Ⅳ-4 知られてはいけなかったこと
空気が全体的に赤みを帯びている。夕焼けと湿気、暑さが肌に絡みつく。人々の悲鳴と怒号が、空気にさらなる粘度を加えていた。
護送車に繋がれたウマが、興奮して蹄を打ち鳴らす。なだめ続けるウマ係が、恨めしそうな視線をマサキたちに送ってきた。
捕り物の噂を聞きつけた町民は、あっという間に新聞社を取り巻いた。増えていく人垣に、本部員が気だるく舌打ちした。
「ったく。あの技師の宣伝能力はたいしたもんだな」
盥を手に戻った活版技師は、社長室の状況を見るなり、窓を開け放って副社長逮捕の報を叫んだ。
新聞記者魂というべきなのかどうか。
マサキは、そっとカイトの横顔をみやった。
彼は、最初に通信で呼ばれた本部員二人に両脇を抱えられている。俯いた顔に浮かぶ表情はない。あれからは一切の抵抗をせず、指示に従って大人しくしている。
「やっとおでましか」
欠伸交じりの本部員が目をやる方の人垣が揺れた。カイジュ支部長を先頭に、非番だった一班の数名が野次馬の群れを掻き分け近付いてくる。
ただちに一班支部員が野次馬を押しやり、玄関から護送車まで、三人が余裕をもって横並びできるだけの幅を確保しにかかる。支部長のみが新聞社の玄関へ走りよった。
支部の頭である支部長が本部捜査官へ敬礼する姿を、マサキは不思議な気持ちで見た。
護送車の後部扉が開かれる。
玄関から車まで十歩もないが、カイトを引き出した途端、人垣が押し寄せる。
石が飛んだ。ひとつが多数を呼び込み、罵りと嘲り、憎悪を載せたあらゆるものが容疑者へ投げつけられる。
「下がれ。これ以上邪魔をするなら逮捕も厭わんぞ」
本部員の怒鳴り声も、最前列にしか届かない。
石の一つが、カイトのこめかみに当たった。
血走った眼の男が、次の石を構えて迫っている。一班の捜査官が両腕を広げて押さえるが、男はその腕をかいくぐって踏み込んだ。
車まであと一歩。カイトの脇を抱える本部員が、身を固くした。
「裏切り者が」
振り上げられた男の腕が止まる。
マサキは、カイトと男の間に静かに立ちふさがったまま、じっと男の顔を見た。
粉を扱っている店の者だろう。男の顔には、白い粉が汗でこびりついている。精を出して働き、家族を養い、仲間と談笑する日常を送っているに違いない。
彼は、ごく普通の、一般町民だ。
普段、石を手に、人を攻撃する人物ではない。
そう思うと、無性に悲しかった。
挑発的に石を構えなおす男が、ギリと歯をくいしばった。
やがてカイトが護送車へ収まり、ウマが足踏みを始める。進路を確保するため、公安部員が車の前方へ動き、野次馬の大半はそれ以上追うことをせず散っていった。
マサキの前の男も、盛大に鼻を鳴らすと唾を吐いて路地へ消えていく。
「おら」
ハンカチが差し出された。中年本部員が、半ば呆れた顔で口の端をあげる。
「ああいう奴らとまともに向き合うこたぁない。貴様、射撃手だろう。威嚇発砲でもすりゃ、いいんだ」
「許可は、出てませんが」
「おいカイジュ。ちゃんと空砲は渡してあるのか? この真面目腐った部下に、融通ってもんを教えておけ」
恐縮する支部長を、マサキはまたも新鮮な思いで見ていた。
ここで今起こっていることが、まるで他人事にしか思えない。意識が視力を伴って宙へ浮き、自分を見下ろしている気分だ。
本部員の腰元で小型通信機が電子音をたてた。
側に立った支部長が、ご苦労、と声をかけてきた。マサキは、わだかまっていた疑問を漏らした。
「本部の方は、最初からカイトさんを疑っていたようでした。なにか、情報提供があったのですか?」
「文面は、とある論文に酷似していた。論文を書いた研究員とここの副社長は、血縁関係にあったと垂れ込みがあった。今は絶縁しているが」
それで、と納得がいった。
文書の内容も、薬のことも。
そして、複雑な気持ちが湧き起こる。愛人マリとの間にはチハヤが生まれ、チハヤを父親としてサクラがいる。
本妻との間に連なる血縁にカイトがいて、このような形で関わることになろうとは。
マサキは、ぼんやりと護送車が走り去った道へ目を向けた。夏の遅い夕暮れが迫る通りは、何事も無かったようにいつもの静けさと夕餉の匂いに満たされつつある。
(止めるんじゃなかった)
後悔が、ぽつりと胸に落ちた。
カイトは、逮捕された後に待ち受けるものを知っていたに違いない。酷い拷問を受けて処刑されるより、自ら命を絶つことを選んだ。
