第16話 獅子は食わねど高楊枝


 あれ、おかしいな。

 なぜ私は境さんと二人きりで、このソファーに並んで座っているんだろう。

 彼が持ってきたジャズを一緒に聴きながら、ビールで乾杯なんかしている。


 境さんはやって来るなり、ささっとおつまみも作ってくれちゃった。

 まずね、お手製のキャラウェイシード入りザワークラフトなんてのを、鞄から颯爽と出して来たよ。ドイツのキャベツの酢漬けですね。

「クラフトじゃねーぞ、ザワークラウトだ」あは。


 そして、ホットドック用のパンにソーセージにマスタード。うまっ。シンプルなのにうまいってどーゆーことー? 

 パンがやわらかすぎずにカリっとしてて、フランスパンほど堅くない。

 ソーセージがパリッとジューシー。粒マスタードはフランス製かな。素材がいい最強の組み合わせって感じ。

「こだわりのソーセージだからな。そんじょそこらのと一緒にするな」

 にゃはー、うまうま。

 いかん。私ったら餌付けされている。



「時雨さんの様子、見に行かなくていいんですか?」

「ああ、機嫌悪い時は、近づかないようにしてる」

 そうですか? 今日のカフェの様子では、彼女は寧ろご機嫌に見えましたけど?


 私は時雨さんが誰彼見境なく女の子に声を掛けてる姿を思い出して、勝手に一人でムカムカしていた。

 具合が悪いんじゃなくて、生理になったらエロエロ光線出ちゃうから実家に帰ったんじゃないの? なんて勘ぐりたくなるくらいだ。


「なに、結花もなんか口が尖がってるけど、もしかしてアレ?」

 むっとしてるのが伝わってしまったようで、境さんが私の顔を覗き込む。

 いつのまにか「結花」って呼び捨てがすっかり定着しちゃったけど、まったく自然で気にならない。

 ところでその発言、間違いなくセクハラですよー。即レッドカードです!


「むぅ。だって時雨さんたら、今日女の子にすっごくデレデレしてたんだもん」

「ああ。あははは。あいつ、時々人が代わったようになるから。気にすんな」

 境さんは色んな時雨さんを知っていて、どの時雨さんも愛しているんだろうな。

 どんな言葉をかければいいか、してほしいことが何か、言わなくてもわかったりね。

 そんなの、私がすぐにめざしたところで敵いっこないよね。しゅん。



 境さんが読んでいる本。アラン・ムアヘッド著『白ナイル』って、分厚い砂色の本なんだけど、おもしろいのかなぁ。うわ、2段で字がすっごく細かい。

「白ナイル・赤ナイル・青ナイル」

「おいおい、赤パジャマ・青パジャマ・黄パジャマ、みたいに言うなよ」

 胸の上に読みかけの本を載せて、境さんが呆れ顔でこちらを見る。


「でも、青ナイルはあるぜ。二つのナイルが合わさってナイル川になる。これはそのうちの白ナイルの水源を探してる本なわけ」

「そうなんですか? 冒険の話?」

「男のロマンかな。今度アフリカ行くから引っぱり出してきて読んでる。かつてナイル川がどこから始まったのか、誰も知らなかったんだ」

 アフリカの地図を出して、こことここに行く予定って教えてくれる。

 私はいまだにアフリカ大陸の国の位置はわかんないな。アルジェリアとナイジェリアがあったよね。ある、ない、で名前は覚えたんだけど。


「そうだ。まだ菜月帰ってこないだろうから、明日は俺のとこに来いよ」

「境さん、もしかして友だちいないんですか」

「うっ、痛いとこ突かれたな」

「それとも、私の魅力にまいっ……」

「阿呆なのか、君は」

 苦笑しながら、境さんは続けた。

「ナイルの源流を探しに行く映画があるんだ。スピークとバートンっていう二人のイギリス人の冒険家の話。ここはスクリーンがないから、見たい映画があると菜月はいつも俺んとこ来るんだよ」


 ふーんだ。だってこう見えても私一応成人してるんだよ。

 めっちゃ弱いけど、21歳だからお酒も飲んでるしね。こどもじゃないもん。

 だから、この肉食っぽい男と二人きりで、しかも男性宅に一人でお邪魔していいのだろうか。しかも、一応恋敵だ!


 ……って、はいっ、一瞬思ってみただけですからっ。

 小動物には手を出さない余裕たっぷりのライオンって感じの境さんを見上げて、なぜか私はため息をついた。


「獅子は食わねど高楊枝」ってやつですかね。いや、それ「武士」だしな。意味も違うな。

 貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたかのように楊枝を使って見せることで、やせがまんする時に使うんだよね。

 やせがまんじゃ私のこと食べたいみたいじゃない。えっと、据え膳食わぬは、いやいや、ともかくおいら、めっちゃ女扱いされてねぇ、最近!

 って、複雑な女心をひとり芝居で嘆いてみても、しょーがないよね。 

「な、君を連れ出すわけだから、菜月に許可とっといて」


 境さんが帰ってから、時雨さんに電話をかけて明日のことを聞いてみる。

「ああ、いいんじゃない? 行っておいで。境のとこ、凄いからびっくりするよ」


 時雨さーん。それだけ? 二人きりで心配じゃないのー? えーん。





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