Ⅷ-6 サクラの手紙

『夢を、見ました。


 赤い花が咲く斜面を数人の男たちが登ってきました。私は大切なものを持って逃げました。獲物を逃がした男たちは怒り、そのまま小屋に居座りました。

 夕刻になり、あなたが来たのです。疲れているようでした。普段ならあり得ない無防備さで小屋に着き、男たちに捕まってしまったのです。そのあとのことは、書くことが出来ません。


 あなたを、そのような目に遭わしたくない。


 けれども、あの人からもらった大切なものを男たちに取られるわけにもいかない。


 私をもって、男たちの気を紛らわすことができるなら。そう、考えました。


 あなたにはわがままばかり押し付けて、ごめんなさい。

 これが、最後のわがままです。

 私の大切なものを、あの男たちに渡さないで。あなたの元にあれば、望みが繋がるかもしれない。


 そして、あなたはどうか生き延びて。あなたを必要とする人たちのために、生きてください』



 手紙が他の者の手に渡る危険も考慮したのだろう。事情を知らない者には分かりにくいように記述がぼかされていた。


 同封されていたのは、セオのペンダントと櫛。


 櫛が入っていた小袋とハジメの持っていた鞄が同じ布から作られていることに気がついた。よく見ると、歪んだ縫い目で縫われている。


(どこかで見たような)


 記憶を辿り、セオが亡くなった日、サクラが手にしていた外套に思い当たった。


(そうだったんだ)


 鞄が常に壁にかけてあるのは知っていたが、素材まで気を回してこなかった。

 使い込まれ、油が染みて色艶が出ている櫛も、セオからの贈り物なのだろうか。


『生きて』


 サクラのいない世界に生きて、なんの意味があるのか。マサキには分からなかった。地郷公安部への忠誠心もすでにない。親友には愛想をつかされた。


 強いて言えば。寝台の幼子を見下ろした。


 目を開けたハジメは、マサキを見て首を傾げた。次の瞬間には満面に笑みをたたえ、マサキの腕に飛びついた。傷が疼き、顔を顰めたマサキにおろおろする。

 昨日の悲しみを実感できていないのか、夢だと思っているのか。


(子供の特権だな)


 うらやましくすら思い、マサキは彼の柔らかな金の髪を撫でた。


「腹へってないか?」


 声をかけると、ハジメではなく腹の虫が答えた。

 買ってあった食糧はわずかしかない。干した果実とチーズが少しずつしかなかったが、机に並べた。


 ハジメは椅子によじ登り、細長い乾燥果物をつまんだ。硬く乾いた実を齧り、もぐもぐするとマサキを見上げた。


「まちゃ、あーん」


 無邪気に、半分残った果実を差し出す。苦笑しながら口を開けると、思ったより奥まで差し入れられて慌てた。


 水を汲もうと陶器の水差しを持ち上げるだけで、手首に激痛が走った。

 傷が腫れていた。まともな処置をしていない上に、昨夜、土にまみれたハジメを背負って山を下った。

 水を満たした器を机に運ぶだけでも足元が頼りない。全身が熱っぽかった。


 さすがに診療所で手当てを受けなくては、ハジメの世話をするのもままならない。彼を放っておくわけにもいかないしと考え、ふとマサキは自宅謹慎の身であることを思い出した。

首筋に寒気が走った。


 昨夜は取り乱し、周囲への警戒を怠っていた。もしかすると、ハジメがここに居ることをすでに知られているかもしれなかった。


 頼れる仲間を持っていないことが、とてつもなく致命的だった。留守の間ハジメを守ってくれる人がいない。

 完全に孤立していた。全身に粟立つ鳥肌をさすり、マサキは考えを巡らせた。


 何故、昨夜そのまま山深くに身を隠さなかったのかと、己の愚かさを罵った。

 何故、敵の掌中へのこのこ戻ってきたのか。

 野生動物の帰巣本能よろしく、朦朧とする頭は足に間違った命令を下し、マサキを官舎へ連れ戻してしまった。


 この先、果たしてハジメを守ることが出来るのか。


 ハジメが喉を鳴らして水を飲み終わるのを見守りながら、のしかかる不安と戦った。


「まちゃ?」


 小さな手が両頬に触れた。無邪気に心配する温かな眼差しがそこにあった。


「じょーぶ?」


 ぺちぺちと触れる手が冷たい。


 窓の外から、出勤する同僚の足音や、商売用の荷車の軋みが聞こえ始めた。窓の近くを影が横切った。かさりと、扉の隙間から書き付けが差し込まれた。

ギクリと構えたが、誰かがそれ以上立ち入ろうとする気配はなかった。警戒しつつ書き付けを拾った。


『本日、登庁しろ』


見慣れない人には謎の線の組み合わせにしか見えない悪筆は、紛れもなく支部長の字だった。


登庁するとなれば、さらにハジメから離れなくてはいけない時間が増える。その間に、「狩人」に襲われるかもしれない。悪い想像が渦巻く。


 不安を無理やり押し込め、マサキはハジメの手を握った。


「俺は出かけないといけない。出来るだけ早く戻るから、お前はここで待っていてくれるよな?」


 表情を曇らせながらも、ハジメはこくりと頷いた。

 しかし、腫れた手首をどうにか袖に通し、戸口へ手をかけるとハジメはマサキの足にしがみついた。


「出来るだけ早く帰るから」


 再度言い含めるが、不安そうに唇を噛み締め、目を潤ませる。


 ついさっき頼もしく頷いたはずだが、そこは四歳になったばかりの子供だ。掌を返すように、マサキを引き止める。


 ため息をつき、マサキはハジメを抱き上げて寝台に座った。枕の下に隠した彼の渋染めの鞄を引き出した。


「これは、お父さん」


 ペンダントを見せた。鎖の撚りが戻って光を反射させながら回転するのを、ハジメは不思議そうに見た。


「とぉた?」

「知ってるか、父さんのこと」


 首にかけられたペンダントを、ハジメは両手に掴んで眺めた。四角いトップを口に含みそうになり、食べ物ではないと教える。


「こっちは?」


 櫛を見せると、笑みが広がった。


「たーたん」


 が、キョロキョロ辺りを見回し、首を傾げた。


「たーたん、のこ?」

「う、ん。しばらく会えない。その間、俺と待っていよう。な」


 どこまで理解できたか不明だが、ハジメはこくんと頷いた。

 櫛を入れた小袋を、シャツの上からベルト代わりに結んだ紐に挟み込んでやった。


「いまからお前に、重要な任務を申し付ける」

「あい」


 神妙な面持ちでハジメは返事をした。寝台の上にきちんと座りなおし、マサキを見上げてくる。


「俺が戻るまで、お父さんとお母さんをしっかり守っているんだ。誰が来ても、扉を開けちゃいけない。いいな」

「あい」

「頼んだぞ」


 伸ばした掌の先をこめかみに掲げると、ハジメも得意満面で敬礼の真似事をした。山に通っている時分から、時折そういう遊びをしていたので、様になっていた。


「よし。では扉を開ける。お前は今から隠れろ。俺がいいと言うまで、出てきちゃいけない」


 すぐさま、ハジメは寝台の下にもぐりこんだ。


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