Ⅱ-2 崩れかけの屋根の上で

 途端に影が滑り来て、額に何か薄いものが当たった。風が起こり、紙の束を振り回すような音がする。しわがれた鳴き声で、正体が知れた。


「オオトリじゃないか」


 翼を広げると、大人が両手を広げた長さに匹敵する鳥類は、地郷では珍しくない。太いが先が尖った嘴としっかりとした爪を持ち、雑食で果実から小動物までなんでも食らう。山では生まれて間もないヤギの仔が攫われることもあった。


 庁舎の一階の屋根へ舞い上がるオオトリの爪に、黒い毛玉がつかまれているのが、逆光でも確認できた。


「娘が。うちの娘を助けて」


 身なりの良い婦人が、半狂乱で叫んだ。アオイが周辺の人となだめているが、婦人の興奮は納まらない。


「娘って」

 通りの中ほどまで走り、屋根を見上げてマサキは呟く。

「ネコ、ですよね、あれ」


 不審げに眉をひそめるマサキに、フタバ班長は事も無げに頷いた。


 オオトリは屋根の上にネコを置くと、翼を広げた。頭を上下させ、低く鳴く。太い爪で小刻みに飛び跳ね、威嚇を繰り返した。

ネコは傷を負っているのか、弱々しく動くが、ここぞと逃げる気配がなかった。


 婦人は尚も「娘」の救助を求め、アオイの腕を掴んで激しく揺さぶった。


「あのトリを殺して頂戴。でないと、うちの子が殺されてしまう」


 あまりの激昂ぶりに、アオイもほとほと困り顔で、視線でフタバに助けを求めてきた。


「どうします? 発砲を許可しますか?」

「アオイさん、いくらなんでも、こんな町中で発砲はどうかと思いますが」


 一度しゃがみ屋根を伺ったマサキがフタバを振り返ると、彼女も曖昧に同意しながら抜きかけた拳銃をホルスターへ仕舞った。


すぐにでも撃つつもりだったらしい。


「しかし、被害者を救出しないことには」

 髪同様に明るい色の目を細め、フタバ班長は腕を組んだ。


 オオトリは、自分が有利と感じたのか、威嚇は次第に緩やかになってきた。翼は依然広げているが、跳び跳ね方が遅くなる。

次に予測される行動は、大衆を前に悠然と獲物を掴んで飛び去ることだろう。


 隣の建築現場では、組んだ梁にまたがった大工が槌を振り回し、羽をむしって食ってやると怒鳴ったが、オオトリは動じない。


「オオトリって、食えるの?」


 アオイがぼそりと呟いた。マサキは、手の内のものを確認する。

「罠にかかれば。美味くはないですけどね」


「あの子を、あの子を助けて!」


 婦人が泣き叫んだ。哀願は、アオイではなくマサキへむけられた。


(仕方ないな)


 フッと短く息を吐くと、マサキの手が動いた。

石礫が空を切り、鈍い音をたててトリの腹に命中する。ギョーッと耳障りな悲鳴を残し、トリは獲物を残して飛び去った。

戻って攻撃をしかけてくる様子がないことを確認し、マサキは予備の石を地面へ返した。


 周囲から拍手が沸き起こる。

どうやらあのオオトリは、頻繁に町の人を困らせていたらしい。大工も、先ほど歌っていると突然背後から蹴られ、骨組みの上で危うくバランスを崩すところだったのだと、だみ声で叫ぶ。


 しかし、課題が残った。


「あー、あそこ、脆くなってるんだよね」


 屋根を見上げ、アオイが他人事の口調で言った。


 庁舎の奥行きは、二階が一階より狭くなっており、通りに面した正面部分に奥行きの半分ほどの幅で屋根があった。

 ネコが取り残されたのは、襲撃で手投げ爆発物を投げ込まれた場所に近く、屋根に穴が開き、二階外壁の漆喰はひび割れていた。


「マサキ、気をつけて」


 言いながらアオイは、大工から借りた梯子を屋根にかけ、押さえる位置に突っ立った。


「アオイさん、行く気がないですよね」

「うん、俺、高いところと動物は苦手だから」


 序列の末にいる身では、マサキに断ることはできなかった。


 故郷の崖に比べれば、庁舎の屋根に登るなど簡単だ。地上を歩くのと変わらない速さで梯子を上る。

体を伸ばして屋根に開いた穴を覗き込むと、階下の元資料庫が透けて見えた。


(威力ありすぎだろ)


