Ⅱ-3 そこから撃てるか

 日暮れが近づく中、マサキはフタバ班長とアオイ、その他本部から借りてきた作業員と共に、町外れに根を張る大木の元に来ていた。


「弾道下の通行規制完了しました」


 携帯用通信機を背負った作業員の報告が届く。


 庁舎の屋根でライフル用の弾丸を発見してから、昼食もままならない多忙さで走り回り、実際にここから庁舎の二階が狙えるのか、実況見分をしようということになった。


 縄と、本部から取り寄せられた狩猟用ライフルがマサキに渡された。一般庶民でも手に入る量販物の型だ。

 事態が飲み込めないが、言われるままに木に登り、ここ、と思う枝にたどり着いた。


「サルだな」


 根元から、アオイの感嘆が聞こえた。


 縄を手にして、幹と枝を観察する。

 今から縄を回そうとしている部分に、樹皮が何かと擦れてささくれ立っているのを認めた。枝の少し下に、苔がはがれた痕もある。

 脳内のメモに書きとめ、準備を終わらせた。


「準備完了です」


 枝にまたがり、幹と自分の体を縄で結びつける。撃った衝撃で滑り落ちるのを防ぐ命綱だ。


 フタバが通信機のマイクを手に取り、庁舎へ指令を出した。

「よし」


 鋭い班長の声に、マサキはライフルを構え狙いを定めた。山育ちで人より視力がいいらしく、スコープがなくとも的を捉えることができた。的として庁舎の二階に張られた布は、軽く膨らんでいる。


 大木から庁舎の二階の間を遮るものは何もない。眼下に連なるのは、民家の平屋の板葺き屋根ばかりだった。遠く右手の奥に二階建ての町役場と、さらに高い時計塔があるが、それ以外に高い建物はない。


 風は、左手からの微風。


 ゆっくり引き金を引くと、拳銃とは違う衝撃を肩に受けた。軽い音がして、薬莢が自動的に排出される。根元に予め広げてあった莚へ落下し、転がっていくのが聞こえた。


 正直、狩猟用ライフルは苦手だ。一応手ほどきは受けたが、拳銃の方が手に馴染んでいる。


 外したな、と思った。


 根元のフタバにも、庁舎からの通信で弾が当たらなかったことが報告されたようだ。再度発砲命令が下る。


(もう少し、左)


 気が付けば、今度こそ当ててやろうと気合が入っていた。頬に感じる風を意識し、的に向かう。


 一瞬、風が止まった。


 銃声が響き、反動で背に幹が触れた。今度は上手くいった手応えがある。


 通信機から、ノリナの黄色い声が飛び出す。フタバがスピーカーを持つ腕をめいいっぱい伸ばして顔をしかめた。興奮を含むシズクが、それでも落ち着いて着弾を知らせる。

 フタバが振り仰ぎ、首を傾げた。


「ちなみに、射撃のレベルとしてはどうなんだ? 貴様のような腕でなくてもできそうか」

「食糧確保のため狩猟している人なら、可能だと思います」


 地上を捜査していた作業員が、袋を手にしてフタバに駆け寄った。


「薬莢は見つかりませんでした。しかし、このようなものが大量に」

「釘か? 硬貨もあるな。なんだこれは」


 下からの会話が耳に入り、縄を解く手を止めて頭上を透かし見る。重なる枝に目を凝らすと、それらしき残骸があった。


 オオトリの巣だ。

 オオトリは金属などの光るものに興味を示し、巣に持って帰る習性がある。嘴の力が強いので、釘などは頭部が指の先ほど出ていれば引き抜き、持ち去ってしまう。そして、身の危険を感じ住まいを移す際に、前の巣を破壊して移動する生き物だった。


