第2章 引っ越したら境

第11話 同棲というより居候


 まもなく梅雨が明けて真夏が始まる頃、私はとうとう時雨さんのマンションに本格的に引っ越すことになった。

 最初は「お試し」とか言いながら自分のアパートと行ったり来たりを繰り返していたけれど、親に仕送りしてもらっている身。思い切って同棲、いや、居候させてもらうことにしたのだ。


 故郷の両親にはバイト先のカフェの店長(女)の一室に住まわせてもらう旨、電話をかけた。嘘ではない。男と住むとなったら別だろうけど、内情はともかく相手が年上のしっかりした女の人ということで、あっさり許可が出たのだった。


 まさかその人に恋してるなんて思わないよね。ちょっと心が痛んだけど、正直なところ私と時雨さんは全然恋人同士な訳でもなく、ただの私の妙な片想いであることは半月経っても特に変化はないから、心配しなくてダイジョウブ。


 食費と光熱費や諸々まとめてすごく安くしてもらったから、仕送り減らしていいよって伝えたけど、母が「使わなかったらいざという時のために貯めておきなさい」って以前と同額送ってくれている。わがまま言って東京の大学に来て学費出してもらってるから、せめて生活費はバイトで稼ぎたいなって思ってはいるんだ。



 引越は大きな家具はなくて他に大した荷物もないから、時雨さんがどっかから軽トラを借りてきてくれて幾つかダンボールを運んでおわり。

 運転する姿を見られたのが何よりの収穫で、私ずっと運転席をガン見してたと思う。

「なぜだろう。久しぶりに運転するせいかな。教習所に通った時の気分なんだけど」

 心なしか青ざめる時雨さん。ええ、多分、私の半端ない眼力のせいではないかしら。


 家事は別に気にしなくていいよと言われたけど、そうはいきません!ってことで、自分が参加できることは積極的にやっていくつもり。私だって時雨さんの役に立ちたいの。


 洗濯は乾燥まで自動だからお互い放り込んでおいて、お風呂が後になった方がスイッチを押しておく。掃除機をかけるのは苦手なのでお任せして、私はちょこちょこ水拭きしたり洗面所を磨いたりしてる。あらいぐまっぽいと笑われながら。

 食器はできるだけ担当して洗っている。これもあらいぐ……。(以下略)

 ごみは気づくと時雨さんがひょいっと持って行っちゃうから、私はまだ出したことがないの。何曜日に何かもよくわかっていないな。



 何よりもごはんっ。いつもおいしくて工夫されてて、気持ちがこもっている。

「いただきます」「ごちそうさま」って言葉を、心から言いたくなるような。

 私も上手になりたくて手伝わせてもらってるよ。時雨さんは研究も兼ねているからテーブルセッティングもシンプルながら凝っていて、毎回写真を撮ってメモを書いて、どんどんデスクトップに貼り付けていく。


 趣味のポラロイド写真でも必ず1枚撮って、部屋のコルクボードにピンで貼っていくの。

「ポラの淡い色合いが、なんかすきなんだよね」

 ボードに貯まってきたらお菓子の箱の中に収納していく。いつかこの子たちは「時雨レシピブック」になっていくのかな。そんな秘密めいた宝箱。私も一緒に頂いた、おいしい一皿たちの記録がそこにある。


 時雨さんは何台かカメラを持っていて、用途別に使い分けている。

 お気に入りは「LOMO-ロモ」という名のフィルムカメラで、別名トイカメラとも呼ばれている不思議ちゃんだ。夢の中の景色みたいに仕上がる、儚げで懐かしいような雰囲気の写真が撮れる。

「こっちは実験みたいなもんかな。料理と同じでトライ・トライ」


 コルクボードの真ん中には、私がお皿を洗ってるポラロイド。時雨さんが端っこにマジックで落書きしたあらいぐまマーク。

 その横には、私が撮った時雨さんの最高の笑顔の一枚がなかよく並んでいる。

 まだはじまったばかりだけど、大切にストップしておきたくなる日々のスナップ。心にもピン止め。


 

 時雨さんは時々私のことをじっと見て、「結花、かわいいね」って言ってくれるし、ふわっと抱きしめてくれるの。

 それからね、毎日おでこや頬にちゅってしてくれるのっ。あ、これには理由があるんだけどね。くすくす。


 私がはじめて時雨さんからおでこにキスしてもらった時に、「もう今夜は顔洗いません」って言ったら、時雨さんたら困った顔して、「じゃあ毎日するから、頼むから洗って」って、約束してくれたんだもん。


 だから毎日やさしいキスを、顔のどっか(くちびる以外)にもらっているのです。

 でもなんだかこれって、おさない子にしてるみたいな感じで、私のことは妹程度にしか見てくれてないんだろうなぁ。

 なのに私の方は毎日一緒にいると、どんどんすきになっちゃって困ってしまう。多くを望んではいけません。だって十分しあわせなのですから。



 あ、キッチンから香ばしい匂い。わぁーい、お蕎麦茹でてくれてる。

 つゆの出汁からふっとお醤油の匂い。なんだか故郷を思い出してあったかくなる。

 わお、すごいよ。ちゃんとかつおぶし、石器時代の道具みたいなやつを削ってる。

 山葵だって木の枝みたいなのを摺り下ろす本格派。こんなにきれいな色が出てくるんだね。優しいきれいな緑の線。


「引越蕎麦だよ。いよいよ一緒に住めると思うと嬉しいね」

 にこっと笑うとやっぱり男前の時雨さん。

 八割蕎麦の歯応えが少し堅めで、噛んだ時の香りもいい。途中でとろろをたして食べる。

 調子に乗って山葵を入れすぎちゃって涙目になる。すると、すっと長い手が伸びてきて私の涙を受け止めてくれるの。


「さて、これで心おきなく……」

 立ち上がってこっちにくる時雨さん。え? あ、だめーーー。

「……ずっと眺めていられるねっ」

 隣に座って、にこにこした顔でじっと私を見つめる。

 ただ見つめてないで、もっと、近づいてほしいなぁ。


 みゅぅ。





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