第30話 つめたくてあたたかい
夏のほてった身体に、つめたいスープがおいしい。
時雨さんは今、2種類の試作をしている。赤と白のスープ。
赤はガスパチョ。白はヴィシソワーズ。
ガスパチョは、トマトの冷製スープ。ミキサーにキュウリ・パプリカ・ニンニクを刻んだものと、ちぎったフランスパンを入れる。オリーブオイルとワインビネガーをたらし、撹拌する。爽やかな酸味ととろりとした赤色が夏に合う。
ヴィシソワーズは、ポテトのポタージュ。バターでポロネギを炒めてポテトを煮る。裏ごしして生クリームを入れ、さましてから最後は冷蔵庫できゅっと冷やす。ざらっとした食感が残って、やさしい夏のクリーム色。
スープを掬うと、スプーンのつめたさに一瞬キンとしてしまう。口の中というよりも、自分の中の熱さを強制的に冷やされたようで。
スプーンにくちづけする時雨さんがきれいで、思わずみとれた。
*
花火の日の夜、部屋に帰ってから、時雨さんがこう呟いたんだ。
「恭があんなになったのは、私のせいでもある」
恭さんとキスしてたの、きっと見てしまったよね。自分からそのことには触れられずに、私は黙って時雨さんの言葉を待った。
*
最初は、私が困ってるのを見るに見かねて助けてくれていた。
しつこい女の子に待ち伏せされたのが続いて、恭が「顔は同じだろ。俺は男だよ。俺にしとけよ」って言い寄って、そうしたらあっけない位に翻るんだ。
適当なところであしらって別れたとか言ってたけど、どうやってあきらめさせたのかはわからない。私はわざと聞かなかった。
そのうちに、私は困った時には奴に話すようになった。あいつが見て見ぬふりができないことを承知で、身内だというだけで、双子だというだけで利用してきた。
そう。あいつに、心の負担を全部押し付けてた。
「俺の女はお前だけじゃないんだ。いちいち覚えてられないね」
悪い男ぶって、そんなセリフを言ってるのを目撃したこともある。そんなことばかり続けてたら、灰汁みたいにたまって、辛くなってくるはずだ。
私がズルイんだ。男である恭に押し付ければ済むって思ってた。次第に面白いゲームみたいに楽しんですらいた。別に私からすきになった訳じゃない。勝手に寄って来る方が悪いって。
あいつが結花に抱きついてるの見た時、私は思わず「この子はちがう!」って叫んだよね。あの時のあいつの目が忘れられない。散々利用して今度は違うんだって、責める目をしていた。
結花が恭に惹かれることはわかってたよ。
いいんだよ、当然だ。最初から私を男だと思ってすきになったんだから、寧ろそれが自然だろ。今までだって、同じ顔を並べたら100パーセント、みんな恭の方を選んだ。
だから、結花もそうだったら素直にそれで構わないよ。といっても、恭という男自体は、まったく勧めないけどね。
自嘲気味に話す時雨さんが、びっくりするくらいさみしそうで、私は本当に後悔した。傷つけてしまった。一瞬でも、確かに恭さんにふらっとした私は、ほんとうにバカだ。
「私がすきなのは、誓って時雨さんだけだよ」
1ミリくらい違っていても、今の私はそう答える。
*
いつのまにか、ひと月が経ったんだね。
時雨家の塗装工事が終わったらしくて、恭さんがそろそろ家に帰ると言う。絵の道具を片付けたら、もう大した荷物もなく、彼はさっさと立ち上がった。
「世話になったな。あばよ」
笑って手を振って去っていく恭さんをぼぉっと見てた。あっけなく、風みたいに行ってしまうんだな。
帰っちゃう。
あ、私どうしてさみしいって思っちゃうの。やだ、私には時雨さんがいる。やっとまた二人きりになれるのに。
少しだよ。ちくんって待ち針で誤って刺しちゃったくらいの、ほんのちょっぴりの痛み。
私の差し出す甘いスプーンを、かぷっと口に入れた時雨さん。
私がぱくっとした甘いスプーンを使って、そのまま一口掬う恭さん。
その二人が重なって、また離れていく。
掬ったのは確かにお砂糖だったのに、私が今感じているのは塩。
頬を伝う涙が止まらずに、そんな自分に戸惑ってる。
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