第48話 君は苺のドルチェ


「おかえり」

 ドアを開けたら時雨さんが立ってて、私のことぎゅーーって抱きしめるから、く、苦しいよぉ。

 頭の上に眼鏡がコツンと当たってイタタっ。

「あ、ごめん。忘れてた」

 そう言ってあわてて外して、右手に持ったまま、またぎゅって。


「帰って来なかったらどうしようかと思った」

「たった一晩、いなかっただけじゃないですか」

「一晩が永遠に思えたよ」

 もう。また泣きたくなってしまう。

 それは当惑じゃなく、受け入れていく涙に変わっていく。

 いつしか二つの川の流れに身を任せて、自らの意志でここにいたいと願っているきもち。


 たとえ恋という名じゃなかったとしても、このハグにここまで想いがこもっていたら、もうそれでいいじゃないか。



 結花がはじめて会ったのは、恭の方だよ。あの日あいつが言ってたのを覚えてる。

「なんかさ、ちっこいのが来て泣いてんだよ。涙を必死にこらえてるんだけど、やっぱ泣いてんのがわかる。でも、笑おうとしてて、すっげぇ可愛いの」って。


 次に来た時に会ったのは私だ。すぐにわかった。あ、この子だ。

 今度はカウンターに座って、私がラテアート描くのを真剣に見てたね。

 もうさ、その姿見てたら、嫉妬が湧くどころか私まで気になってしまって。


 きっとね、結花がすきになったのは恭の方だよ。

 悲しみに震えて涙をこぼしそうになっていた君に、大丈夫?って声を掛けた方。



 私はあの日のことを思い出していた。

 そうだ、隼人から別れを切り出されて、ああ、私ひとりぼっちになっちゃったって、夢中でどこかを歩いていた。部屋に帰って泣いたらどん底に落ちていってしまいそうで、なんとか踏みとどまりたくて、目の前にあったカフェに入ったんだ。

 人が見ていればみっともなく泣き出すことなんてできない。そんな場所にいないと自分が保てなくなってた。


 あの時耳元で聴こえた声。私の目を覗き込んだ人。

 少し青味がかった、まるで空を映したような瞳。私の居場所は今はここ。なんだかそう思えてしまって、ふとあたたかくなった。

 私がはじめて逢ったのは、恭さんだった。



 なのに、告白してきたのは私にだったね。笑っちゃったよ。でもね、私も興味があったんだよ。

 なにせ恭がめずらしく惹かれた女の子だから。この子のどこがいいんだろうって。

 わざと二人の邪魔をした。恭の気持ちを知ってて、あいつには秘密で結花に一緒に住まないかと持ちかけた。


 そこからが想定外。暮らしているうちに君に情が湧いて、たまらなくなって、手を伸ばしたくなってしまった。相手は女の子なのに、どうしてだか止められない。前にも言ったかもしれないが、私の中には男のような部分がある。


 次第に私まで君のことがいとしくなっていく。自分の感情が今までと照らし合わせてもわからなかった。百合ごっこみたいなことはあっても、女の子とキスまでしたのははじめてで。どきっとして、同時に温かくて、やめられなかった。恋ではない。でも、じゃあ、これは一体何だ。

 

 はじめて結花とキスした夜に、恭が飛んで来たでしょ。あれで気づかれてしまった。

 花火の日には結花を取り合ったね。今までのように辛さではなく、甘く響いてくるから、二人で君をはさみたくなる。

 なぜか私たちはものすごく救われたような気がした。大袈裟に言うなら、天使のようだった。


 私が結花の胸をさわったはちみつの夜。

 次の日に、恭が私のところにやって来た。酷く取り乱して。

 だから、今までのことを全て話した。結花を取り上げたことも。

 滅多に怒らないあいつが、本気で私に怒りをぶつけて来た。それで、恭も結花に本当に惚れてるんだってわかったんだ。

 結花が恭に惹かれながらも、私のことを本気ですきになってくれてるのも知っていた。嬉しかった。

 

