Ⅶ-4 ペンダント

 路地裏から悲鳴が上がった。


 巡回中のコウと別れたばかりのマサキは、反射的に上着の左脇を押さえた。


「まーくん、ちょっとお願い」


 通信機を片手に、コウが駆け戻ってきた。マサキは頷き、コウの後について路地裏へ入った。


 建物の角で、女性が腹から血を流してうずくまっていた。連れの女性は無傷だったがすっかり青ざめ、ガタガタ震えていた。負傷したのが姉で、支えているのが妹だった。


「どうされましたか」


 コウが問うと、妹が震える指で大通りの方を指差した。


「あっち。あっちに行ったの。ナイフを持って」


 聞き取った内容を支部へ伝え、マサキに姉妹を託すとコウは通りへ向かった。すでに通りでも騒ぎが起こり始めていた。


 姉の傷は、出血のわりに浅かった。マサキは持っていたタオルを渡し、妹に押さえさせた。


「もうすぐ医療班が来ますから、辛抱してください」


 励まし、より詳しい状況を二人から聞きだした。


「角を曲がったら、見えちゃったの。そこの空き家に、血まみれの人が。悲鳴を上げたら、今度は私たちに切りかかって」


 妹の示す道の行きつく先に、扉が開け放たれた空き家があった。暮色に染まる中、目をこらすと点々と黒ずんだ足跡らしきものが続いていた。


 マサキは拳銃を構えた。用心しながら空き家へ近付く。

 血の臭いが濃厚になった。

 入り口に体を寄せて中を窺うと、何かを引きずる音が微かに聞こえた。床で蠢く影がある。


 部屋の中は暗い。マサキは壁沿いに移動し、窓を開けた。僅かに残る春先の光が、弱々しく床を浮かび上がらせた。

影の動きが止まった。


 影の正体に気が付き、マサキは駆け寄った。


「しっかり」


 かすかだが、息があった。医療班が、と言いかけて言葉を飲み込んだ。彼は地郷全域で指名手配されている。診せるわけにはいかない。


 金色の目が、細く開いた。


「マサキくん、か」

「一体どうして」


 言葉が続かない。少しでも楽になるよう支えようとした手を制された。


「たぶん、毒」


 呼吸が浅い。血を流しながら這って移動したのだろう。床には、セオの身幅で血の跡が伸びていた。


「これを」


 セオの指先が小刻みに震えながら襟元を示した。マサキが彼の首筋に手を添わせると、細い金属の鎖が触れた。


「ペンダント?」

「外して。サクラ、に」

「分かった。だけど、セオさんが戻らなくちゃ」


 セオは力なく首を振った。


 マサキがペンダントを外すと、セオは肩で息をしながら、マサキの姿を探すように眼球を動かした。


(見えてない、のか?)


 先ほどセオが口にした、毒の影響だろうかと、マサキは彼の背に刺さった矢に目を留めた。


「頼む。サクラと、……を」


 呼吸が笛のように鳴り、聞き取れない。耳を近付けるが、セオの声は細くなるばかりだった。


「すまない。君から、奪って」

「そんなことはないです。彼女が選んだんだ」


 君が、うらやましかった。

 そう聞こえ、マサキは聞き返した。


「まっすぐ、人を想う、君が」


 微かに、セオは笑った。それを、とペンダントを示す手が宙で止まり、ぐらりと落ちた。


「……ッ」


 受け止めた手は、物体と化していた。金色の瞳から生気が消える。


(そんな)


 微笑んだままの顔で、セオの魂は遥か遠くへ行ってしまった。


 背後に砂を踏む音が近付いた。


「非番なのに、ご苦労」


 支部長が隣に立っていた。足元の遺体を一瞥し、眉を上げた。


「セオ=グラントか」

「おそらく」


 答えながらマサキは体で隠すようにして、ペンダントをホルスターへ滑り込ませた。


「至急本部へ連絡しろ。検分する」

「はい」


 本部へ引き渡せば、重罪人として張りつけにされ、晒される。阻止する術をマサキは持たなかった。


 せめて、と薄く開いたままの瞼を下ろそうと伸ばした手首を捻り上げられた。振りほどこうにも、びくともしない。それでもなお、マサキは奥歯を食いしばり、全力で腕を動かそうと試みた。

 両者の手が小刻みに震えた。

 睨み付けた三白眼は冷ややかに、感情の欠片も見せずマサキを睨み返してきた。


「貴様は戻れ。あとは一斑が対応する」

「了、解」


 腕をつかまれたまま、体を引き上げられた。マサキに叶う力ではなかった。


 マサキは幾筋もの通りを迂回して、重い足を引きずっていった。




 尾行の気配はなかった。マサキはうろ覚えのリズムで扉を叩き、低い声で名乗った。

 細く開いた隙間から最初に覗いたのは銃口だった。


「こんな時間に、どうしたの?」


 訝しげなサクラの顔を見ると、道中考えていた言葉が消えてしまった。扉を閉めると、マサキはただ、無言でペンダントを彼女の手に載せた。


 掌の煌きに、サクラは息を止めた。たちまち血の気が引き、唇を震わせた。


「どういう、こと?」

「助けられなかった」


 呻き、サクラが身を折った。机に広げていた繕い中の外套を、針がついているのも気に留めず掻き抱いた。


「三日。あと三日だったのに」


 座り込むサクラの上腕を、マサキは支えた。はらはらと零れ落ちる涙が、渋染めの外套に染みていった。


 つと、サクラは腹部へ手をやった。服の上から分かる膨らみに、マサキはハッとした。聞き取れなかったセオの言葉。


「もしかして、サクラ」


 扉の外で金属音がした。聞きなれた、銃の撃鉄を上げる音だ。

 マサキはサクラに覆いかぶさるよう伏せさせた。


 何者かが鍵を撃つ。連弾で鍵は瞬く間に破壊され、扉が動く。マサキは銃を抜くと、机上のランプを撃ち抜いた。

 部屋が暗闇に包まれた。

 開け放たれた扉の四角い藍色を背景に、二つの人影が黒く浮かんだ。


「客はどうする」

「全て消す。それが命令だ」


 冷ややかなやりとりが聞こえた。かなり手馴れた口調だ。相手が何であろうと、容赦なく撃ち殺す気負いが感じられた。


 どちらを先に撃っても、残った一人が銃口から発せられた火花を頼りに撃ってくると思われた。

 マサキは舌先で唇を湿らせた。ふたりから目を離さず、静かに指をサクラの拳銃へ伸ばした。

 考えを察したのだろう。サクラも、音を立てないよう、マサキの左手へ拳銃を渡した。


 沈黙が流れた。


 侵入者は、目標を探してゆっくりと銃口で部屋の各部をなぞる。

 ふたつの銃口が反れた隙に、マサキは引き金を引いた。


 ふたつの銃声が完全に重なり、弾丸はそれぞれの的へ飛んだ。

 短い呻きを残し、ふたつの影が相次いで倒れた。油断なく息を潜め続けたが、両者から動く気配は消えていた。


 ドクドクと鼓動が耳の奥を打つ。手の指が痺れ、どちらの手からも拳銃を離すことができず、マサキは焦った。

 そっと、冷たい手がマサキの指を解いた。唇を真一文字に引き締め、サクラがゆっくりと節ばったマサキの指を摩りながら開いていく。


 ようやく自由を取り戻した手に、サクラの手を取った。


「急ごう」


 力強く頷くサクラの頬を、涙が玉となって転がり落ちた。

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