第36話 本の匂いがする君


 昨日約束した通り、学校帰りに藤木君と図書館に向かおうとしていると、ゆかりも行きたいと言い出した。

「いいよ。一緒に行こう。レポートの〆切も近いからね」

 そう答える藤木君に、なぁんだ、二人きりじゃなくてもいいんだ、なんてちょぴっと残念に思ってしまったのは秘密。話があるって聞いてから気になってたんだもん。


 英文科の授業では指定・自由選択に関わらず数多くの英文学を読むため、原書や資料探しが欠かせない。探している本が重なるから、大学の図書室だけではたりなくて、みんな住んでいる所の近くの図書館に登録しているみたい。

 私も3つ先の駅の図書館に結構通っている。ほんとはすきな本は全部ペーパーバックで手元に置きたいんだけどね。


 私は今年、児童文学を課題の一つに選んだ。話の内容は知っていて、単語が特別に難しいわけじゃなくても、原書を自分で訳そうとすると、とても苦労する。

 今読んでる『不思議の国のアリス』だって、チェシャねこに嘲笑われながらがんばってるとこ。

 

 境さんの本棚からも大分借りて来たんだ。難しそうな本に並んで、児童文学も充実しているから嬉しい。

 時々栞にはさまれた列車のキップを見つけると、かつて少年であった境さんが夢中で読んでる姿が勝手に浮かんできて、なんだかくすっと可笑しくなるよ。



 今回の小論文のテーマは児童文学の中から、自分で見つけなくてはいけない。


 私はグリムやアンデルセンの童話についてちょっとひらめいたことがあった。

 ある文献に「お姫様たちはみな一様に感情が描かれていないから、読者が主人公に自分を重ねづらい」って書いてあった。けれど、私は逆かなと思ったんだ。


 平坦にクールに書かれることによって、幾重にも読む側が想像できる。実はそれが狙いだと考えてはいけないだろうか。

 アリスなら文句を言いながらかき分けて進んでしまう道を、童話のヒロインたちは寡黙に突き進んで行く。


 そんな話を藤木君にしたら、

「そっか、そういう考え方もあるんだね。おもしろいな」

ってうなずいて、他にも類似の文献を探してくれた。

 よし、やっぱりそこをテーマに書こうかなっ。一人で考え込んでいるより誰かと話をすることで、ふと先が見えてくる。


 藤木君。君が重そうに本を積み上げて歩いてくる姿は、まるで図書館の人のようで、ここに相応しい。

 焦茶色の皮表紙に金色の文字。そんな古い物語の扉を開くのがすきだと言う彼は、本に関われることがとてもしあわせなんだろうな。

 本をめくった時にふと香る紙の匂いにいつも囲まれて、君自身も本の中の人みたいだね。



 お目当ての本が見つかってほっとしたので、帰りがけに駅の近くのドーナツ屋に入ってお茶をした。


「藤木君ってすきな人いるの? クラスの女子たちがみんな気にしてるみたいよ」

 なんて、ゆかりが唐突に言うから、珈琲をこぼしそうになった。

 藤木君は真面目な顔で「いるよ」と答えて、「秘密だけどね」と付け加えた。


「ええー。それって大学内にいるってことかなぁ。ね、結花?」

 ゆかりが無邪気に聞くので、どうリアクションするのが正解かわからずに、私はもごもごと「どうだろう」なんて言ってみたりして、妙にどぎまぎしてしまった。

「でも、その人はつきあってる人がいるみたいなんだ。少し年の離れた年上の人と」

 藤木君が私のことをじっと見てから、またすぐに目をそらすので、私はどきどきが止まらなくなった。


 

 お店を出たら、ゆかりが「バイトあるから先に行くね!」って走って行ってしまったので、藤木君と二人で肩を並べて歩いていく。

 いや、私はちっこいから肩、並んでないか。あは。


 途中に公園があって、彼が「少し時間いいかな」と言うので、二人でブランコに乗った。

 もう夕方のチャイムが鳴り終わって、ちょうど子供たちは家に帰る時分。たくさん遊んで楽しい余韻が残ってるような公園の一角。


 しばらく漕いだあと、藤木君がざっと足でブランコを止めた。

 私が乗ってる方も両手でキュっと止めるから、向かい合うみたいな形になる。

「ええっと、ごめん、橘さん!」

 くるくるふわふわの藤木君の髪が、夕方の光が透けてきらきらしてる。か、顔が近いよ。


「この前立ち聞きしてしまったんだ。昼間来た彼がすごく気になって、僕も閉店間際に近くで待ってたんだ。橘さんに危害加えたりしないだろうかって心配で、いざとなったら出て行こうと思って。それで、彼の話も時雨さんの宣言も聞こえてしまった。ごめん。言い訳だね」

 謝らなくていいのに。そうだったんだ。だからさっきあんなこと言ったんだね。

「心配してくれたんでしょう? ありがと」

「それで、もうわかってると思うけど、言うだけ言わせて」


「結花ちゃんのことがすきなんだ」

 わっ、橘さんじゃなく、結花ちゃんだ。


 再び藤木君がブランコをすごい勢いで漕ぎ出すから、私もつられて隣で揺れる。

 ギーコギーコ漕ぐ音だけが響いている。私と藤木君が漕ぐブランコは交互にすれちがって、ずっとずっと行ったり来たり。

「答えはわかってるし、邪魔するつもりもないし、君に固執するつもりもない!」

 大きな声で空に宣言するみたいに、藤木君は前を向いて私に告げた。


「ほんとはあの後はカフェに行くのも迷ってたんだ。でも僕にとっても、あそこは特別な場所で。いつのまにか居場所になってて。だからこれからも行っても構わないかな」

 私はぴょんと地面に飛び降りて、彼に向かって言った。

「もちろん! 藤木君は、大切な夜カフェのスタッフだよ」


 ごめんね。気づいてたんだ、藤木君のきもち。知っててなかよしの友人でいられたらいいなって思ってた。

 「なかよしの友人?」ほんとに誓ってそれだけなの? 自問自答してみる。

 そうだよ。気になってる人が自分をすきでいてくれたら、やっぱり嬉しいもの。味方がふえると心強くなる。私はよくばりなんだろうか。


「君が時雨さんのことをすきなんだってことは、とっくに気づいていたんだ。ただ、時々心配で。ふと彼が二重人格みたいに思えることがあって」

 あら、藤木君、スルドイかもっ。


「それに、僕はやっぱりまだあきらめてはいないんだ。どんなカタチであってもいい。友人でもいいから、君のそばにいたいって思ってる」






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