、倒壊した家屋が散在していた。
マサキは眉をしかめ、さらに登っていった。
(村人は、無事だろうか)
ウマが鼻を鳴らす。風に乗って、話し声が聞こえた。マサキは手綱を引くと、風上を目指した。
村人は、着の身着のままで尾根上に避難していた。幸い行方不明者も怪我人もいないようだ。マサキは、まず安堵した。
「避難が早かったのですね」
年長と思われる男へ声をかける。彼が、この中でもっとも落ち着いているようにみえた。
男は、白くなった頭で頷いた。彼の腕に抱かれた少女、おそらく彼の孫が、汚れた顔を上げた。
「お姉ちゃんが、逃げろ、て」
聞き返すと、男の妻だろう、側で震えていた女が補足した。
「けたたましい鐘かなにかの音で目を覚ますと、外で叫ぶ声がしたのです。崖が崩れる、高いところへ逃げて、と」
「気のせいだろう。わしは、何も聞かなかった」
男が否定した。周りの者たちも、聞いた、いや聞かなかったと口々に言い始める。
「だいたい、こんな暗い中、崖崩れが起きるかどうか、どうやって知るんだ?」
「私は、地鳴りを聞いたよ」
がやがやと騒がしくなり、マサキは話を整理するために、最初の男に尋ねた。
「とりあえずは、避難されたんですね?」
「子供があんまりに怖がるんでな。そんなことがあってたまるかと外へ出てみたら、礫が転がってきたんだ。慌てて女房に知らせて、危ないところで助かった。家は流れてしまったが」
マサキは、ウマを預け、新たな土砂が流れてこないか警戒しながら谷へ下りていく。心配した男がついてきた。
ぬかるみがあちらこちらに出来ており、長靴が沈んだ。
頭の中に、この辺りの坑道地図を引き出す。たしか、試掘をしたが目ぼしい鉱石が出ず、管理もずさんな坑道が多い場所だ。それに、金属の精製に必要な木材を切り出した結果、山はなだらかに草で覆われた土地になっている。
(雨で崩れたというより、坑道に入った亀裂に雨水が溜まって崩壊した感じだな)
淡い夜明けの光で土砂の流れを遡って観察していくと、集落から離れた上方に一軒、半壊した家が見えた。
「あの家の方も、避難されてますか?」
否定も肯定もせず、男は無言で目を反らせた。
再度尋ねると、別の声が答えた。
「気になさることではありませんて。勝手に色違いを住まわせているんだから」
ふり返ると、この地区の領主だった。
一年前、旭丘村の別の地区の民が起こした東守口支部庁舎襲撃事件の背景には、テゥアータ人へ対する領主の嫌悪があった。目の前の領主も、テゥアータ人に良い印象を抱いていないとみられる。
「ちょっと前に、ひょいっと来た女が借りているんだ。そいつが住んでいるのかと女房が様子を見に行ったら、いたのは別の、色違いの女よ。赤子を産んだばかりで動けないから、しばらく居させてほしいと頼まれてよ」
マサキは尾根に避難した人を見上げた。
赤子も、赤子を抱いた女性もいない。
拳を握り締めると、足に力をこめた。
「おい。にいちゃん」
領主が止めようとするのを振り切り、マサキは谷伝いに登って行った。領主も、最初にマサキが声をかけた男もついてくる。興味をひいたのか、他にも数名が距離をおいて登ってくる足音が続いた。
赤子の泣き声がする。立ち止まり、声をたどると、何本かの木が群生している縁で、顔を真っ赤にして泣く赤子と、それを抱いて呆然としている黒髪の女性を発見した。
マサキはホッと胸をなでおろし、静かに女性へ声をかけた。
「お怪我は?」
女性は口を半開きにし、けたたましく泣く赤子に目もくれず、崩れた家屋を見やっていた。
もうかなり古かったとみられる。上方から転がり落ちた岩を背負う形で、ようよう耐えている格好だ。壁は崩れ去り、柱が傾いている。屋根は引きちぎれんばかりに歪み、地面に垂れていた。
「まだ、あそこに」
女性の唇が震えた。聞き返すマサキは、腕を掴まれた。