 マサキは首をすくめた。焼き物の瓦を葺いた屋根を、骨組みの位置と強度を確認しながら移動する。


 問題は、首の毛を逆立て、細い牙をむき出してうなる小動物のほうだ。長い尾をパタリパタリと左右に振りながら、差し出すマサキの手の動きに合わせて爪攻撃を繰り出してくる。


「ちょ、これ、どうやって捕まえればいいんですか」


 そこへ、室内で待機していたはずの通信士が梯子の先に顔を出した。精一杯手を伸ばし、タオルを差し出す。


「これをネコちゃんに被せて」


高いところが怖くて、それ以上梯子を上れないのだろう。マサキは手の届く所まで降りた。

懸命に顎を上げる通信士シズクの目に、まっすぐ陽が差し込む。瞳が灰青色に透けた。


「な、なあに?」


色白の頬を染め、眉を潜められてようやくマサキは、しばらく彼女の目を覗き込んでいたのに気が付いた。


「いや、綺麗な色の目だなと」


しどろもどろに言うと、シズクは驚き、合点したように頷いた。


「お祖父さんがテゥアータ人なの。さ、急いでネコちゃんを助けてあげて」


 言われた通りタオルでネコを包んだ。爪による攻撃は抑え込めた。モゴモゴ動く布の塊を抱え上げる。

しかし、ネコは逃れようともがいた。危うく落としそうになり、階下からの婦人の悲鳴に慌てて両腕に抱きなおす。マサキ自身がバランスを崩し、二階部分の壁でしたたかに左手首を打った。


 どうにかこうにか梯子の先で待機してくれた通信士へネコを預け、婦人の腕へ被害者を戻した。


 婦人は何度も頭を下げながら角を曲がっていった。


 屋根の上で、マサキは安堵に胸を撫でおろす。ぶつけた左手が痛み僅かに血が滲むが、かすり傷程度だ。

袖口のボタンが取れてしまっている。


「どうした」


 フタバ班長の声が下から呼んだ。ボタンを回収して戻る旨を伝え、再び焼き物の瓦を踏んで、二階の壁際に目を凝らした。


 目的のボタンはすぐに見つかった。瓦の隙間に引っかかっていた。


摘み上げてふと、すぐ近くに転がっている黒いものに気が付いた。手に乗せると、大きさの割りにずしりと重みを感じる。


(弾頭?)


 顔を上げると、鉄格子のはまった窓近くの漆喰に、弾痕があった。弾が完全に壁にめり込むことなく、手で簡単に抜き取れそうだった。


(襲撃の流れ弾か)


 壁や屋根に残された弾は、調査のとき見落とされたのだろう。鉄格子のはまった小さな窓から顔を出すことはできず、弾の刺さった窓の直下は見えない。


 回収だけしておこうと手を伸ばし、ふと疑念が湧いた。

 マサキは肩越しに、背後を視線でたどった。


「どうした。梯子をはずすぞ」


 屋根の下からフタバ班長が苛立ちをみせた。躊躇ったが、マサキは思い切って身を乗り出した。


「襲撃の件で、気になることがあります。上がって、見ていただきたいのですが」


 眉をひそめ、フタバが梯子に足をかけた。

 マサキは体をずらし、外壁に刺さった弾を見てもらった。しげしげと弾を確認したフタバが、形の良い眉をしかめた。


「細長いな。狩猟用ライフルか」

「押収した中には、含まれていませんでしたよね」


 よし、と呟くと、フタバは階下へ叫んだ。


「シズク、大至急支部長と通信を繋げ」


 地上でタオルを握ったまま心配そうに屋根を見上げていたシズクが、たちまち通信士の顔に戻って返事をする。

 そう暑くないのに額へ浮かんだ汗を拭い、フタバはにやりとマサキを見た。


「でかした」

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