 巣の間近で発砲され、危険を感じて引越ししたのかもしれない。

 もしかしたら、朝、ネコを攫った張本トリかもしれないと思うと、頬がほころんだ。


 慌しく庁舎に戻り、退勤までに、とりあえず今日のネコ救出の件について報告書を提出するよう命じられた。


「実況見分や弾丸については、引き続き捜査官、きっちり報告書を書け。支部長の首が伸びてしまわれる前に届けるぞ」


「あの」

 みなの浮き立つ雰囲気を壊すのではないかと危惧しながら、マサキは訊いた。

「いまいち、何がどうなっているのか、分からないんですが。あの木からの発砲には、どんな意味があるのですか?」


 フタバが咳払いをした。

「すまない。現在支部長が不在なのも、本部とこちらの見解が分かれているからなのだ」


 本部の見解は、以下の通りだ。


 村で十数名の村人をまとめ税を集める地区役人であるトウヤが、領主に税の軽減を要求、領主父子と口論になった末、息子を殴って怪我を負わせ、勾留された。

 日頃村人から慕われていたトウヤはこれを不服とし、村人を煽動して、地郷公安部への復讐として庁舎を攻撃させた。よって現在、トウヤを権威に楯突く謀反人として起訴する方向で裁判課と調整中である。


 しかし、東守口支部の見解は違っていた。


 領主の息子への暴力を認めたトウヤだったが、父子ともめた原因について、彼の口は重く、判然としない。

 その様子に、背後に隠された事実があると判断し、勾留期間の延期を本部へ申請。襲撃後の村人への事情徴収でも、みなが口裏を合わせて何かを隠蔽している、または何者かの脅迫により口を閉ざしている様子があり、捜査を続けるものの、有効な手がかりがなく、本部庁舎に勾留しているトウヤの裁判が数日後に迫っていた。


「むしろ、被疑者が何者かに命を狙われていた、と?」


「手投げ爆発物が二階付近で炸裂した際、村人は威力の大きさに焦りをみせた。当たり所によっては、勾留室が丸ごと吹き飛ぶ勢いだったからな」


 マサキの肩を、フタバが軽く叩く。


「貴様がライフルの弾丸を見つけたことで、黒幕の尻尾をつかめそうだ。あとは私たちに任せろ」


 振り返ると、ノリナが鼻息荒く眼鏡を押し上げた。アオイが親指を立てて頷く。

 じわりと胸が熱くなった。

 マサキは自分の席につくと、引き出しの射撃手の日誌と報告書用紙を机に並べ、仮配属のとき教えられた形式で書き込んでいった。ネコの飼い主の住所や名前については、聞き取ったシズクがメモを渡してくれている。


