Ⅳ-5 射撃手が一度は通る道
地聖町の射撃練習場からの帰り、顔見知りの本部捜査官に強盗の追跡応援を依頼されたコウは、容疑者の後を追って狭い道に入った。
だが、威嚇発砲した弾が地面で撥ね、近くにいた路上生活者の子供に当たってしまう。子供の怪我は命に別状のないものだったが、側に居た男が激怒して、水瓶を振りかざし殴りかかった。
咄嗟に撃った弾により、男は即死。
支部長がとつとつと語る本部からの報告を、マサキは身を堅くして聞いていた。
新しい庁舎の小部屋に、支部長の低い声が響く。各班の班長とマサキ、三班の射撃手ジュンヤの六人が、重く黙り込んだ。
「追跡協力について他の本部員と連絡がうまくいっていなかったこと、コウが私服であったこと、使用した銃が私物であったことが拘束の理由だ。近くにいた捜査官の証言で正当防衛は認められたが、コウ自身が酷く取り乱している。しばらく安静にした方が良いとの判断で拘留が決まった。自傷行為に繋がるものを排除した独房で、様子をみる」
マサキは膝の上で拳を握った。
入部手続きの際見学した本部の独房。陽の光も閉ざされたがらんどうな空間で、膝を抱え座り込むコウの姿を想像すると、息が苦しいほどに胸を締め付けられる。
「本部は今、文書事件の捜査と受験に人手を取られ、一時的な射撃手の補填が困難だ」
支部長が背筋を伸ばした。一同へ視線を回し、平常時の、くぐもっているが威厳のある口調を取り戻す。
「今より、非常時の一斑射撃手としてチハヤが班長と兼任してあたれ。マサキとジュンヤは従来の班で行動するが、非番の際も緊急呼び出しに即時対応できるよう、自宅待機を命じる」
「行動が制限されるが、東守口から出ない程度でいい。私ひとりで対処できない程の事件であれば、従来通り、時計塔から警報が発せられるだろう」
チハヤが補足した。
会議の終了が言い渡され、隣席のジュンヤが、腕を組んで背もたれへ体重をかけた。大きく息を吐き、天井をあおぐ。
「射撃手の通過儀礼とも言えるからなぁ。コウは心配ないと、思っていたが」
意味を問うマサキに、ジュンヤは頭を掻いた。
「お前の方が、精神的ダメージ大きそうで注意が必要だと考えていたんだ。コウなら、落ち込む程度でやり過ごせるかと」
「それって、コウが非情だと?」
「そういう意味ではない」
チハヤが口を挟んだ。
「その時にならねば、誰がどうなるか分からん。命令を受けての射殺と違い、誤射によって命を奪うとなれば、たいていの者は取り乱す。私は、コウが必ず近いうちに復帰すると信じている」
チハヤも、班長に昇格する前は射撃手だった。経験からにじみ出る言葉とあって、説得力に満ちていた。
「まあ、私も、マサキは容疑者にすら同調しやすいという点で、誤射などした場合のショックが大きいのではないかと心配しているが」
付け足し部分に、昼の容疑者逮捕でとったマサキの行動に対する咎めを感じた。
俯き、唇を噛むマサキの背中を、フタバが力をこめて叩く。
「貴様が落ち込んでどうする。コウが不在の間、寝込む暇もないぞ。さっさと帰って体を休めろ」
相変わらず、力の加減をしない女性だ。息が詰まり、マサキは咳き込んだ。その目の前に、紙袋が提げられる。
「晩飯もまだなんだろう? 食って寝ろ。二班が出動できず、すまなかった」
紙袋には、二班全員から労いの言葉が書かれていた。怠惰からマサキを身代わりにしたアオイも、隅に小さく『ごめん』と記している。
マサキが口を開くより早く、フタバはオレンジ色の髪を揺らして退室した。
扉が閉まると、三班の班長がマサキへ片目をつむった。
「応援要請を受けたのは二班だ。自分たちが出動するって、なだめるのが大変だったぞ」
二班は留められ、非番の一斑が召集された。その理由に思い当たり、マサキは支部長を見上げた。
テゥアータ人を擁護し、地郷政府のあり方に異を唱えたカイトに怒りをぶつける群衆の前に、テゥアータの形質を持つフタバやシズクが出て行けばどうなるか。
せっかくの休日を返上しながらも、不満そうな素振りひとつ見せず駆けつけた一斑の面々にも頭が下がる。
二班の人たちが見繕ってくれた夕飯を食べた後、マサキは官舎の寝台に横になった。昼の蒸し暑さは和らぎ、細く空けた窓から肌寒いほどの涼風が流れてくる。瞼を閉じてみるが、夕方の疲労が嘘のように、眠気は遠のいていた。
眠ることを諦め、体を横に向け壁をみつめた。壁のあちら側、家屋間の隙間を挟んだ向こうがコウの官舎だ。
出勤とは別の理由で空いている隣の空間が、ひどく空ろなものに感じる。
支部襲撃事件が解決したときは、シズクも交え三人でマサキの部屋に食べ物を持ち寄り夜が更けるまで語り合った。
今日も、コウが居れば集まっていただろう。
一日を思い返す。改めて、カイジュ支部長の下に配属されて良かったと思えた。支部の温もりを再認識すればするほど、コウの復帰を強く願わずにいられなかった。
自宅待機、と言われても、官舎でまんじりとしていては事を悪い方向に考えてしまう。コウが本部に拘留され日にちが経つごとに、マサキの心は重くなっていった。
チハヤが何度も本部へ足を運び、専門の医師と共にコウと話をしているようだが、詳しいことは伝わらない。ただ、状況が少しずつ良くなっているとだけ、支部長から聞かされた。