 私たち二人は、間に入れたその人を傷つけるくらいなら、禁忌を破って自分たちだけの背徳にした方がましだ。そうずっと思いながら、たくさんの人を巻き込んできてしまった。境も、小夜子も。


 ほんとは、結花と恭が結ばれたら自然なんだってわかってる。

 私の存在がいちばん訳がわからない。なのに、ふと三人で一緒にいられないだろうかと考えてしまった。

 ずっと迷って君に触れずにいた。もう本当のことを話して結花に委ねようと思ったんだ。狡いよね。



「ホットミルクでも入れるから、待ってて」


 あら。テーブルの上には、季節はずれのイチゴ。コロンとあちこちに転がされている。

「いてもたってもいられない時は、デザートを無闇に作るんだ、私は。一心不乱でクリーム泡立ててると、すっとしてくる」


 しかも、これ、何使ったの? 巨大なビーカーみたいな透明な容器。ああ、一度に500ml測れるカップだ。

 何層にもクリームが積み重ねられている。

「コーンフレークで誤魔化さないからね。紹介すると、上から生クリーム、カスタードクリーム、バニラアイス、ラズベリーのジュレ、苺を刻んだもの、苺クリーム」


 泡立てた白いホイップクリーム。たまご色をしたカスタードクリーム。ラズベリーと苺の赤い層。きれい。添えられたロングスプーンで何層にもなったものを崩しながら、最後に引き寄せて口に運ぶ。


 名づけて、結花パフェ。

 君は一見苺のショートケーキっぽく、こどもっぽく見えるけど、実はちがう。

 内包しているものが誘惑的。甘くてふわふわかと思えば、食べ進むと、奥にはカスタードや酸っぱいジュレ、苺の果実も発見できる。シャーベットになった冷たいものも入っていて驚かされる。ちらっと見えてるけど、隠されているもの。意外性。


「君は、苺のドルチェ。私にとって大切なたからもの」


 急に打ち明けて、そして、勝手に巻き込んでごめん。


 いろんな葛藤を感じながらも、菜月さんは私を受け入れてくれた。私のいとしい人。

 確かに最初に恋をしたのは恭さんだったかもしれない。

 でも、私はやっぱり菜月さんに恋をしている。



 結花。君を通すと、よりやさしくなる。同時にどうにも止まらないくらいに強く欲しくなる。

 今までになかった感覚だった。平穏と快感を同時に味わっていた。小舟に揺られるかのように。時に波が叩きつけるように。


「いつか恭と結ばれても構わない。その時私が、一人で投げ出されても全く恨まない」


 ねぇ、時雨さん。私、あれからずっと考えて悩んで、結論を出したの。

 私は口には出さず、心の中でそっと思った。

 もしもね、菜月さんか恭さん、どっちかを選べって言われたなら……。

 私、菜月さんを選んだと思う。

 それくらい、この一緒にいた5か月間は私にとって大切で、濃密な日々だった。


 でもね、それ、意味がないんだよね。

 だって、菜月さんにとって恭さんは絶対に切り離せない唯一無二の人で、恭さんがいない菜月さんなんて存在しない。

 恭さんも同じ。菜月さんあっての恭さんで。


 だから、私は恭さんがすきな菜月さんごと、愛してみようって。

 つまり「私たちの恋人」って無茶なようで、私にとってはすごく自然なことなんだ。どっちを選んでももれなくもう一人ついてくるんだもの。

 世間が何と言おうと、私はまるごと包めるような人になるの。そう考えたら、もうその結論しかなくって、これでいいよねって思ったの。

 

 他の誰かを選んでも、君の自由だ。

 だから今は、君を共有させてくれないか。心も身体も、罪も何もかも。

 多分プラトニックではいられない。


 私は時雨さんの目を見て、うなずく。


 苺のドルチェが目の前にあったら、誰もが気になってしまう。

 一口頬ばってみたくなるよ、きっと。

「君はパフェ。そんな抗えない魅力。そのせいにして、抱きよせてしまおう」





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