第5章 花束を結ぶリボン
第41話 秋のカフェ*カフェ
あの夜から、気がつけば時が過ぎていた。もうすっかり朝晩の空気は秋だ。
時雨さんからは、泣いた理由の説明が何もないまま。表面上はいつもと変わらないように見える日常。
けれど何かが音を立てて変わってしまったことに、戸惑いながらも毎日が繰り返されていく。
それでも私が今できることは、ここでは笑顔でいることだけだった。
カフェ『雨の庭』の給仕用ユニフォームも衣替え。
夏のブルータイプから、秋らしいベージュのブラウスに代わったの。
スカーフタイはチェック。男性用は白黒にイエローのライン。
女の子はだいすきな赤のブリティッシュチェック! キャスケット帽には端っこにフカフカモフモフのクリーム色のファーがついてる。
そして帽子とタイにくま模様がちょこん。やっぱりかわいい制服は正義!
制服のデザインは恭さんが描いたラフスケッチを元に作ってもらってるんだって。
そういえばよくスケッチブックに落書きみたいな絵も描いてるもんなぁ。あれはお仕事の絵とはまるで作風が違って、ちまっとしてるんだよね。
ハンコでぺたぺた押したような、ほわっとした感じのゆるさ加減。うふー。
*
まもなくハロウィン仕様の季節。あのモチーフたちは、デザインとしてクリスマスに匹敵すると思う。年々流行が加速してくるのもうなずけるな。
こうもりや妖怪たちまでかわいくて、オレンジと黒の組み合わせがとてもおいしそう。
今夜の賄いには、季節メニューのアイディアが次々と登場してくる。
ラテアートの絵柄も新作がいっぱい。ドクロやおばけちゃんもあるよ。
でも、ラテって上手に飲んでも最後はみんな結局、うらめしやの白いおばけちゃんのしっぽみたいになっちゃうよね。ヒュルルルーって。
で、口の周りに白い泡がついて、一緒にいる人が和むの。
「トリック、オア、トリート」はどっちを選択しても甘くなる。いたずらも、ごちそうも、飛び切り楽しい仕掛けでしょ。
試作ではパティシエの香織さんが作るポップオーバーとカヌレが出てきた。
ポップオーバーはシュークリームの皮みたいに、中が空洞でぽこぽこしたパンみたいなもの。今回はかぼちゃが練りこまれてる。
カヌレは焦げちゃったの?って心配になるお菓子だけど、カリっとして中はもちっとして、これも秋にぴったりだなぁ。
私が提案したのは、ドーナツにちょこっとお花の絵をアイシングで描くこと。すみれとか可愛いけど、季節的にはコスモスかな。
これ、自分でやっても楽しい。アイシング体験とかできても面白いかな。
ハロウィンならオレンジドーナツにチョコがけで、その上からオレンジ色のかぼちゃおばけ「ジャック・オ・ランタン」を落書きするのもアリだなぁ。
時雨さんの理想のカフェの話を聞いてから、私も今までのようにただここに置いてもらってるだけじゃなく、自分なりに仕事を工夫してみたいと思うようになったの。
もちろん、基本スキルを身につけることがいちばん大切だけどね。
でも、意識の改革、気持ちの持ち方で、たとえ同じことをしていても違ってくる気がするんだ。
カップ一つの置き方から。バイトだろうと何だろうと、きちんとここの一員になりたい。
*
時雨さんがかつて修行していたカフェというのは、アメリカのシアトルにあるベジタリアン向けのお店だったらしい。写真を見たら、まだ今の私くらいの年の時雨さん。あは。若い。やんちゃな男の子っぽいの。
前にたくさん話してくれたね。時雨さん。
語学留学で行ったシアトルで知り合った友人たちが、食に関して興味がある人たちだったんだ。
それで色々とみんなで食べ歩いていたある日、ベジタリアンの奴に教えてもらった店のメニューがおいしくて、すっかりそこが気に入ってしまった。
アメリカってもっとドーンとした大雑把な料理ばかりだと勝手に思ってたけど、そこの繊細さと言ったら和食に近い感じでね。野菜の扱い方が丁寧で、サラダやスープの季節ごとに替わるバリエーションが魅力だった。
朝からそこのパンケーキを食べに来る常連さんでいっぱいで、あまいタイプだけじゃなく、野菜のパンケーキもあって、いつも賑わってた。玉葱のパンケーキが、香ばしくて甘みもあってすごくおいしかったな。
ラテアートもそこのバリスタに教えてもらった。
ねこを描いたらすごく喜ばれてしまって、私のトレードマークみたいになったなぁ。
ナツキ・キャット・プリーズってリクエスト。何をしても吸収してしまうスポンジのような自分がいて、ものすごく楽しかった。
反面、日本から逃げてきたような状態だったから苦しさもすごくて、なかなか自分を取り戻せなかった時代。でも、確実に私にとって必要だった。
あの時があるから今の私がある。何処かで今もあのカフェとつながってる。
私は時雨さんのことを、もっと知りたい。そう思っているのに。
本当の自分を知ったらキライになるだなんて。
あの日から私と距離を置いている時雨さんが少し恨めしくて、信じてもらえない自分をどうにかしたいのに、私はもう一歩近づけないことが、もどかしくて仕方なかった。
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