「非番のときに、取調室を使わせていただきたいのですが」
マサキが申請したのは、細い雨が降る夜番の席でのことだった。フタバに理由を問われ、俯く。
「官舎にこもっていても気が滅入るばかりですし。先日、資料庫で欠損ファイルが見つかったのを、取調室で作業しているほうが気が紛れるかと」
「欠損は、アオイの責任だ。奴の管理不足で、焼失ファイルリストから漏れていたのだから」
難色を示したフタバだったが、しばらく顎に細い指を当てて考える。
「支部長に、相談してみよう。この天気だしな。確かに気が滅入る」
窓の外に、幾筋もの水が流れ落ちていた。雨は強くなったり弱くなったりしながら、数日続いている。
あれから、本部ではカイトの「取り調べ」が続いていた。
彼は一貫して単独での犯行を主張し、捜査本部も共犯者の有無を確定することができていない。
捜査協力要請は依然、各支部に出ており、捜査に関わる様々な書類の複写が配られ、複写が容易でないものに関しては回覧されていた。
机上では、シズク達が興奮の面持ちで資料を囲んでいた。東守口の新聞社の家宅捜査の結果を図示したものだ。テゥアータ産の油が香ばしく燃えるランプに照らされた図面は、見事な出来栄えである。
「マサキ、実物を見たんでしょ。比べてみて、どう?」
シズクが目を輝かせる。精密に印刷機械を写し取った図面を隅から隅まで確認し、マサキは頷いた。
「うまいな。細かいところまで描写されている」
インクを染ませたローラーを回す取っ手の傷、活版を置く台の汚れ、機械の縁や台座にこぼれたインクの筋。あらゆるものが克明に描かれている。
余白には、倉庫内の物品の配置が簡単に描かれ、この機械が、廃棄すべきものに囲まれ、部屋の角にうずもれるよう置かれていたことも記録されていた。
押収や保管が不可能、または困難な証拠品について、詳細な図を作成する絵画官が、地郷公安本部にはいた。人相書きも彼らの仕事だが、捜査官の指示に従い、必要な角度から証拠品を紙面に写し取っていく。
「いい仕事してるなぁ」
嘆息し、アオイが淹れてくれていた茶へ目を向けた。
まだ触れてもないのに、液面で反射する光がゆらりと動いた。一瞬めまいを感じ、目を閉じる。
(さすがに、疲れが出てるかな)
苦笑して顔を上げた。
ノリナが眼鏡の鼻あて辺りを押えている。フタバはこめかみ辺りに指先を当て、アオイは拳で軽く額を押える。
「今、揺れた?」
シズクが、視線を宙に定める。耳をすませている姿に、マサキもその音を聞いた。
遠くだ。
しかし、足元に響くものがある。
通信機がけたたましく静寂を破った。迅速に応対したシズクの顔色が青ざめる。
「旭丘村にて、土砂崩れが発生。村役場から救援の要請です」
「救援部へ連絡を。アオイ、支部長をお呼びしろ」
即座にフタバの命令が発せられた。
アオイが身をひるがえす。
机上の仕事は人より遅れがちだが、彼は東守口支部内で最も俊足だ。たちまち、夜明け前の暗がりに姿を消した。
「被害は」
「暗くて、詳細は不明だそうです。何名かは屋外に避難した後の模様」
シズクの報告に、フタバは眉を上げた。
「対応が早いな」
程なく、息を荒げたアオイが駆け込み、マサキが差し出す茶を一気飲みする。遅れて、シャツのボタンを留めながら支部長が走り込んだ。
「公安としても、被害状況を確認したい。この中でウマに乗れるのは」
弾かれたようにマサキは挙手した。しかし、コウが不在の今、射撃手が町を空けるわけにいかない。思い直して、他に誰か、と見回したマサキは、拍子抜けした。
「なんだ。マサキだけか」
支部長も、呆れたように三白眼を動かす。
「恐くて、まだ」
「背が低すぎて、鞍に登れなくて」
「動物、きらいだし」
「ウマのほうが逃げていく」
四人とも、決まり悪そうに支部長から目を反らせていた。
仕方ない、と呟き、支部長はシズクにウマの手配を命じた。
「朝番は一班か。チハヤなら、有事でもなんとかなるだろう」
「マサキみたいに、もっと日頃からスキルアップしてないと駄目ね」
ノリナが項垂れた。
「今さら、身長は伸ばせませんよ」
「まあ、そうだけど。悲しいこと言ってくれるじゃない」
しょんぼりと、地図を差し出された。
支部長からは、小さな包みを渡された。
「使え。見ていたから、操作可能だろう」
開くと、シズクの目が見開かれた。マサキの腕にすがりつくように、手元を覗き込んでくる。
「最新型の通信機じゃない。いいなぁ」
カイトを逮捕したとき、本部員が使用していたものと同型だった。
「電波がどこまで有効か、試験も兼ねる。通じなければ役場に頼め」
「了解」
念のため、機械に詳しいシズクから簡単に説明を受けたころ、東の空が白み、ウマが届いた。
鼻を鳴らすウマの首を撫で、よろしく頼むと声掛けをして鞍に跨る。
ぶるりと体を震わせたウマは、一度その場でぐるりと一周すると、マサキが手綱で導く東の山へと首を向けた。
寝静まった道に、蹄の音が響く。
雨は止んでいた。支部長が濡れずに来られたことを思い出す。黒い雲は、東の稜線に残るだけだった。
マサキは首を回し、西の空を見た。
白い月が、淡く浮かんでいた。
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