第48話 君は苺のドルチェ
「おかえり」
ドアを開けたら時雨さんが立ってて、私のことぎゅーーって抱きしめるから、く、苦しいよぉ。
頭の上に眼鏡がコツンと当たってイタタっ。
「あ、ごめん。忘れてた」
そう言ってあわてて外して、右手に持ったまま、またぎゅって。
「帰って来なかったらどうしようかと思った」
「たった一晩、いなかっただけじゃないですか」
「一晩が永遠に思えたよ」
もう。また泣きたくなってしまう。
それは当惑じゃなく、受け入れていく涙に変わっていく。
いつしか二つの川の流れに身を任せて、自らの意志でここにいたいと願っているきもち。
たとえ恋という名じゃなかったとしても、このハグにここまで想いがこもっていたら、もうそれでいいじゃないか。
*
結花がはじめて会ったのは、恭の方だよ。あの日あいつが言ってたのを覚えてる。
「なんかさ、ちっこいのが来て泣いてんだよ。涙を必死にこらえてるんだけど、やっぱ泣いてんのがわかる。でも、笑おうとしてて、すっげぇ可愛いの」って。
次に来た時に会ったのは私だ。すぐにわかった。あ、この子だ。
今度はカウンターに座って、私がラテアート描くのを真剣に見てたね。
もうさ、その姿見てたら、嫉妬が湧くどころか私まで気になってしまって。
きっとね、結花がすきになったのは恭の方だよ。
悲しみに震えて涙をこぼしそうになっていた君に、大丈夫?って声を掛けた方。
私はあの日のことを思い出していた。
そうだ、隼人から別れを切り出されて、ああ、私ひとりぼっちになっちゃったって、夢中でどこかを歩いていた。部屋に帰って泣いたらどん底に落ちていってしまいそうで、なんとか踏みとどまりたくて、目の前にあったカフェに入ったんだ。
人が見ていればみっともなく泣き出すことなんてできない。そんな場所にいないと自分が保てなくなってた。
あの時耳元で聴こえた声。私の目を覗き込んだ人。
少し青味がかった、まるで空を映したような瞳。私の居場所は今はここ。なんだかそう思えてしまって、ふとあたたかくなった。
私がはじめて逢ったのは、恭さんだった。
*
なのに、告白してきたのは私にだったね。笑っちゃったよ。でもね、私も興味があったんだよ。
なにせ恭がめずらしく惹かれた女の子だから。この子のどこがいいんだろうって。
わざと二人の邪魔をした。恭の気持ちを知ってて、あいつには秘密で結花に一緒に住まないかと持ちかけた。
そこからが想定外。暮らしているうちに君に情が湧いて、たまらなくなって、手を伸ばしたくなってしまった。相手は女の子なのに、どうしてだか止められない。前にも言ったかもしれないが、私の中には男のような部分がある。
次第に私まで君のことがいとしくなっていく。自分の感情が今までと照らし合わせてもわからなかった。百合ごっこみたいなことはあっても、女の子とキスまでしたのははじめてで。どきっとして、同時に温かくて、やめられなかった。恋ではない。でも、じゃあ、これは一体何だ。
はじめて結花とキスした夜に、恭が飛んで来たでしょ。あれで気づかれてしまった。
花火の日には結花を取り合ったね。今までのように辛さではなく、甘く響いてくるから、二人で君をはさみたくなる。
なぜか私たちはものすごく救われたような気がした。大袈裟に言うなら、天使のようだった。
私が結花の胸をさわったはちみつの夜。
次の日に、恭が私のところにやって来た。酷く取り乱して。
だから、今までのことを全て話した。結花を取り上げたことも。
滅多に怒らないあいつが、本気で私に怒りをぶつけて来た。それで、恭も結花に本当に惚れてるんだってわかったんだ。
結花が恭に惹かれながらも、私のことを本気ですきになってくれてるのも知っていた。嬉しかった。
