Ⅲ-2 謁見の間
再び通路をたどり、扉をくぐり、いくつかの階段を登り下りしてセオの足が痛くなったころ、ひときわ重厚な扉にたどり着いた。くぐると、すぐ数歩のところに、もうひとつの扉が控えている。
背後の扉が閉まると、タネトモが振り返った。
「中は、ミカドたちに合わせた成分配合になっております。苦しくなりましたら、早めにお伝えください」
目の前の扉が開く。
まばゆい光の筋が徐々に広くなり、眼前に広がった。と同時に、胸を重く押されたような気がして、セオは咳き込んだ。
前任者の助言を思い出し、ゆっくり細く息をする。
部屋の中には、数人の子供から若者までがいた。ゆったりとした衣服をまとい、何をするともなく、ぼんやりとしている。まるで、先ほど研究所で見たガラス容器の赤子のように魂を感じなかった。
「待ちかねておったぞ」
部屋の中央、天井から垂らした薄布の向こうから予想外に若い声がした。
タネトモが目で促す。セオは薄布の前に進むと、膝をついた。
「謁見をお許しいただき、ありがとうございます。テゥアータ国ガルディア王より遣わされました、セオ=グラントと申します」
「今回は、ずいぶんと若いな。私と同じくらいか」
立ち上がる気配がしたと思うと同時に、タネトモが身じろぎするより早く薄布が割れた。上目で伺うと、セオに負けずまっすぐな黒髪が揺れる。
「ミカド」
「よい、タネトモ。セオとやら。その若さで此度の役目、国では相当に優秀なのだろう」
「いえ」
いきなりの問いに、セオは言いよどんだ。弟子の顔が浮かぶ。
乱れそうな呼吸を押さえ、一度目を閉じて言葉を選んだ。
「この役目に就くべき魔導師次長のご都合がつかず、若輩ながら私めに鉢が回ってきただけでございます」
「うむ、頼むぞ。ところでセオ、顔を上げろ」
地郷のミカドは、本来テゥアータ王の配下であるが、王以上に丁寧に扱うよう、直接顔を合わせぬよう前任者から言われている。そのため、セオも、顔と床が水平になるあたりまで頭を上げるにとどめた。
タネトモのうろたえたような声に続いて、足音が近づく。視野に、金糸銀糸で刺繍をほどこされた布の靴が見えた。
顎に手がかかったと思う間もなく、クイと持ち上げられる。
目の前に、ミカドの、光を吸い込むかのような黒い瞳が笑っていた。白磁のような肌を、艶やかな黒髪が縁取っていた。
なるほど、セオと同じ二十を過ぎたころか。
ミカド以下この部屋に居るものは、この星で唯一の純粋な地球人だと聞く。研究所の容器で生まれ、成分調整された空気の中でのみ生活している。成長すれば短時間なら外気を吸っても異常はないが、長時間大気にさらされると肺に異常をきたす。
そのような環境におかれながら、ミカドの瞳には活力がみなぎっていた。黒曜石の輝きに見つめられ、セオも見返す。
「いい目をしている」
顎を解放され、忘れていた瞬きを繰り返すセオに、ミカドが笑いかけたようだ。
「たとえるなら、太陽か。柔らかく、そして時に……いや、気にしないでくれ」
頭の芯が重くなってきた。呼吸が浅くなる。その旨を伝え退出すると、再びタネトモに案内されて外へと向かった。
「では、例のものについて何かありましたら、連絡いたします」
「ああ、はい、よろしくお願いします」
おぼつかない足取りでエントランスを抜けると、守衛の若者が心配そうに声をかけてきた。テゥアータ人との混血なのだろうか、赤みの強い髪色をしていた。
セオは、気遣わしげな彼に見送られて、ふと思い出して振り返った。
「ね、君。この辺で髪を切ってくれる店はないかい?」
「そんな勿体ない、いえ、自分の行きつけでよければ、あの緑色の看板のある角を曲がった左手に散髪屋があります。あなたの髪なら高く買ってくれると思いますよ」
「まあ、売れなくてもいいんだけど、そうだな」
守衛に礼をいい、通りの人々の視線を避けるようにフードを被る。
売れたならその金で帽子を買うのもいいかななどと考えながら、力の入らない足を踏みしめていった。
タネトモからの使者が宿にやってきたとき、セオは首を傾げた。昨日謁見に訪れたばかりだ。
(何の用だろう)
ともあれ呼び出しとあっては、出向かねばならない。畳んだ外套を手に、新しく手に入れた帽子を被って、ひんやりとした夜明け前の通りを歩いた。
「ああ、本当に切ってしまわれたんですね」
赤毛の守衛が、残念そうにエントランスへ案内してくれた。
帽子をとり、外套をまとったところで、奥の扉が開いた。
「こちらへ」
ゆらりと現れたタネトモに、セオは眉をひそめた。気が付いたようで、タネトモがどうかしたのかと問うてくる。
「いえ、お具合が悪いのですか?」
「ああ、大丈夫だ。セオ殿に心配していただくほどのことではない」
それ以上は言わず、タネトモはセオを彼の書斎だという小部屋へ案内した。
壁のすべての面が書棚とフラスコなどの実験器具の棚で覆われている。そのほかは、窓の下に机と椅子があるだけだった。
「このような部屋ゆえ、立ったままで失礼する」
「お構いなく」
タネトモは、机の側の書棚に寄りかかって話し始めた。
「昨日の夕刻に、城から使者が来ましてね。急ぎ、例のものが欲しいということだったので、早急に準備を整えて即刻お渡しました。セオ殿の耳にも、入れておいたほうが良かろうと思いまして、こうしてお呼びたていたした次第です」
セオは、片方の眉を上げた。
「それは、急ですね。あちらで何かあったのでしょうか」
「私どもも、詳しくは知らされておらんのですがね。王から特命があったのでしょう。ああ、茶が届いたようですね」
扉が開き、眠そうな顔の研究員が茶を運んできた。香ばしい湯気が漂う。
タネトモが机の上に茶を置かせ、研究員が扉の向こうに姿を消すまで、セオはじっと無言で立っていた。
やがて、セオは深い息を吐く。短くなった髪を掻きあげ、扉に背を預けた。
「茶番はやめよう、アルファ」
カップを手にしたタネトモが、ぎくりと目を開く。が、カップを戻すとにやりと笑った。
「さすが、大臣どもがアルファ探知機と言うだけあるな。もうばれるとは」
「タネトモ殿を操って、何をしたんだ?」
まっすぐ、目の前の人物を見据える。
国にいるはずの弟子の姿は、そこにはない。地球人の再興のため人生を注いだ老科学者の肉体が立っているだけだ。
そして、科学者の魂はすでに、欠片ほども残っていない。
完全な傀儡と化していた。
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