第49話 フェアに行こう、月が言った


> 今夜9時にゆりかもめ豊洲駅、ホーム一番前の車両の辺りで。

 放課後、時雨さんからLINEが入った。

 え、どういうこと? カフェ終わってからわざわざ待ち合わせ?


 一度マンションに帰って課題を終えてから、ジャケットを羽織って地下鉄で向かう。夜はさすがに寒くなって来そうだからね。


 いた。時雨さん。あ、植物園の時のネイビーのシャツを着てる。手を振ってるから、私は思わず嬉しくて駆けよるの。

「結花。今夜は私とデートして下さい」

「はい。あ、今日は、飛行機じゃなくて土星だ」

 輪っかつきの銀色の球体のカフスが、袖口で光っている。


 私も大切なことを伝えなくちゃ。

「そのシャツ似合いますね。恭さんも」

「あれ、わかったの?」

「はい。私、見分けられるようになりました」

 首の傾け方の角度、喋る前の間。ほんの少しのタイミング。

 そういう小さな差異がどんどんわかるようになって、もう間違わない。


「お前、ほんとに俺と菜月の区別つくようになったのな」

 うん。どこがってことは恭さんには言わないよ。上手にまた微調整されちゃいそうだから。

 でも、もう時雨さんに寄せたりしないつもりなんだよね。シャンプー、自分のに戻したでしょ。柑橘系じゃなく、海みたいな香り。

 私にはもう「恭さんとして」接してくれるんでしょ?



「菜月が二人でデートして来いって。今までフェアじゃなかったからだって」


 折り返しの一番前の席に座ると、全てが見渡せる。

 ゆりかめもは自動運転だから運転手さんがいないんだ。だから、まるで自分が操っているかのような錯覚に陥る。

 私は怖がりなので、ジェットコースターをスロウに走らせるの。ゆりかもめはそんな感覚。誰かが暴走させなければ、きっと大丈夫。


 まるで夢の中みたいに、おもちゃの街を走るように進んでいく。レールの横で灯りが瞬いて、夜の景色に吸い込まれそう。

 のんびりと観覧車の横を通り、停泊している船を眺め、レインボーブリッジを過ぎてくるっと1回転。竹芝駅で、恭さんが降りようと私を促す。


「どうぞ、お姫さま」と、差し出された手の上に自分の手を重ねて、夜のお散歩。

 川沿いをね、船を見ながら歩くと、水の中の灯りが光のラインのようで、たくさんこどもが遊んだあとの画用紙みたいなの。

 楽しげに揺れているのは、一緒にいる人のせいなのかな。

「絵描きたくなるな。菜月なら、カメラを向けるのかな」


 よく恭さんが絵を描いている横で、色のサンプルや色鉛筆を見て、すきな色の話をしたね。

 恭さんがすきなのは、紺滅こんけし。くすんだ深く渋い紺色。

 私がすきなのは、白藍しらあい。黄みを含んだ淡い水色。


「系統が同じだな。藍染の濃いのと薄いの」って恭さんが言うのを、私は「恋の陶酔の?」ってカンチガイして、「はぁ、お前大丈夫か?」ってからかわれて顔が熱くなったんだよね。

 あのひと月ほど一緒に過ごした日々が、なつかしくて仕方がない。


 恭さんが私の腕を引っ張って、すっと木の陰に入るから一瞬どきっとしちゃった。けれど、すぐにその意味がわかる。

 暗がりに入った途端、ネイビーのシャツが夜に馴染んで、紺滅の色に見えてきた。花模様は白く光って浮き立ち、青っぽい影がかかると、白藍に近くなる。

 花がまるで星のようにきらきら瞬いている。恭さんが動くと星も一緒に動いて、まるでプラネタリウムみたい。星を迎える振りをして手を伸ばすと、私の方が捕まえられてしまう。

 ぎゅっと抱きしめられて、愛おしいという言葉の代わりに伝わるもの。昨夜も、そして今夜も、私は温もりに包まれている。



 部屋に帰ったら、時雨さんは留守だった。テーブルに置手紙を残して。

「今夜は元夫婦のとこで、しばしの別れを惜しんでくるよ。フェアに行こうな」


「ったく、なーにがフェアだよ! 散々俺を出し抜いてる癖に。アノヤロー。ヤローじゃねーけど、ちっ、けん制かけやがって。色々続きを目論んでたのに。うう、手出しづらい……」

 文句を言いながら、恭さんはベランダに煙草を吸いに行ってしまった。


「大体さー。何で結花なんだよなー。俺様よりどりみどりなのに。よりによって、こんなちんまり系あらいぐま」

 聴こえてますよ、その独り言。みゅぅ。


 窓を開けて戻ってきた恭さんが、奥からギターを取ってきて、軽く小さな音で爪弾く。

「Moon River」を微かに歌いながら、コードを押さえるキュッとした音をさせるたびに、私の胸もきゅっとなる。窓の向こうで月が笑う。

 一番近くで。声が響くほど近付いて、その歌声を取り込もう。

 ハスキーヴォイスのかすれ具合。届くか届かないかくらいの距離を保って。


 今夜は、満月より少し欠けた月がでている。

 月は菜月さんであって、恭さんでもある。同じ形に欠けて行く月。

 オレンジ色の秋の月は、ちょっとおいしそう。ビスケットみたいにクリームはさんでサクサクって齧りたくなるようなの。表も裏も同時に減っていくよ。


「いや、待てよ。フェアだって言うんなら、俺もっと先まで行っていいんだよな」

 そう言って、下手なウィンクをしながら、ギター越しに背中からふんわり抱きつかれる。

「マシュマロみたいだな。ふわふわぬいぐるみ」


「時雨さんはゆっくり進んでくれた。私は一歩一歩階段を昇るみたいで嬉しかったの。ね、だから恭さんも焦らないで」

「えー、俺、足長いから、階段は一段抜かしで行くんだけどなー」

 その口の尖らせ方、こどもっぽいですよ? くすくす。


 顔はそっくりだけど、性格は結構ちがうよね。

 穏やかでクールな菜月さん。悪戯ずきで強引な恭さん。


 セクハラまがいの登場に、アクシデントみたいなキスでドキドキしてしまったけど、もう一度抱きしめるところからはじめて下さい。


「結花はいつでも自由だよ。でも、できれば時間を巻き戻したいくらい、もっとそばに置きたい。もう放したくない」





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