第4話 結花の妄想は果てしなく


 やばいやばいやばいやばい。

 もう全身がしあわせに包まれちゃって、このまま軽くなって風船みたいに空に浮かんじゃいそうなくらいの勢いなの。

 今日一日どうやり過ごしていたのか最早わかんない。バイト休みの日でよかったぁー。これからどんな顔で働けばいいんだか。


 自分の部屋に帰ってから、私は何もできずにぺたんとクッションの上に座ったきりしばらく動けなかった。

 時雨さんのシャンプーは、柑橘系で爽やかながら、ちょっと草の葉の匂いもする甘めのビター。時折ふっとそばを通る時に香っていたのは、フレグランスじゃなくてこの匂いだったのね。そんなことを知ることができたのは泊めてくれたから。ちょっと秘密をのぞいたような気分に浸る。


 警戒しなかったのかな、私のこと。仮にもすきだと告白した危険人物だよ。拒否されても当たり前なのに、あまりに無防備だよ、時雨さん。

 それとも女だからもうあきらめただろうと無印認定されて、女同士のつきあい的な感じに持っていこうとしてるのかな。

 だから裸シャツだったのかもなぁ。私は意識していませんという意思表示。

 そうだったら全くの逆効果だよ。私の中に存在していなかったものを、いや、もしかしたら眠っていたものを引き出してしまったんだ、あなたは。寝た子を起こしちゃったんだよ、むっくり。

 なんて考えてみたけど、きっと時雨さんは、いつも通りにワイシャツを着てただけだ。通常運転。ただそれだけ。意識してるのは私だけなんだから。

 うぁあー、意味もなく両手で顔を覆ってしまう。目を閉じても思い出せちゃう、脳裏に焼き付いちゃったあの姿。罪つくりな人。


 やはりこれは恋で決定なのだろうか。女だとわかっても止められないこの想いと、私はこれからどうつき合っていけばいいのだろう。訳もわからず涙が出てきた。

 時雨さんの寝顔思い出しちゃった。近くで見ても美しかったな。睫毛が長くて、透き通るような肌をして、そっと吐息のような寝息が聴こえてきた、奇跡のような今朝のできごと。



 少し落ち着いて、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してくる。いつもならグラスに注ぐけど、なんかチカラ抜けてるから、いいやそのまま。キャップをひねってゴクゴク喉を潤す。そんな小さな音さえ、身体中に大きく響いて私を揺るがせる。


 スマホを手繰り寄せた私は、覚えていたシャンプーの銘柄を検索する。ポチッとカートボタンを押して、自分の熱さを冷やすかのように更に喉に水を注ぐ。

 大丈夫、もう手に入れたからね。落ち着いてシャワー浴びに行こう。さっきまで「だいすきなアイドルに握手してもらったから一生手を洗いません!」って宣言する女の子みたいに、このままだと髪洗えなくなる心境の私だったのです。ずっと時雨さんの匂いに包まれていたいって。


 いつものシャンプーでほっと一息ついたはいいけど、自分のやってることに心底呆れてしまう。はぁ。ため息何度目だろう。

 だってね、私、とんでもないもの検索しちゃったんだもん。

「百合」って入れたらね、百合の花が一番最初に出ないんだよ。もう女の人同士のキス画像とかがページを埋め尽くしちゃうの。世の中いつのまにこんなになった?

 そして人生二十年目にして思わぬ方向に走る自分に驚く。ほんの少し前まで考えもしなかったことが今起きてる。ほんと人生って何が起こるかわかんないね。


 キス、最後にしたのはいつだろう。別れた彼とだからほぼ半年前?

 最後のさよならの長いキス。せつなくて今も覚えてるあの感触。傷ついたまま、しばらく恋はしたくないって思ったの。

 彼は今どうしているだろうか。お互いに共通の友人がいないことが私をほっとさせる。いまどき友人がいたら風の噂どころじゃなく、手に取るように近況がわかってしまったりするもの。まだ忘れられないセンチメンタルとうらはらに、いつしか遠くなりつつある日々をなつかしむ私がいる。くちびるにさわって、少しの間だけ過去に帰っていく。



 ね、百合って何を意味するの? 女同士愛し合うことだよね。プラトニックなら、そうは呼ばないのかな。

 すきになってしまったら、男の人とするのと同じようにお互いにふれあって確かめ合いたく、いずれはなるよね。はて、行き着く先には何が待っているんだろう。とまどいながらも私の指は次々に検索をしかけている。いやだ、結花のエッチ、ばか。

 

 男同士の場合は世間の噂によると多分ああかなって。でも百合の場合は、つまりえっと勃つものがないわけじゃない。ピースが合わさらない。そこはどうするの? えっと……。いやぁ、何想像してんのー。女の子の癖に、私ったら口に出せないNGワードをいっぱい心に浮かべちゃった気がする。ぶんぶんぶん、首を横に振る。

「なんて、はしたないんですか。お母さんはこんな子に育てた覚えはありませんよ」

 ああ、とうとう田舎の母が脳内に出てきたぁ。きゃぁああ、ごめんなさーい。


 くすん。時雨さま。結花はいけない子です。

 でも、男性だと思っていた時には、ぎゅって抱きしめられたり、キスされたらいいなぁなんて、ちらっと思っていたのです。そこはきっと変わらない。最終的な、具体的な想像までは誓ってしてません! 片想いなのに想像の翼をはためかせすぎっ。こら、だめっ。


 心の中で謝っていたら、ブルルルと電話が鳴る。

 着信を見たら時雨さんっ! すごいタイミング。私の悪い妄想が届いちゃったのかな。そんなわけないよね。


「もしもし」

「ああ、結花ちゃん。元気になった?」

 はいっ。ああ、嬉しい。時雨さんの優しい声が耳に届くと、きゅんとなる。

「時雨さん、ほんとにごめんなさい。お世話になりました」

「構わないよ。楽しかったから、また来てね」

 また来てね、来てね、来てね……。勝手に言葉がリフレインする。


「ありがとうございます。もう、時雨さんたら一緒に住んでもいいよなんて、冗談言うんだもの。びっくりしちゃいました」

 まったくジョークにしてはきついよ。

「え、本気だよ。別にいいじゃない? おいしく食べてくれる人なら大歓迎」


 えっと、おいしく食べてくれるって、もちろんごはんのことですよね?





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