Ⅳ-7 陽だまりの会話

 診療所は、山の麓にあった。

 怪我をしたり気分が悪くなった村人たちが、広い待合室を埋めた。レンの妻とセオが個々の容態を聞いて、重症な人から順に診察室へ呼ぶ。


 マサキは廊下で待たせてもらうことにした。地郷公安部の制服姿が、村人たちに要らぬ緊張を与えているのを感じ取ったからだ。


廊下の突き当たりにある跳ね上げ窓の脇に背をもたせかけ、ぼんやりと診察室の扉をみやる。隔たれて見ることは叶わないが、診察室奥の寝台に、まだ意識を取り戻さないサクラが眠っているはずだった。


(痩せていた、な)


 記憶の彼女より、頬の肉付きが落ちていた。抱き上げた身体も前より華奢で、柔らかさを欠いていた。


 村人たちからは、産後間もないあの女性の代わりに奉仕税である畑仕事をしていたと聞かされた。手指の先も荒れ、爪の間には洗っても取れない黒い汚れが入り込んでいた。

 消息を絶ってから、どのような生活をしていたのか。マサキが介入すべきことではない。しかし、笑顔が絶えるものではなかったと、思いたかった。


 診察を終えた村人が、ひとり、またひとりと廊下へ出て、地郷公安部員の視線を逃れるよう去っていく。


「だけど先生、払える金が無いんだから、薬は要りませんって」


 半開きになった扉の陰で、初老の女性が断っていた。レンの声が穏やかに宥める。


「だったらほら、あなたの庭にリンゴの木があるじゃないですか。去年いただいて、美味しかったんですよね。あれが実ったらひとつ、薬代としていただけますかね」

「それじゃあ、つりあわないでしょう」

「十分です。さ、立派なリンゴを実らせるには、この薬で怪我を治してください」


 女性は何度も頭を下げながら、薬の袋を大事そうに抱えて去っていった。


 扉を押さえていたらしいセオが、声をかけてきた。


「席が空いたけれど、どうする」


 マサキは丁重に断った。すると、セオは椅子を廊下へ運び出した。窓の下へふたつ並べ、一方をマサキへ勧め、一方へ自分が腰を下ろした。


 礼を言って座ったものの、マサキは落ち着かず、横目でセオをうかがった。


 仕事柄、幾人かのテゥアータ人に会ったことがある。シズクやフタバのように、身近にその形質を持つ人もいる。

見慣れているつもりだったが、眩いほどの金の髪を見たのは初めてだった。それ以上に、陽だまりを思わせる金色の瞳は、地球人種の暗い色から考えると明らかに異質だった。


 ふと顔をあげたセオと視線が合う。罰が悪くなり、とっさに目を反らせた。それもまた、感じが悪かったかと悔悟に襲われる。


 診察室から出てきた老人が、出口へ向けた足を止めた。しばらく逡巡し、意を決したように踵を返した。


「これ、使い古しでみっともないけれど、よかったら使ってくだせぇ。旦那のは、土砂で流されちまったから」


 端が擦り切れた古びた帽子がセオに差し出された。

 セオは驚きに見開いた目を、やがて嬉しそうに細めた。礼を言って、手汗でよれた帽子を受け取った。


 満足げな老人の姿が扉に遮られた後も、セオは膝に載せた帽子を愛しそうに撫でた。


「地球人種は、優しいな」


 独り言ではなく、話しかけられた気がした。マサキは曖昧に笑った。


「昨今の様々な事件があっても、そう思われますか」


 問うと、セオは穏やかに微笑みながら頷いた。


「多くの地球人種は優しくて、それ故に、荒波の合間に身を潜めているだけで。少なくとも、私にはそう感じられる。さっきだって、たくさんの人が手を貸してくれた」


 柔らかな彼の微笑みに、心無い地球人種への皮肉も恨みも、全く感じられなかった。逆に、マサキのほうが肩身の狭い思いをしたほどだ。


 しばらく、沈黙が流れた。


「さっきは、ありが……」


 口を開いたのは二人同時だった。それも、同じ言葉を発した。

うろたえるマサキに、セオは、どうぞ、と軽く手に平を差し出した。


「ありがとうございました。サクラを、あの人を助けてくれて」


 うん、と頷き、セオは金色の目を診察室へ続く扉へ向けた。


「助けを求める思念が聞こえたから。たまたま近くにいて良かった」

「シネン?」

「強い思い、といえば分かってもらえるだろうか。私はテゥアータの駐在役人として特別に、人の想いを捉える力の行使を許可されているんだ」

「じゃあ、彼女の助けを求める気持ちを?」


 うっすらと、サクラはあそこで命を絶とうとしたのではないかと疑っていた。ずば抜けた運動神経を持つ彼女が、危険を予知しながら崩壊する小屋の下敷きになるとは考えにくかった。それとも、小屋の崩壊は彼女の予知の範囲外だったのか。


