第5話 「雨の庭」には二羽


 カフェ「雨の庭」の由来は、店長である時雨菜月しぐれなつきによるものらしい。名前通りに雨に好かれてしまった、肝心な時にはいつも雨降りの彼女に捧げられた店名。


 「雨の庭」はカフェの奥側が、小さな庭に面している。都会の一画とは思えない、誰かの家のようにさりげなく自然な庭。

 蔦の絡まる窓の近くでのきらきらした昼下がりの時間は、そこにふわりとスポットライトが当たって、やさしい光が注ぎ込む。紅茶の黄金色に似たその光は、お客さんをしあわせに包んでいるみたいにやわらかい空気に包まれる。


 一方、雨の日には、その光は少し物憂げになる。けれど、草原のような無邪気な庭の葉に、しっとりと霞みがかかっていくのを見るのも、また落ち着いた気分になれるの。心の中までシャワーで洗い流されていくかのように。

 今の季節はスズランの白い花からぽたりと雫が落ちるのを、そっと掬いに行きたくなる。



 ここの人気は、そんな居心地の良さと、おいしいメニューにある。キッチン担当のジローさんが定番と共に準備する「日々の気まぐれ」は大人気のランチだ。

 或る日はローストチキンサンドイッチ、また或る日は夏野菜のキーマカレー。直接農家さんと契約し、季節に合わせた旬のおいしい野菜が使われてる。

 五月はたけのこを使った和御膳もあったなぁ。賄いもお裾分けがあるから、いつもしあわせなんだぁ。


 時雨さんはカフェ担当だけど、メニューの開発はジローさんと一緒に考えているから、よく厨房でも意見を交わしている。

 というか、時雨さんは全てに携わる総合プロデューサー的役割なんだよね。毎日カメラで撮影したカフェの写真をinstagramで更新してるし、フリーペーパーも作ってる。流れている音楽も、置いてある本のセレクトもみんな、時雨ワールド。



「パティシエの香織さんって、きれいですね」

 休憩中、思わず漏れてしまった私の発言を聞いて、時雨さんがニヤニヤ笑ってる。

「そっか? まあ美人だけどな。香織はちょっと男に媚売りすぎだろ」

「女から見ても色っぽいというか、モテルだろうなって。いいなぁ」って言ったら、時雨さんが目を丸くしてこっちを向く。


「あのさ、もしかして結花ちゃん、自分に自信がないの?」

「ないですよぉ。なんか私ってちんまりって感じなんですもの。高校の時『ぴょこん、ぺこっ、ちょこん』って言われたことがあって」

「はい? 何それ」

「私の『起立・礼・着席』の感じらしいです」

 あれ、時雨さん、下向いてなんだか肩が震えてませんか。笑いすぎです。


「ね、最近カフェに男の客、ふえたと思わない?」

 あははと涙を拭きながら、時雨さんが私の目をまっすぐ見る。うわ、きらきら光線だ。

「そういえば、男の人一人でいらっしゃるお客様が結構いますね。このカフェって、断然女の人が多かったですよね」


「結花ちゃんがバイト入ってからなんだよ。案外本人はわかってないんだな。君は自分の魅力に気付いてない蕾だ」

 またそうゆう気障なことを平然と言うー。

「カフェのみんな、君の名前を知らない頃は、ふわぽわちゃんって呼んでたんだ。まったく作戦通りだよ。君を雇うことにした当初の目的バッチリ達成だ。なかなか自分の見立てにほれぼれするな」

 ウィンクして説明する時雨さんに、私は心底びっくりしてしまった。


「カウンターによく座ってるあの子がバイトに来てくれたら、絶対人気でるよねってみんなで言ってたんだよ。学生だろうから夕方からならどうだろうかって。君が通りを歩いて来るのが見えた途端、キュー出して『バイト募集』の張り紙を貼ったんだよね。そうしたら、元気よく『はーい』って手をあげてくれて、やった!って、キッチンにもサムズアップ送ったんだ、あの日」

 わぁ、そんな経緯があっただなんて。ここでの私、そんなはじまりに仕組まれてたのなら、とても嬉しい。


「あのね、君の存在ってもうなんかね、かわいくて仕方ないの。そのまっすぐな瞳で相手見つめて小首かしげてごらん、ふわぽわ結花ちゃん」

 ええっ、テレチャウ。どうしよう。

「たとえて言うと、このイメージだな」

 そこにあった一冊の絵本を手渡される。

 ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノさんの『マドレーヌとパリのふるいやしき』。パリの寄宿舎に暮らしてる、まるい襟のお洋服が似合う絵本の中の女の子。

 え? は?


 あった、あった。そう言って、私に近寄ってくる時雨さん。

「じっとしてて」

 そう言って、私の髪にカチューシャみたいに空色のリボンをくるんって結んでくれた。頭のてっぺんにリボンの結び目が揺れる。

「ほら、プレゼント出来上がり。かっわいいー」

 あはははーって声上げてる、いたずらっ子みたいな時雨さん。なんというか、もしかしすると、私ってちっちゃな女の子扱いかもしれません。むぅ。



 休憩が終わってカフェに戻る。いつのまにか小雨が降り始めている。

 葉を打つのは、夏の訪れを知らせる静かな音。まだ涼やかな日々。


「時雨さん、ね、また来てる」

「あ、ほんとだ」


 雨の庭の木の枝に、二羽の小鳥が雨やどりに来ているのだ。

 淡いピンク色したなかよしの子たち。一体何処からここに来てるんだろう。


 カフェラテになさいますか? それともピンクレモネードにしましょうか。

 グラスは一つで、ストローは二つかしら。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る