第2話 いつのまにか隣で眠ってる
「ああ、ごめん。ほぼ99%くらい誤解されるんだけどさ、私、女なんだよね。この声で、この喋り方だろ。眉毛は上がってるし、無理もないんだけどね。これでもノーマルだよ」
口がお魚みたいにぱくぱくしている私に、時雨さんは呼びかける。
「おーい、ダイジョブかー」と、目の前で手をひらひらさせながら。
だ、だめです。ショックがでかすぎて無理です。理解できません。
「ごめんなさいっ」
とにかくその場から逃げるように走り出すのが精いっぱいだった。
部屋に帰ってシャワーを浴びながら、混乱した頭を冷やそうとした。
私、女の人、すきになっちゃったんだ。いつのまにか、だいすきに。
片想いは覚悟の上だったけど、こんな形で失恋するなんて。
あ、これからどうしよ、バイト。……もう続けられないよね。
よくよく考えてみたら、思い込みってのは恐ろしい。
一人称は「私」だったんだよね。俺でも僕でもなくて、わたし。でも、男の人でも「私」の人っているんだもーん。
結局、夜の間ずっと眠れなくて、自分が仕出かした恥ずかしい告白を思い出してはうなされてた。
とにかく今日はだめだ。お休みの電話をカフェに入れる。
時雨さんが「わかった。でも、明日は来いよ。待ってるから」って。
待ってるから、待ってるから、待ってるからー。うわぁあ。
耳ふさいでも彼女の声がこだまする。ああ、だいすきなあの声。
一気にものすごい疲れが襲ってきて、私はそのまま倒れ込むように眠ってしまった。
目覚めた時にはもう日は傾いていて、薄紅色の夕暮れの空がきれいだった。
ベランダに出て、外の空気を思い切り吸う。ああ、世界は変わっても終わってもいない。
私はどうすればいいかな。もう見てるの辛い。
でも、もう会えなくなったらもっと辛い。そんなのやだ。
ねえ、私の恋ってそんな程度? 相手が女だったら、とっとと退散しちゃうくらいの想いだったの? 自分を挑発するような質問を投げかけてみる。
だってノーマルって言ってたよ。女なんだから、時雨さんがすきになるのは男の人。恋の相手としては絶対選んでもらえないってことだよ。いいの、それで? 大体私だって女の人すきになったのなんて、初めてだよー。
次の日カフェに行ったら、いつもと変わらない笑顔で時雨さんは迎えてくれた。
だから私は自分の気持ちは封印して、ここにいようと決めた。だって、時雨さんは時雨さんなんだもの。もうだいすきなんだから。正直、女だって構わないよ! (ええー?)
ともかく私は仕事に打ち込んだ。今までぽわわんと見とれてばかりだったから、ちゃんとここの戦力にならなくちゃ。ほら、きちんと笑顔で接客しよう。
*
私の告白から1週間くらい経ったある晩、時雨さんが「この後飲みに行こっか」と閉店後に誘ってくれた。あ、見るにみかねて慰めてくれるつもりだな。
時雨さんが行きつけのBar『Rain's Coat(レインズコート)』に連れて行ってくれる。
レインコートRaincoatじゃなくて、Rain'sなのはなぜ。
目印の看板には、小さな男の子がレモン色のレインコートを着ている絵。その子の胸には「雨」って名札がついていて、空色のおっきな傘を持って、青と白のしましまの長靴を履いてるの。雨君なのね。
「こんばんは、グレ。かわいいお連れさまと一緒とは」
「マスター、この子に似合うカクテル作ってやって。度数は低めのね」
出てきたカクテルは淡いイエローで、匂いはパイナップルジュースみたいだった。飲んでみたら、夏の海岸のトロピカルな風が一気に吹いた。おいしーい。
BGMに昔のミュージカル映画『Singing in the Rain』がかかって、めっちゃスキップしたくなる。
「ね、結花ちゃん、バイト辞めないでね」
「はい、辞めません」
即答。ついでに、あなたをすきな気持ちも、自分の心の中では忘れません。
「いや、こんなこと言うのも何なんだけど、いつもこのパターンでバイトの子やめちゃうんだよ。女だってわかると離れてくから、いいかげん女らしくして、誤解ないようにすればいいんだけど、もう長年こういう感じだから今更ね」
ふぅ、そうだよね。普通は女だってわかったらさっさと引き下がる。
「時雨さん聞いていい? 恋人いるの?」
「ああ、あはは。相手うちのオーナーだよ。時々いるでしょ、髭のオッサン」
え、あのちとワイルド系の渋い髭の男の人が、時雨さんの恋人ー!
いやいやきっとテレカクシでオッサンだなんて言ってるけど、まだ20代後半ってとこじゃないかな。二人とも違うタイプのイケメンで、気の合う友人だとばかり思ってた。
そうだね。時雨さんに釣り合うとしたら、そういう大人な人だよね。
時雨さんが煙草に火をつける。
吸ってるとこ初めて見た。まだまだ知らない時雨さんの一面。
細長くてきれいな指にメンソールの煙草をはさむ。男の人にしてはしなやか過ぎて、女の人にしては大きすぎる手。いつだって爪も深爪に近いくらい短く切ってる。中性的で紛らわしいことこの上ない。
ふぅーって眉間にしわよせて吐き出す煙。すごくまずそうだよ。
「でもさ、私、ほんとに結花ちゃんがかわいい。手放したくない」
「時雨さん、私すきって伝えたんですよ? そんなこと言われたら期待しちゃいます」
「それは、私を男だと思ってたからでしょ」
「そうなんですけど。でも、もう私、あなたが女でもいいんです。どっちだって時雨さんは時雨さんで、だいすきには変わりなくて、どうしようもなくて」
時雨さんの意地悪。ちゃんと封印しようとしてるのに。
「あれ、この子、泣き上戸なのかな」マスターが心配そうにのぞき込む。
「相手してあげれば? グレ、経験ないわけじゃないだろうに」
そう聞いた瞬間、気づいたら訳わかんないこと発言してた!
「はいっ。お願いします。ゆりってよくわかりませんが、何でも言うことききます!」
そして、目覚めたら朝だった。しかも、自分の部屋じゃない、よ。
え、えええー。と、隣に時雨さんが眠ってるー。
うわー、私、どうしよー。何があったー。
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