 書き上げた書類を班長へ提出しようと席を立つと、夜番担当の三班のメンバーが三々五々出勤してきた。


 その中に、一班に配属されたコウが混じっていた。


「おっつかれー」


 横からバフリと抱き付いてきた。はずみで揺れた彼の肩掛け鞄が、振り子のようにマサキの太腿に当たった。ゴツリと重い音がした。


思わず呻いた。しゃがみ込みたかったが、それには立っている場所は狭すぎた。音に顔を上げたアオイが顔をしかめた。


「ちょっとコウ。うちの射撃手に怪我させるなよ。ていうか、何入ってんだ、それ。酷い音がしたけど」

「ごめん、まーくん。ジュンヤさんに教えてもらった店で買ったんだ。早く見せたくて」


鞄から厳かに出されたのは、拳銃だった。地郷公安部で支給される物より銃身が長めで重厚なフォルムだ。


「早速、地聖の射撃場で撃ってみたけど、迫力が違うよ。まーくんもどう?」


フタバが呆れ顔で頬杖をついた。


「さてはジュンヤの奴、銃バカを増やす気か」

「いいじゃないですか」


当のジュンヤが出勤してきた。積まれた箱と机の狭い隙間に体をねじ込むようにして、コウとの間にマサキを挟んだ。


「マサキもどうだ。今なら俺の紹介で安くしてもらえるぞ」

「いや、俺は」


ギリギリまで身を縮めて、マサキは俯いた。


「支給されたもので十分です。それ以上、使おうとは思わないし」

「なんだ、もったいない」


先輩射撃手のつまらなさそうな声に、マサキの気持ちは重く落ち込んだ。


「いつでも気が変わったら言ってくれよな」


ポンと肩を叩かれた拍子に、マサキは狭いところでバランスを崩した。

とっさに机に突いた左手が、ずきりと痛んだ。昼間、屋根の上でぶつけた箇所だ。


 全身を強張らせ、苦痛の呻きをあげるマサキを、コウが不思議そうに覗き込んだ。


「どした? 怪我でもした?」

「たいしたことないよ。昼に少しぶつけただけだから」


 様子に気がついたフタバに手首を掴まれ、制服の袖をめくられる。赤くなった手首が露になった。


「怪我をしたなら、すぐに報告しろ。貴様は射撃手だろう。些細なことが命取りにもなるんだぞ」

「すみません。でも、利き手ではないし」


 しどろもどろに返答しているところに、ジュンヤも加わった。


「なに言ってるんだ。万が一利き手がやられても、反対の手で応戦できるくらいにしておけ。射撃の手と目は、命の次に大事にするのが仕事だぞ」

「はい」


 萎れるマサキの手から、フタバが報告書を抜き取る。


「いいから今日はもう退勤しろ。よく冷やしておけ」


 言いながら紙面に目を通したフタバの目が、おや、という風に大きくなる。


「どこか、拙かったでしょうか」


 心なしか声が震えた。いや、と否定して報告書を置く女班長の肩から、ジュンヤが覗き込んで感嘆の声をあげた。


「うわ。すんごい綺麗な字を書くんだな。書き方の手本みたいだ」


 どれどれと、二班も三班もフタバの机に集まってきた。


「わー、ほんと」

「マサキって、独学で合格したんだよな。すごいな」


 口々に褒められ、恥ずかしさに顔が火照った。背の高いコウの背後に隠れたかったが、通路の狭さがそれを許してくれない。


「いや、そんな大したことじゃ……」


「字は大事だよ。なぁ」


 意味ありげなジュンヤに、全員が何度も首を縦に振る。フタバが、ぼそりと呟いた。


「この流麗さを、ほんの少し支部長に分けることができたら」


 耳に入れた数名が、大きく頷いた。室内は、急速に暗さを増した。人だかりの後ろから、太いため息が漏れた。


「確かに、な」


 野太い声に、一同がソソソと背筋を伸ばした。特にフタバは、見るからに憔悴し、顔を強張らせて立ち上がった。


「す、すみません」

「いや、いい」


 胸板が厚く、筋肉が盛り上がった男が、いつのまにか立ちはだかっていた。いかつい顔に穿たれた三白眼の小さな瞳が、ぎょろりと動いてマサキのところで止まった。

 鋭い眼光に、マサキはヘビに睨まれたカエルよろしく、凍りついたように動けなくなった。


 男の左目の上からこめかみにかけて、古い傷跡が暗がりにもはっきりと浮き上がる。ずいと支部員を押し分けて一歩踏み出しただけでも、空気が重くなるような圧迫感があった。


「マサキと、コウ、だな」

「ははははは、はい」


 歯が噛みあわないマサキだったが、隣に立つコウは、喉をごくりと動かし唾を飲み込みながらも、曲げた肘から伸ばした指先をこめかみの位置に掲げ、敬礼した。


「支部長には、初にお目にかかります」


「え」

 思わず漏らした声に、男の目がギロリと動いて、マサキをすくみ上がらせた。


「私が、支部長のカイジュだ」


 マサキの思い描いていた支部長像が、盛大な音を立てて崩れ去った。この、厳しい中にも家庭的な雰囲がある穏やかな意心地のよい支部を作り上げているのが目の前の巨漢だと、信じられない。


「して、マサキ」

「ひゃい」


 思わず変な声が出た。

 支部長の背後で忍び笑いをしている支部員も居たが、それに気が付けないほどに、マサキは怯えで頭の中が真っ白になっていた。


 しばらく口を一文字につぐんでマサキを睨んでいた支部長が、ふいと振り返る。


「マサキは、何に怯えているのだ?」

「支部長の顔が、恐ろしいのでありましょう」


 飄々とした答えは、巨体に隠されていたチハヤのものだった。

 ぶは、と誰かが堪えきれず噴き出した。神妙な顔を保ったフタバが、チハヤを咎めた。


「口を慎め、チハヤ班長。いくら支部長と同期であろうと、失礼ではないか」


 その声も、笑いが含まれ震えていた。


 ふむ、と支部長が、分厚い手のひらで顔を撫でる。撫でたところで、強面が和らぐはずがない。


「まあ、いい。報告は聞いた。仕事にかかろう」


 小気味良い返事が室内に響いた。

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