第26話 息ができないよ
「おい、菜月。あそこで縮こまってる変な小動物、あれ、なんとかしろよ」
「あ、まただめになってる。さっき抱きしめといたんだけど」
「大丈夫かよ、しっぽ丸下がりって感じだな」
時雨ツインズの会話が聞こえてくる。
がたがたぷるぷる。ああ、震えが止まらない。
えーん、だめだ、こわいよー。
廊下でうずくまって膝抱えて小さくなってたら、ますます不安でいっぱいになってしまった。眠れないよぉ。くすん。
「どうしたんだ、あれ」
「歯が痛いって言うから、明日歯医者予約してあげたんだけど……。怖いらしい」
呼吸ってどうやってしてたっけ。なんかパニクル。みゅぅ。
「はぁ? そりゃ、医者ってやだけどな。あれじゃ、この世の終わりみたいだぜ」
時雨さんがそばに来てくれた。
「やっぱり、行きません。やです」
と駄々をこねる私に
「だって歯痛いと噛めないでしょ。私の作ったごはん、食べられなくていいのかな?」
それは、いやーーー。
「おいで」
あ、ソファーまで、お姫さま抱っこで連れてきてくれる。
「はなで呼吸するんだよ。口閉じてたら、はなで呼吸するしかないだろ。赤ちゃんはみんなできるらしいぞ。ほら、練習してみ」
口閉じて、はなで呼吸してみる。
「そうそう。すぅーって吸って、ふぅーって吐いて、ほら肩のちから抜いてリラックス」
何度か、繰り返して、うん。できる。やれば、できる!
「ま、まて。緊張し過ぎて、目から呼吸しようとしてるぞ。目見開くな」
え……。
私は、何度も言われた通り練習をする。でも歯医者に行ったら、長い時間口を開けてるよね。その練習をすると1分も持たないよ。
ど、どうしよう。どだい人間にこんな芸当無理なんだ!
「舌の奥の方で、口からの呼吸道を塞いじゃうんだよ。そうするとスムーズにはな呼吸に移行できる……って、言ってできるんならとっくにやってるよね」
う、おえー。吐きそうになっちゃう。
そんな私を見て、恭さんがニヤニヤ笑ってる。
「お前、キスする時どーしてんだよ。練習付き合おうか?」
「恭さん。それで克服できるなら……」
「30分ノンストップキスで。マジ鍛えられるな」
「恭! 結花も本気にしないっ!」
「そんなに睨むなよ、菜月。お前がしてやればいいじゃん。いちばん落ち着くだろ」
キスの時、えっと、呼吸はどうしてた? 息止めちゃってたかも。はぁはぁしちゃったりして。そんなん妄想したら「……ぁ」とかになるじゃん!
「治療中はね、関係ないこと考えるんだよ。私のことでもいいよ。ほんとはついていってあげたいけど、ごめんね」
そう言って、やさしく手を握ってくれる時雨さんの瞳に吸い込まれそうで、やっと私は部屋に戻った。
それでも、ねむれなーい、ねむれなーいって思ってたら、時雨さんがそっとドアを開けて入ってきた。そして、私にキスをしていくの。やさしくて甘い、少し長めのキスを。前髪をやさしくかき分けながら、おでこにもちゅっ。だから、落ち着いて眠りに落ちることができた。だいすき。
*
次の日、歯医者の受付で「呼吸って何かわからなくなっちゃって」と言うと、?な顔をされてしまった。そうだよね。
矢継ぎ早に「顎関節症ですか? 呼吸器系に問題が?」とか、真剣に聞かれてしまい、ますます混乱していくよ。ううん、そこまでのことじゃないのー。
しまいには「治療の前に先生にご相談下さいね」と言われてしまった。
ああ。キーンとかシュゴーとかいう音が聞こえてくる。あれは、そうだ。『スターウォーズ』の映画だと思えばいいんだ。キーンはライトセーバーで、シュゴーはダースベイダーが喋ってる時の音。きっと助手はかわいいイォーク族の子がやって来るから楽しい。きっと……。
「橘さーん」
「こら、死んだふりするな」
横で声がして、ドアのとこまで連れて行かれた。
「大丈夫です。ただのおびえた小動物みたいなもんですから」
と引き渡される。あ、えっとね、恭さんがついてきてくれたの。
「ほら、行って来い。手、離すぞ。なんだ、この手汗はー。まったくびちゃびちゃじゃねーか。こどもかお前は」
恭さんがポケットからくしゃくしゃのハンカチを出して自分の手を拭いた後、私に握らせる。え、と思う間もなく、扉の先に召喚。きゃーー。
はいっ。ここまで来たらもう覚悟を決めて、撃沈してきますっ。
*
「ただいまー」
あ、時雨さんだぁ。おかえりなさい。
結局、詰めてたものがちょっと取れてただけで、治療はすぐに終わった。あんなに怖い思いをしたのに、すぐ済んでしまった。てへ。面目ない。
「菜月、こいつが腕つかんで離さないんだよ。仕方ないから一緒に歯医者行ってきたぞ。もうちょっとましな動物飼っておけよな。臆病すぎだ」
恭さんがそう言った時の時雨さんのあんな顔、はじめて見たよ。
ほんの一瞬だったけど、まるで嫉妬してるみたいだった。
ごめんなさい。恭さん頼ったから、怒ってるのかなぁ。めぇ。
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