第20話 水曜日にはコンフィチュール


 その夜は眠れなくなって、そぉーっと起き出してソファーのところに行ったの。

 さっきまでここで時雨さんと一緒にいた。その温もりを思い出しながら、ブランケットに包まれる。そうしたら……。


「眠れないの?」

 廊下から声が聴こえて、どきっとする。静かな足音が近づいてきて、私を後ろからくるむように腕を回してくる人。

 そして、隣に座って分けてくれた片耳イヤフォン。繋がる私の右耳と時雨さんの左耳。

 流れてくるビル・エヴァンスのピアノに耳を澄ます。だいすきな『Waltz fot Debby』だ。優しくて可憐な、すみれみたいな曲。少女が踊るはじめてのワルツにふさわしい。


 時雨さんは眠れるまで髪を撫でてくれた。私はあたたかい腕にそっと両手を絡ませてみる。今夜の余韻に浸りながら、とめどなく包まれるしあわせなきもち。

 ずっと目を覚まさず、このままでいたいなんて思いながら、うつらうつら揺蕩う。



 カフェの定休日には、時雨さんは出かけることもあるけど、基本的には家にいる。

 ゆっくり朝寝坊した後、ひらめいた何かを作ったり、すきな音楽を探したりするような時間の使い方がすきなんだって。

 1週間撮りためた写真を整理して、カフェのニュースペーパーやサイトにはめ込んだりするのも休みの日。昨晩もやっていたけど、私が邪魔しちゃったからね。


 今朝はご機嫌に歌いながら、何かコトコト煮ているよ。甘酸っぱい香りがキッチンを充たす。

「時雨さん、何作ってるの?」

「甘夏のコンポート。あ、結花、目つむって。こっちは当ててごらん」

 大人しく目を瞑った私に、はいって一匙のスプーン。あ、これはきっと……

「ラズベリー!」

「正解者にはご褒美です」

 手繰り寄せられて、ちゅってされる。以前は頬だったけど、昨夜からは当たり前のようにくちびる解禁。

「結花のくちびる、ラズベリーレッドだ。おいしそう」

 何度も何度も吸われて、魂ごと奪われる。コンポートが崩れすぎてコンフィチュール、アバンチュール。


 つき合いはじめたばかりの恋人同士のように、どうにもできない。

 誰かが見たら、確実に両手で目を覆うレベル。突然に甘くなる、二人きりの時間。




 今日はこのままいようかなぁ。迷いながら支度をしてみるけど、……ぁ、だーめ。チカラ抜けちゃって、もう学校行けなーい。

 だってね、更に釣り糸たらして、誘惑してくるんだよ。

「結花のだいすきなオムライス、作っちゃおーかな」ですって。


 ああ、それ、反則! 

 時雨さんのオムライスは、ケチャップライスが苦手な私のために、トマトの角切りから作ったソースを混ぜてくれたものなの。

 それから、とろとろのオムレツをどーんとのせて、スゥーっと真ん中にナイフを入れてくるむタイプ。まるでふかふかざぶとん。たまごのイエローがおひさまの代わり。

 トマトソースでハートを書いてできあがり。私をメロメロにさせてしまう一品。


 私を手離さない時雨さんの強い瞳と腕。ね、ずっと掴まえていてほしい。

「それは、なあに? フルーツのカクテル?」

 ぽんぽんってまるくくりぬかれたフルーツたちがね、金魚鉢みたいなガラスの器に浮いてるの。楽しそうに手をつないで踊ってるみたい。

「サングリアだよ。今日は昼から酔わせるつもり」 


 もう抵抗できずに、私まで急きょ休日モード。くちびる尖らせてキスをせがむ。

 時雨さんは、グラスに残ったフルーツを長い指で掬って、私にあーんってさせる。

 素直にキスしてくれないだなんて、もう、意地悪だな。代わりに指を口に含んだまま、離してあげない。

「こら、結花。いたずらっこめ」

 すっと逃げられてソファーの上。だから、追い詰めてみる。


 髪をかきあげられて耳にキスをされると、全身に電流が走っていく。

 唐突に理科の実験の豆電球を思い出す。ノートに書くスイッチオンの記号が入って、ちかちかするの。

 そんなにやさしく撫でないで。どうにかなってしまいそうだから。


 上くちびるだけを、時雨さんのくちびるで挟まれて、あひるになっちゃうよー。ぺろっとしたら、驚いた顔して逃げていく。

 二人で鬼を交代しながら追いかけっこ。つかまったり逃げたりを、ふざけて繰り返してる。もっと、もっと、って。


 気がつけば、もう夕暮れ。観覧車が呆れ顔で、私たちを見ているよ。



 今日のコンフィチュールは、糖度甘めになっております。ご注意を。



 (おーい。糖度は、高めじゃないの?)あは。



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