第50話 花束を結ぶリボンみたい
いらっしゃいませ。
時雨さんの爽やかな笑顔で始まる、今朝のカフェ。
朝8時に『雨の庭』が開いている。試験的な朝カフェの1週間。
ヒンヤリとした朝の空気が、一日のはじまりを伝えてくれる。
店の奥から漂ってくる香ばしい匂いが、私たちをくすぐってくるの。
水蒸気で窓が少し曇って秋の気配。指ですっと落書きしたくなる。
外はしとしと雨が降っている。
もう時雨の季節だ。秋から冬にかけて降るつめたい雨。
この雨の到来は寒くなる一歩手前。こうして空気が一段、また一段澄んでいく。
ここ数か月で、私の人生は急展開。自分でも驚くほど素直に生きてしまっている。
私の横には、恭一さんが座っている。本日はお客として。
「おはようございます」
時雨さんが朝カフェのメニューをテーブルに置きながら挨拶する。
「おはよう菜月。昨夜はサンキュ」
二人が交わす会話とほほえみ。私はこうして見ていられるのがしあわせだ。
はじめてだね、このカフェに同時に、あなたとあなたがいる。菜月さんと恭一さん。
ジローさん以外のスタッフが、二人を発見するたびに、指をさして口をパクパクしているのが面白い。とうとうみんな知ってしまったか。
*
さて、朝メニューは何だろう。
うふ。サンドイッチだ。具が色々あるね。このみでホットサンドにもできるのか。
「サンドイッチの具でいったら、境はレタス、小夜子はパストラミビーフってとこだな。そして、結花はたまご。ってことで俺はたまごにする」
「あ、私もたまごです。もちろんディルを添えて下さいね」
スープは2種類から選べるの。
ボルシチとクラムチャウダー。冬が間もなくやってくる前の、赤と白。
恭さんは赤、私は白。もちろん、そっちのも味見させてもらうつもり。
あったかいラテを飲みながら待っていると、そこに藤木君がやって来た。
期待通り、いや、想像以上にびっくりしてる。目が当社比2倍になってるよ。
「え? 二重人格じゃなくて、双子……。それは思いつかなかったなぁ。うわー」
茫然と立ち尽くしている藤木君の肩を、時雨さんがぽんぽんとたたく。
「僕がいつも話している、本がすきな時雨さんは、どちらですか?」
時雨さんが、はいっと答えて、小さく手を挙げた。
「改めまして、時雨菜月です。こっちは兄の恭一。ちなみに私は……、女です」
藤木君、お目目まんまるで固まってる。一気に5倍にふくらんじゃったね。
「えっと、僕のあこがれている時雨さんが、お、女の人で、結花ちゃんの恋人がお兄さんの方? えー。あ、だめだ。オーバーフロー」
クラクラしている藤木君に椅子に座るようにすすめて、私たちはスープを交換した。
赤蕪ビーツのボルシチには白いサワークリームがちょこんとのってて、あら、その上にディル。濃厚でちょっと酸っぱくて、じんわりしてくる。
白のホワイトクリームのチャウダーの中に、赤い京人参が見え隠れ。こっちはパセリが散ってる。やさしくやわらかくクリーミー。どっちも色がきれいで、おいしーい。
スープをふぅふぅすると、湯気が昇って、みんなをあっためていくね。
*
一度休憩するから家に帰るという時雨さんと一緒に、恭さんと私も坂を上ってきた。
そしてもう一人。時雨さんの傘に入って、並んで歩いて来たのは藤木君。
「どうぞ、入って」
「こ、ここは時雨さんの家?」と藤木君が訊ねて、
「そう。そして結花と住んでいるんだ」と時雨さんが答える。
マンションの窓から観覧車を見つめる。いつものように。
今日も当たり前にそこにあって、まだ開園前だから止まったまま静かに佇んでいる。
ここからはじめて見たのは5か月前。Barで酔っ払って、気づいたらここで時雨さんと一緒に寝てたんだよね。あれから怒涛のような毎日だったな。
部屋のテーブルに4つ紅茶が置かれる。エキゾチックな花の香り。
私をはさんで時雨ツインズが両脇に座る。
で、目の前には鳩が豆鉄砲をくらった状態の藤木君がいて、なかなか口を開こうとしても言葉にならない。うん、わかる。私もそうだったもん。
時雨さんが女だって知った時の驚愕。しかも君は一遍に双子の事実まで知っちゃったんだもんね。
「祐、驚いた?」
「はい。僕が感じていた違和感は、恭一さんと話していた時のものだったわけですね。なんだか目つきが違うなぁって不思議だったんです。はぁ、合点がいきました」
……目つき。なんだろ。恭さん睨んでたのかなー。あはは。
「あとね、元々結花の恋人なのは、私の方。つい最近、
「え? はい? 結花ちゃんは菜月さんが女性だと知ってて?」
「最初は知らなかったけど、そう聞いてもすきだったの。後から恭一さんのこと知ったんだ」
「二人の恋人って、はぁ……」
「俺たち、結花、取り合った結果、平和的に共有を希望したわけ」
「ぼ、僕の理解の範囲を超えました……。ちなみに、僕も結花さんに告白したんですけど、あっさりフラレましたが」
「なんだ、結花、もったいないじゃん。祐、いい男だよ」
「時雨さん、何ですか、その発言はー」
しばらく考え込んでいた時雨さんが、ぽんっと軽く言うの。
「あのさ、当分の間、境がまたアフリカに行って留守にするから、あのマンションに住んでもいいよって言ってたんだけど、部屋4つあるのね。この4人でシェアする? ああ、祐。そこね、本の数が半端ないよ」
私が想像したより遥か斜め上空を、とんでもない提案が飛んでいる。い、いや、いくらなんでもそんなー。
「いいねー。結花の選択肢もふえる。但し、譲る気はない」
恭さん、面白がってるしぃ。
「はいっ。ぜひよろしくお願いします。僕、参戦させて頂きます!」
「ええー。祐君、そんな簡単に。よく考えた方が」
「あ、祐君って呼んでくれたね。やったー、はじめてだ」
あ、つい、つられちゃった。
「ふぅん。私が祐のこと誘惑しようかな」
……。マジですか。
あ、あれ? なんか藤木君、顔赤くない?
私に対してじゃないな。
時雨さんが女とわかってからの藤木君の複雑な表情を、私は見逃さなかった。
うーん。時雨さんの藤木君の可愛がりようも並々ならぬものがあるよなぁ。
私たちの関係、更に複雑化しそう?って、なぜかまたナチュラルに受け入れてしまいそうな私の心模様。
「
「ああ、よりによってスペルがSEXTETだ」
恭さんは面白そうにニヤニヤして片眉上げてるし、時雨さんは口笛吹いてる。まったく手に負えないツインズだよー。
「結花は、花束を結ぶリボン」
恭一さんが言う。
「色んな花や蔦が絡まった人たちを、一つにする結び目だね」
菜月さんが言う。
誰もこの恋の行方は知らないけれど、きっとこれからも甘くて、苦くて、騒がしい日々が続いていく。
そんな予感がする、時雨の降る朝。
fin.
スプーンに時雨 水菜月 @mutsuki-natsumi
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