第40話 通り雨に打たれて


 あーあ。やっぱり熱がでちゃった。

 時雨さんのせいだぁ。あんなことするから。


 というわけで、今日は学校お休み。おとなしく寝ていることにする。

 くうくう眠っていたら、LINE通知が鳴った。

 あ、藤木君だ。この前、交換したんだよね。もう授業終わったのかな。


> 結花ちゃん、大丈夫? 風邪引いたんだって?

> うん。でも、もうほとんど下がったよ。

> 今日の講義のノート、後でテキストファイルにして送っておくね。

> わー、ありがとう。ぴょんぴょん(うさぎスタンプ)。今、カフェから?

> そう。夜カフェの案をまた考えたから、時雨さんに報告しに。

> それは楽しみ。来月にはできるかなー。

> そうだね。楽しい夜になるといいな。お大事にね。

> はーい。明日はきっと行けると思う。またね。

 私は最後にこぐまのスタンプを押してから、画面の電源を切った。


 彼は私のことをいつのまにか「結花ちゃん」と呼ぶようになった。

 でもそれはカフェにいる時か、二人だけの時。あとはLINE上での限定。大学では相変わらず「橘さん」で完全に分けている。

 悪い気はしないんだよね。秘密めいていてくすぐったい気分なの。



 ああ、いくら眠ってもまだ夢の中のようだ。

 昨夜の余韻に酔っていたいから、目を瞑って思い返している。あの手の動き、感触、痺れていく感覚。 

 全てを順番に、何度も繰り返し呼び起こしている。まるで広がる雲の上にたゆたゆと乗っかってるみたいで、どこまでも遠くに流されて行ってしまいそう。


 ……なのに。ぐうぐうとおなかの虫が鳴る。色気より、だな。

 時雨さんが作っておいてくれたお粥の土鍋に火をつける。蓋を開けると湯気が上がってやさしい匂いがする。たまごがふんわり入っててしあわせ。

 テーブルに準備されている梅干と青葱を上にのせる。レンゲですくってふぅふぅいいながら、あたたかさに包まれて食べるの。うう、おいしい。熱もすっかり下がったよ。


 ほうじ茶飲んで、しばらくおとなしくごろごろしてみたけど。昼間寝すぎたせいか夜になっても目が冴えてしまって、オフトンに入っても眠れない。

 でも風邪がぶり返したらいけないから、毛布をつれてきて、おとなしくソファーでまるまってみる。


 ……みゅぅ。時雨さん、今夜は遅いなぁ。さみしいー。



 真夜中になって雨が降ってきた。窓を叩きつけるような強い雨。

 時雨さん天気予報見てるかな。カフェに置き傘あるから大丈夫だよね。


 カチャ。

 あ、帰って来た。

 おかえりなさ……。


 わぁ、時雨さん全身びしょ濡れ。あわててタオルを取りに行く。

「結花。だめじゃないか、寝てないと」

 声が掠れている。やっぱり風邪うつしちゃったのかな。なのに雨に打たれたら。


 私は時雨さんの顔を見て驚いた。顔色は真っ青で、目は真っ赤。何かあったの?

「大丈夫だよ。急に降られたから」

 そう言いながらタオルで濡れた髪を拭いているけど、尋常じゃない雰囲気なんだ。シャツも体に張り付いて、ほんとに冷たそう。


「早くお風呂入った方がいいです。沸いてますから」

「そうだな。ありがと」

 私はそっと時雨さんのくちびるにタオルを当てる。腫れて、端が切れて血が滲んでいたんだ。誰かに何かされた?

「あ、いや、たいしたことないから。風呂入ってくるね」


 しばらく経ってお風呂から上がってきた時は、もういつもの時雨さんだったけど、声はやっぱり嗄れてる。

 私はキッチンに行って、林檎をすってくず湯を作った。これなら痛い喉にもすっと入ってあったまるから。

 一匙すくってはさましながら、時雨さんが口に入れていく。

「ありがと結花、おいしいよ。顔色よくなったね。熱下がった? いい子にしてた?」

「私は一日ゆっくり寝てたので、すっかり元気です。それより時雨さん、何かあったの?」


 私にほほえみかけた後、時雨さんはしばらく黙って音楽をかけて、その曲に耳を傾けて何か考えていた。

 ショパンの曲集。静かな湖面を行く「Ballade No. 1 in G Minor, op 23」、そして「雨だれ」。ポツンポツンとピアノの雨音が響く。


「ごめん」

 一言そう絞り出すように言った時雨さんは、ずぶずぶとソファーに沈んで毛布にくるまれていく。膝かかえていると、いつもより幼く見えるね。

「もうだめだ。罪悪感でいっぱいになってきてしまった」


 どうしたの、時雨さん?

「本当の私を知ったら、絶対に結花は離れていくよ。必ず嫌いになる。それがこんなに怖くなるなんて。こんなはずじゃなかったのに……」

 え? 私といることを後悔しているの?

「たとえ人非人でも、詐欺師でも、実は三つ子でも……。きらいになんかならないよ? わざと何か言っても無駄だよ、時雨さん。離れるなんて私、絶対いやだよ」


 ふっと笑った顔がゆがむ。

「ごめん。本当にごめんね」

 何度も謝る時雨さんが小さく見えて、私は抱きしめてあたためることしかできなかった。


 時雨さんが泣いている。






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