第43話 昼下がりのティーカップ


 急につめたくなった時雨さんに、私はどう対応していいかわからなくて、頭がぐるぐると混乱していた。

 大切だって言ってくれた。愛してる、とまで。


 でも、「私は誰のものにもならない」って言った時の、時雨さんのきっぱりと私を拒絶した目が忘れられない。

 私は昨夜のことをどう考えたらいいの? そうでなくてもフツーの恋愛とは違うのに。何をもってして叶ったというのだろう。恋ではない、とはっきり言われたね。

 愛とは、保護者的、お姉さん的な愛情のことなの? 時雨さんはたくさんの言葉を紡がない。まるで「自分で考えてごらん」というように、肝心なことを教えてくれはしない。



 金曜日の午後、緩やかな風が吹く昼下がり。

「どうしたの? 元気ないね。時雨さんと喧嘩でもした?」

 講義が終わって校門を出たところで、藤木君が声を掛けてくれる。きっと私、うすぼんやり顔してたのだろう。


 藤木君には素直に気持ちを言ってしまいたくなる。

 秘密が多すぎる恋だから、誰にも話せずに自分の中だけで葛藤していた。黙って一人悶々としてるのがめちゃくちゃ辛い。


「藤木くーん。えーん。時雨さんの気持ちがわかんないよぉ」

 友人で唯一時雨さんを知っているから、甘えてそんなことを言ってみる。

 もちろん、彼が私をすきだって言ってくれたことを忘れてないから、あくまでちらっとね。


 並んで歩きながら、ちょうど遊園地の横を通りかかった。

「ね、結花ちゃん。ここ入ってみない? 実はさ、僕毎日通ってるけど一度も入ったことないんだよね」

 いつも大学とカフェをつなぐ道にはこの遊園地があって、あたり前にそこにあるから眺めている景色と一緒で、私も中がどんなかは知らない。

 

 とはいえ、入ったはいいけど……。

「え、怖いものは一切だめ? ジェットコースター恐怖症? あはは」

 ごめんなさい、おこちゃまで。私、メリーゴーランドがやっとです。


「僕はね、チキンに思われがちなんだけど、あーいうライド系、すっごいすきなんだよね。バンジージャンプとかスカイダイビングとかやりたいくらい、高いとこも大得意!」

 わぁ、人は見かけによらないね。目きらきらしてる。こういう人と足して2で割れたらいいのにって思うよ。

 遊園地ってメルヘンに見えて、実はスリル満点すぎて、だから私なかなか来れないの。夢の中で乗っても卒倒しそうなくらいに苦手。


「あの、体がふっと浮いちゃう瞬間がだめで」

「じゃあ、あれは?」

 藤木君が指差す先には、コーヒーカップ。

「コーヒーカップ!」「ティーカップ!」

 あれ、同時に叫んだけど、名称がちがうよ。


「あ、イギリスではティーカップって呼んでたんだ。僕こどもの頃向こうで育ったから」

 やだ、知らなかった。道理で英語得意なはずだぁ。

「あれは大丈夫。ぐるぐる自分で回しちゃうくらい」

「この方が三半規管やられるからだめって人も多いのにね。とりあえず地に足着いてると大丈夫なんだね、結花ちゃんは。よーし、乗ろ乗ろ」


「うぉー、目が回るー」って叫ぶ藤木君に構わず、私はぐるぐる目の前のハンドルを回して、他のどのカップよりも高速回転を作り出しちゃう。

 遠心力バンザイ。きゃー、楽しい。

 降り立ってあちこちふらふら千鳥足になった藤木君が、なんとかベンチにたどり着く。

「あははは。た、楽しかった。それに……。やっと君の笑顔が見れた」

 ありがと。ほんとにやさしい人だなぁ。こんな時、グッときちゃう。



「おなかすいたでしょ? ちょっと待ってて」

 藤木君がそう言ってホットドッグと珈琲を買ってきてくれた。ピクルスと玉葱を刻んだトマトソースがかかってて、マスタードもきいてて、意外とおいしい。

「僕と一緒だからだよ」だって。

 言ってから顔が紅くなっているのが、かわいいな。同い年の男の子、いや、男の人。


 本当なら、大学生だったら、こんな恋愛をしていたら楽しいだろうに。私はどうして道を逸れてしまったのだろう。

 目の前にいるこの笑顔の人が彼氏だったら、あたたかいしあわせを感じられたかもしれないのに。


 ホットドッグにかぶりつきながら、二人で観覧車がゆっくり回るのを見ていた。

「ほんとはあれに乗ろうって誘いたいけど、あんな空間に二人でいたら自分を見失いそうだからだめだ。結花ちゃんが一緒に乗りたいのは時雨さんだろうしね」


 いつもベランダから眺めているあの観覧車。少しずつ動いていく秘密の箱。

 もっと早く藤木君がすきだと告げてくれたら、この人とつき合っていただろうか。ふとそんなことを考えてしまうなんて弱気だなぁ、私。

 そう思いながらも、心を占めている人は、どうしようもなく逢いたい人は別なのに。


「あのさ、僕、前に言ったよね。時雨さんは二重人格みたいだって」

 うん。ほんとは別々の二人なんだけどね。


「でも、どんな時でも、時雨さんは結花ちゃんを特別に大切にしているように見える。そろそろ、自分をさらけ出したい時期じゃないかな。結花ちゃんに真剣に向き合い始めたってことだよ。もう恋愛の初期じゃなくて、互いに本音を言い合う頃なんじゃないの? こんなこと言うの悔しいけど、なんだかそんな気がする」


 藤木君は見た目とちがって、ほんとは結構大人っぽい考え方を持っているんだ。一生懸命伝えてくれるその穏やかさが、私を安心させる。


 その後私たちは観覧車には乗らずに、ねじまきパンダみたいな、のそのそした乗り物で競争した。メリーゴーランドでは白馬の王子様ごっこもして。日暮れまでめいっぱいはしゃいで、すっごく楽しかったの。


「さあ、一緒にカフェに行こうか。時雨さん待ってるから」

「うん」

 逢えないと、心で呼びかけてしまってる。時雨さーん。

「もっと自分のきもち話してごらんよ。それから、結花ちゃん、夜カフェのことで伝えたいこと、あるんじゃない?」



「あの、時雨さん」

 私は思い切って考えていたことを伝えてみようと思って、ノートの切れ端に書いた下手っぴな絵を見せた。

「夜カフェのメニューなんですけど」と話しかける。


 私が提案したのは、こんな小さなこと。

 サンドイッチ公爵はボードゲームに夢中で簡単に手で食べられるものをリクエストして、それでサンドイッチが生まれたって聞いた。


 今回の夜カフェでも、本をめくって読むのがメインだから、手を汚したくはないって思うの。

 スプーンやフォークで食べれるワンプレートの中に、ライスボールとかどうかなぁ。

 その横には手毬寿司。そしてボール型にした、ポテトサラダに洋風スモークサーモン巻いたものとかどうかな。もちろんディルのせてね。

 この丸い形たちは、今回の本に合わせて星々を表しているつもり。


「おお。ジローに提案してみよう。ファースト企画に可愛いメニューだ。結花、手伝ってくれる気になって嬉しいよ」

 一生懸命伝えた私に、時雨さんがにっこりしてくれる。

「いつ結花が、夜カフェに参加してくれるのか、待ってたよ」

 うん。流されているのではなく自分の意思で、ここにいる、私だって。


 時雨さんの元に来たのも私。

 カフェで働きたいって決めたのも私。

 後悔なんて一つもしていない。





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