それを、目の前で生が絶たれることへの本能的な拒否反応から妨害してしまった。
公安部の一員として、事件の真相解明のため容疑者の自害を防ぐのは正しい。間違ったことをしていないのだが、マサキの心は重かった。
「薬の分析結果が出た」
通信を終えた本部員が、意味ありげな笑みでマサキを見下ろした。
「貴様の言う通り、丸薬は地郷の医薬局が出している痛み止めだ。もう一度聞く。何故奴が飲もうとしたのを止めた」
状況を問う支部長へ、本部員がことの成り行きを簡潔に説明した。ふむ、と頷いた支部長にも目で問われ、マサキは慎重に答える。
「先ほどもお答えしたように、かすかですが臭いを感じ、水差しの中がただの水ではないと察しただけです」
「それが何か、貴様には分かっていたのではないか?」
「いえ、そこまでは」
無知を演じるが、頬が引きつっているのを自覚した。手首の脈を取られたなら、嘘を言っているのが暴露されるだろう。心臓が痛いほどに胸郭を打った。
ふたつの薬を同時に服用したときの作用は、一般に知られていない。地球人種がテゥアータの薬を飲む機会がないからだ。
マサキに教えてくれたのは、マリだ。マリは、愛人である研究所員に教わった。そして、彼を祖父に持つカイトもまた、知っていた可能性がある。もし、サクラが関わっていないのであれば。
本部員が鼻先で笑う。
「まあいい。水差しの中は、色違いどもが使う薬草を煎じた催眠薬だってな」
色違い、という言葉に首を傾げ、ややあって思い当たった。地球人種と髪や瞳の色が異なるテゥアータ人の蔑称だった。
「別々に飲むには問題ないが、同時に服用すれば高確率で心不全を引き起こす。貴様、知っていて奴の自害を止めたとすれば、本部としても褒章ものだがな」
「そんな、効果があったとは、知りませんでした」
声が喉にかかる。
本部員が密かに舌打ちするのが聞こえた。そして、ニヤリと口をゆがめる。
「貴様、名は」
「マサキです」
「出身は、どこだ」
「時埜村です」
「トキノ……幻の村だな」
つい、と背中を冷たい汗が流れた。興味深げな視線が、無遠慮にマサキの全身を刺した。
「覚えておこう」
低い言葉を残し、本部員は新聞社の建物へ入っていった。中では、本部捜査官が家宅捜査をしている。
どっと、全身から力が抜けるようだった。
マサキを見る本部員の目つきには、明らかな疑いがこもっていた。地郷公安部入部書類を調べればすぐに判明する名と出身地を隠さず答えたが、彼はそれ以上の何かを探ろうとしている。
首筋に鳥肌が立った。
「顔色が悪い。直帰しろ」
支部長に背を押され、マサキはどうにか返答した。夜番の三班は、すでに引継ぎを終え仕事を始めているだろう。
心にのしかかる後悔と得体の知れない不安が重く、マサキはのろのろと足を動かした。
ふと、顔を上げ、辺りを見回す。非番にも関わらず応援に来てくれた一斑の支部員はあらかた帰っており、チハヤのみが支部長に寄り添うように立っていた。
「コウは、来てなかったんですね」
「また射撃の練習にでも行っているんだろう」
チハヤの答えに、マサキは息をついた。
今、コウの底抜けに明るいふざけた声があれば気が紛れるのにと考え、フッと自嘲する。
(居たら居たで、鬱陶しいんだろうな)
コウとマサキの官舎は隣り合っている。地聖の射撃練習場から戻ったコウの夕飯がまだなら、声をかけようと思い、改めて支部長へ退勤のあいさつをした。
「おいカイジュ」
新聞社から、先ほどの本部員が通信機のイヤホンを差し出し近付いてきた。
「本部からだ。貴様ンとこの射撃手を拘束しているとさ」
支部長の顔が険しくなった。普段から表情が変わらないが、それでも筋肉の強張りが感じられる。
コウの直属の上司にあたるチハヤも、眉を顰めた。
イヤホンを借りた支部長が本部と応対し、チハヤへ目配せをする。頷いたチハヤが、マサキの肩へ手を置いた。
「疲れているだろうが、一度支部で話をする。先に戻れ」
「了、解」
頭がクラクラする。コウの茶目っ気たっぷりな顔が浮かぶ。
(きっと、なにかの間違いだ)
悪い想像を打ち消すように、ギュと瞼を閉じて、大きく息を吸った。
鼻先を、甘い香りがよぎる。
チハヤの手が、肩から離れた。匂いも遠ざかる。
「チハヤさ……班長」
「話は後だ」
眉間に皺を刻み睨んでくる彼は、左の袖口をさり気なくマサキから隠した。
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