「助けてください。あの中に、あの中に」
マサキは半壊の家屋をふり返った。屋根に載っていた小石が、からりと転がり落ちる。
気を引き締め、落ち着いた声で確認した。
「まだ、中に人がいるんですね」
女性は、涙と泥で乱れ髪が張り付いた顔を上げた。濃い藍色の目が、マサキにすがりつく。
「お願い。友達なの。サクラさんを助けて」
息が、止まった。
(だから、予め)
喉の縁まで出かかった叫びを、辛うじて抑える。
今、マサキが身にまとっているのは地郷公安部の制服だ。私情で動くことは許されない。
救助隊は、まだ到着しない。
「行方不明者の捜索を、手伝ってもらえませんか」
かすれる声で人々を見回すが、誰もが決まり悪そうに目を反らせた。領主が、意地悪く顎をしゃくった。
「無理だよ。見てみな、辛うじて止まっているけど、ちょっとつつけば崩れ落ちてしまう。埋まってる確実な場所が分かるならともかく、闇雲に掘るとか、危険極まりない」
もっともだ。しかし、マサキは焦れた。
「見当がつきますか?」
女性に問うが、彼女は涙をこぼしながら頭を振る。
自身、子を抱えて無我夢中で逃げだしたのだろう。白い素足を包む靴もなく、膝下まで泥がこびりついていた。
崖が崩れてどれくらい時間が経っているだろうか。稜線から顔を出した朝日が、谷にくっきりとした影を落とす。
どこに、サクラが居るのか。無事なのか。なんとかして掘り出せないか。
憔悴しきった頭脳は、真っ白に停滞していた。食いしばった歯の間から、声に出来ない叫びが出そうになるのを、必死にこらえる。
(サクラ、どこだ。どこにいるんだ)
「さあ。みんな戻るんだ。畑を耕し直せ」
領主が村人を下がらせる。白髪の男も、申し訳なさそうに目配せをしてくる。
突如、誰もが動きを止めた。
「彼女は、まだ生きています」
静かだが、有無を言わせない声だった。
マサキの脇を、前鍔の帽子を目深にかぶった人物が通り抜ける。鍔の影になり、顔が見えなかったが、声の感じからして男性だと思われた。
領主が慌てて呼びとめるのも聞かず、彼は土石が積もる家屋に近付いた。
耳をすますように立ち止まり、ゆっくり視線を巡らせる。地面まで垂れた屋根で目を止めると、手を当てた。
しばらくそうしていたが、おもむろに辺りを見回し、折れた梁を拾い上げると屋根と地面の間へ差しいれる。
領主が怒鳴った。
「崩れたら、どうするんだ。残っている畑まで、全滅してしまう」
「大丈夫。今なら」
彼は、毅然と領主へ言い返した。足を踏みしめ、梁へ全体重をかけているようだが、屋根はびくともしない。突っ張る腕に筋肉が少なく、帽子から覗く白い肌が紅潮した。
(サクラを、助けようとしてくれている)
霞がかかったようなマサキの頭が、軋みながら状況を把握し始めた。
屋根から落ちた枝が、男性の頭部を掠める。帽子が脱げ、はらりと光がこぼれた。
村人の間に、どよめきが起こる。
癖のない短い髪が、男性の額で光を受けて金色に輝く。肩越しに向けられた瞳もまた、陽の光を思わせる金色だった。
「誰か、手伝ってください!」
誰か。
不特定多数の人々への呼びかけにも関わらず、彼の声はまっすぐにマサキを貫いた。
考えるより早く体が動く。
地郷公安部員が救助に向かったことで、村人たちも呪縛から解放されたかのように駆けだした。めいめい、崩れた家の柱や素手を使って泥を掘り、屋根を持ち上げようと奮闘した。
「ええい、戻れ、戻れ」
領主が地団駄を踏むが、誰も耳を貸さない。
マサキも、テゥアータ人の男性に手を貸した。
屋根が浮き、地面との間に隙間ができる。そこへ、村人が素早く別の木材を差し入れた。ひとりがやや離れた位置から家屋や岩の様子を監視し、掛け声に合わせ、徐々に屋根を持ち上げていく。