私たち二人は、間に入れたその人を傷つけるくらいなら、禁忌を破って自分たちだけの背徳にした方がましだ。そうずっと思いながら、たくさんの人を巻き込んできてしまった。境も、小夜子も。
ほんとは、結花と恭が結ばれたら自然なんだってわかってる。
私の存在がいちばん訳がわからない。なのに、ふと三人で一緒にいられないだろうかと考えてしまった。
ずっと迷って君に触れずにいた。もう本当のことを話して結花に委ねようと思ったんだ。狡いよね。
*
「ホットミルクでも入れるから、待ってて」
あら。テーブルの上には、季節はずれのイチゴ。コロンとあちこちに転がされている。
「いてもたってもいられない時は、デザートを無闇に作るんだ、私は。一心不乱でクリーム泡立ててると、すっとしてくる」
しかも、これ、何使ったの? 巨大なビーカーみたいな透明な容器。ああ、一度に500ml測れるカップだ。
何層にもクリームが積み重ねられている。
「コーンフレークで誤魔化さないからね。紹介すると、上から生クリーム、カスタードクリーム、バニラアイス、ラズベリーのジュレ、苺を刻んだもの、苺クリーム」
泡立てた白いホイップクリーム。たまご色をしたカスタードクリーム。ラズベリーと苺の赤い層。きれい。添えられたロングスプーンで何層にもなったものを崩しながら、最後に引き寄せて口に運ぶ。
名づけて、結花パフェ。
君は一見苺のショートケーキっぽく、こどもっぽく見えるけど、実はちがう。
内包しているものが誘惑的。甘くてふわふわかと思えば、食べ進むと、奥にはカスタードや酸っぱいジュレ、苺の果実も発見できる。シャーベットになった冷たいものも入っていて驚かされる。ちらっと見えてるけど、隠されているもの。意外性。
「君は、苺のドルチェ。私にとって大切なたからもの」
急に打ち明けて、そして、勝手に巻き込んでごめん。
いろんな葛藤を感じながらも、菜月さんは私を受け入れてくれた。私のいとしい人。
確かに最初に恋をしたのは恭さんだったかもしれない。
でも、私はやっぱり菜月さんに恋をしている。
*
結花。君を通すと、よりやさしくなる。同時にどうにも止まらないくらいに強く欲しくなる。
今までになかった感覚だった。平穏と快感を同時に味わっていた。小舟に揺られるかのように。時に波が叩きつけるように。
「いつか恭と結ばれても構わない。その時私が、一人で投げ出されても全く恨まない」
ねぇ、時雨さん。私、あれからずっと考えて悩んで、結論を出したの。
私は口には出さず、心の中でそっと思った。
もしもね、菜月さんか恭さん、どっちかを選べって言われたなら……。
私、菜月さんを選んだと思う。
それくらい、この一緒にいた5か月間は私にとって大切で、濃密な日々だった。
でもね、それ、意味がないんだよね。
だって、菜月さんにとって恭さんは絶対に切り離せない唯一無二の人で、恭さんがいない菜月さんなんて存在しない。
恭さんも同じ。菜月さんあっての恭さんで。
だから、私は恭さんがすきな菜月さんごと、愛してみようって。
つまり「私たちの恋人」って無茶なようで、私にとってはすごく自然なことなんだ。どっちを選んでももれなくもう一人ついてくるんだもの。
世間が何と言おうと、私はまるごと包めるような人になるの。そう考えたら、もうその結論しかなくって、これでいいよねって思ったの。
他の誰かを選んでも、君の自由だ。
だから今は、君を共有させてくれないか。心も身体も、罪も何もかも。
多分プラトニックではいられない。
私は時雨さんの目を見て、うなずく。
苺のドルチェが目の前にあったら、誰もが気になってしまう。
一口頬ばってみたくなるよ、きっと。
「君はパフェ。そんな抗えない魅力。そのせいにして、抱きよせてしまおう」
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