 マサキの問いに、セオは少し首を傾げた。ややあって、軽く否定する。


「あれは、マサキくんだな。彼女を助けて欲しい、という」


 マサキの眉間に力が入った。それをどうとったか、セオは頷いてみせた。


「普通、地球人種の思念は分かりにくいんだ。だけど、マサキくんとサクラさんの思念は、不思議と遠くからでも感じやすい」


 一度言葉を切り、セオは座りなおしてマサキから視線を外した。指先で頬をかき、ためらうように付け足した。


「実は、以前から、チサトに赴任直後の半年前から君たちの思念を感じていたんだ。そうなると、人ごみの中でも知り合いの声はすぐに分かるように、雑多な思念の中で君たちの、はっきり言葉になっていないけれど漠然とした気持ちのようなものに敏感になってて」

「え、じゃあ」


 セオが廊下に出てくる前に、サクラと過ごした過去の日々のあれこれを回想した内容も伝わっているのだろうか。

マサキは熱くなった顔を手で覆った。指の間から、弁明する困惑顔が見えた。


「何もかも盗み聞きしているわけではないよ。そうだな」


 つと、セオはマサキのベルトに提げた通信機を指差した。


「その機械と同じで、普段は電源を切っている。遠いところに繋げたければレベルを上げるし、近いところで大きな声で発せられたなら機械を使わずとも聞こえる。そうだろう?」


 そのようなものかと納得して、突如、支部へ連絡を怠っていたことを思い出した。


「やべ」


 セオに断り、電源を入れる。

陽はとうに高く昇っていた。足元の床に落ちる短い影を見つめながら、意識はイヤホンを嵌めた耳へ集中させた。


(また支部長に怒られる)


 閉じた瞼の裏に、支部長の憤怒の相が浮かび、慌てて目を開けた。


 ノイズが途切れ、一斑通信士サラの落ち着いた声が応答した。が、名乗るや否や、彼女の声は鼓膜を刺す刃と変じた。


『今まで音信不通でどぉこほっつき歩いてたの! 村ごと流されたのかと、心配したじゃない。シズクなんて、ついさっきまでここで待ってたのよ』

「すみません。今、麓の診療所にいて」

『え、怪我したの? 大丈夫? あ、支部長に代わるね』


 更なる雷に備え、マサキはイヤホンを軽く耳から遠ざけた。しかし、聞こえてきた声は意外と遠く、急いで耳へ嵌めなおした。


『怪我の程度は』

「あ、いえ、かすり傷ですが、念のためと言われ」

『夜番から引き続きですまんが、ひとつ、そちらで確認してもらいたいことがある』


 手帳を取りだそうとして手から滑った通信機を、セオが受け止めた。目だけで礼を伝え、ペンを構えて指示を仰いだ。


『カイト容疑者の恋人というのが、旭丘村に潜伏しているとの情報を得た。名はアヤメ。黒髪に藍色の目だ。生まれたばかりの赤子を連れている可能性が高い』


 相槌を打ちながら、ペンが心の重みで動かせなくなった。


 通信を終えてからも、マサキは呆然と手帳の紙面へ視線を落としていた。

通信機に興味津々のセオが様々な角度から見ようと機械を動かす度に、イヤホンコードの影が制服の胸元で躍る。楽しげな動きを宥め、機械を堪能して無邪気に喜ぶセオから通信機を取り戻した。


 藍色の目の女性は、サクラのことを大切な友達と呼んでいた。

せっかくの再会の場面を、重要参考人と捜査官という立場で迎えなければならないと考えると、気持ちが塞いだ。久しぶりの晴天も、逆光に煌くテゥアータの役人の髪も、急に恨めしくなった。


「大変だな、君も」


 気遣われ、マサキは彼を睨んだ。


「そうやって、勝手に人の心に踏み込まないでください」


 セオは、怒らなかった。わずかに肩をすくめ、眉端を下げて困ったように笑った。


「地球人種同士でも、表情は読むだろう?」


 考えが顔に丸出しだと、支部で指摘されたこともあった。自分のとった態度が完全な八つ当たりであり、あまりに幼い行動だと気が付き、マサキは顔を熱くした。


「す、すみません」

「慣れているよ。気にしないで」


 やんわりと慰められ、改めて、隣に座るセオを横目でうかがった。


 穏やかで、落ち着いている。特別に力を与えられた役人なのだから、テゥアータでの地位はさぞかし高いのだろう。このような機会でなければ、小さな窓ひとつ挟んで並び、言葉を交わすことも出来ない雲の上の人かもしれなかった。


 対する自分はどうだろうか。


 地郷公安部の仕事に私情は禁物だ。なのに、愛しい人の関与が疑われると容易に心乱される。

仕事の面でも人格も、まだ未熟だ。


 比べれば比べるほど、惨めさが募った。


 診察室からレンの妻に呼ばれた。救われた思いで、マサキは席を立った。

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