砕けた壁材にまみれ、細い手の先が見えた。屋根を支えながら屈みこむと、顔を横に向けうつぶせた女性が見えた。
「サクラ」
我を忘れて叫ぶ。
間違いなくサクラだった。だが、マサキの声を聞いても、閉じられた瞼はぴくりともしない。
「にいちゃん、知り合いか」
汗だくで屋根を抱え上げる隣の村人が、顎をしゃくった。
「引っ張り出してやんな。ここは俺たちにまかせろ」
「お願いします」
マサキは、崩れかけた屋根のひさしから手を離した。もう、地郷公安部の白い制服が泥まみれになることも気にならない。すばやく屋根と地面の隙間に体を滑り込ませた。
家屋が倒れてくるとき、彼女には意識があったのだろう。屋根のひさしと壁、地面が作る空間に出来るだけ体を収めようとしたのか、サクラは足と腰を縮めるようにしていた。お陰で、片足を埋めている土砂を蹴り避けると、脇を抱えて引くだけで体が動いた。
そのまま、極力頭を動かさないよう、少しずつ引き出す。その間も、マサキは歯の間から呻くように声をかけ続けた。
「しっかりしろ。あと少し、がんばれ」
屋根の下から完全に体が出ると、村人たちの間に喝采が起きた。力を抜いた数名が、傾ぐ屋根にあわてて気を入れなおす。
救出したものの、サクラはぐったりとしている。
抱きかかえた感触が、ヤギの骸に余りに似ていたため、マサキはぞっとした。僅かに上下する胸元が、かろうじて生きていることを証明している。
少女が叫んだ。
「お医者様が来たよ」
担架を脇に抱えた男性が駆けつける。頭部を固定し担架へ寝かされたサクラの脈や外傷の有無を、流れるように確認していく。
「よし、運んでくれ」
医者の指示で、村人がふたり、担架を運んでいった。
「屋根を下ろすぞ」
救助の指揮をとっていた村人が掛け声をかけた。持ち上げていた屋根を静かに下ろし、地面に着くと即座に高みへ駆けあがる。礫が、パラパラ落ちてき始めていた。
全員が退散した直後、地面が振動した。
家の背後にのしかかっていた大きな岩がずれ、辛うじて踏みとどまっていた柱をへし折った。嫌な音をたて、家は完全に崩壊する。大量の土石が、下流へ押し流されていった。
「危なかったねぇ」
老女が、赤子をあやしながら藍色の目の女性の背を撫でた。
「あんたも泥だらけじゃないか。幸い、うちは無事だから、おいで。娘の服があるはずだから」
医者が村人の間を回り、手当が必要な者には麓にある自分の診療所へ来るよう、声をかける。
領主は引き結んだ唇を戦慄かせながら目玉をギョロギョロ動かすが、村人たちを怒鳴りつけることはしなかった。できなかったのかもしれない。
一通り村人の様子を確認した医者が、マサキと並んで立つテゥアータの男性を見上げた。
「セオ、手伝ってもらえるかな」
「分かった」
軽く手を挙げ、先に下山する医者へ答えると、セオがマサキをふり返った。
「君も、手当をしてもらったほうがいい」
指さされる掌に、細かい傷が無数についていた。ささくれた木材や屋根を素手で抱えたからだろう。救助に夢中で気が付かなかったが、血の滲みを見たとたん、チリチリと泥が染みた。
「戻ってから手当てします。一応、勤務中ですから」
「彼女のこと、気がかりだろ」
男性が小首をかしげる。
心が揺れた。
私的なことで、サクラに付き添うことはできない。が、叶うものなら、意識が戻るのを確認したい。状況の報告は、通信でも可能だ。それに、本来の自分の勤務時間は終わっている。
迷っていると、セオがくすりと笑った。
「私は先に下りるから。もしマサキ君がよければ、診療所に寄ってくれ」
「あ、はい」
思わぬ声かけに戸惑い、下山する後ろ姿をいくらか見送ったところで気が付く。
(俺、いつ名乗ったっけ?)
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