第25話 再会は予告も覚悟もなく


 時雨さんが境さんと遠出する用事ができて、ピンチヒッターで恭さんが代理店長をすることになった。もちろん、他のみんなはいつもの時雨さんだと思っている。

 秘密を知ってから一緒に働くの、はじめてだな。なーんか変な感じ。

 ちゃんとここでは「時雨さん」って呼ばなくちゃ。わざと「店長!」なんて言ってみようかしら。


 今日カフェにいたのが時雨さんじゃなくて、恭さんで良かった。

 なぜだかそう思ってしまったんだ。動揺した自分を時雨さんには見せたくなかったからかな。予想もしないことは、突然降るように湧いてくるものだね。



 隼人はやとの声だ。

 ふと耳に入った瞬間、私は驚いて声のする方を探した。

 なつかしい。忘れはしない、よく通る声。私の名を何度も呼んだ、その声。


 見つけた先には、私のかつての恋人がいた。森谷隼人。

 彼は今テーブル席で女の子と向かい合っている。

 同じ東京にいるのだから、いつかこんな日が来てもおかしくはないけど、前もって予告はされないのね、やっぱり。突然に覚悟もなくやってくる再会。


 私が立ち尽くしていたら、恭さんが

「ん? どした? 知り合い?」って聞いてきた。

 私の笑顔は強張っていたのだろう。恭さんが代わりにオーダーを聞きに行ってくれた。

 なのに。すぐ隣のテーブルから「すみません」って声がかかって、あわてて行ったら隼人と目が合っちゃった。


「結花」

 ね、少しは躊躇ちゅうちょ(漢字書けない)しようよ。すぐさくっとそこら辺で知り合いに会ったみたいに気楽にじゃなくてさ。そこは、逡巡しゅんじゅん(漢字書けなーい2)しようよぉ。


 ぱっと反応できない私の代わりに、恭さんが隼人に話しかけてくれる。

「橘とお知り合いですか」

「あ、はい」

 そう言ってからやっと、隼人は目の前の女の子になんて説明しようか考えたみたいで、ちょっと口をつぐんだ。


「お久しぶりです。お元気でしたか」

 私はやっとのことで一声かけてから、隣のお客さんのオーダーを聞きに行く。

 そして、軽く彼に会釈をしたあと、キッチンの方に向かった。


 振り返ったら、恭さんがまだ何か話してる。うう、余計なこと聞いてないだろうなぁ。

 彼女が例の女の子だろうか。髪が長くて楚々として可愛らしい人。



 閉店後、恭さんがそっと横に来て

「なんだ? あいつ、お前の初めての男か?」なんて耳元で聞く。

 なんでそう勘がいいのよー。

「ほら、そういう時は『Rain's Coat』行くぞ」

 泣きたい時はBarで。そんな映画なかったかな。


「いらっしゃい、恭と結花ちゃん」

 え、マスター、なんで見分けられるの。秘訣を教えてー。

 結局、私はまだ時雨さんにも話していないことを、恭さんに聞いてもらうはめになってしまった。



 今思えば、恋人だったかどうかさえ、わからないんです。


 隼人と私は二人ともめでたく現役で大学に合格して、東京に出てくることになった。

 私は横浜の親戚の家から通うのは遠かったので、どきどきの一人暮らし。

 彼は親戚の家が大学に近かったので、そこに住むことになった。


 春休みに再会した桜咲く頃、この世の春爛漫のここち。何もかもが新鮮でわくわくしていた。

 二人で新しい生活に必要なものを買いにあちこち出かけたね。


 大学に入ったばかりの頃はお互い目まぐるしくて、それでも少しの時間を見つけては会っていた。

 ほんとに嬉しくて仕方なかったの。彼と居たくて東京に来たんだもん。


 授業にも慣れてきた頃、バイトを探したり、サークルに入ったり、互いになかなか会う時間が取れなくなってきた。

 キャンパスも離れた場所だったから、同じ東京でも活動拠点が違ったんだよね。

 でも会えた日は、会えない時間が一瞬で取り戻せているような気がしていた。


 はじめての夏休みは故郷に帰らず、できるだけ一緒にいたの。いつも手をつないでたね。

「結花」って呼ぶ声を聞きたくて、ねだるように私はいつも彼を見てた。なついたねこみたいに、彼の腕にぶら下がっていたような気がする。


 でもね、なかなかその先に進まなくて。私は一人暮らしなのに、部屋に行っていい? とも言われない。思い切って聞いたことがあったんだ。

 そうしたら「抱くのは二十歳になったらね」って諭すみたいに言われちゃった。まるでお酒や煙草みたいに。「不純異性交遊は二十歳を過ぎてから」ポスターの文句かよぉ。


 女の子からなんて恥ずかしいから、もう言えなくなってしまった。

 キスは時々してくれてたね。でも、軽いタッチのちゅってするキス止まり。

 クリスマスもバレンタインもサークルの集まりがあるって、かなり前から言われて、じゃあ私もって女友だちと約束した。

 みんなに、それはつきあってるとは言わないんじゃないの? なんて指摘されたりしてさみしかった。


 それでもその冬は一月に一度くらいは会ってたんだ。

 会えばやさしくて、やっぱりこの人がすきだなって思うのに、私のさみしさは募るばかりで。

 もう別れた方がきっといいよね。もしかしたら、もうとっくに友だちのつもりなのかな。別れだなんて言うことすら、ためらってしまうような関係。


 そして、一年前の私の6月の誕生日。約束通り、彼は二十歳の私を抱いた。

 ほんとに唐突な感じで家にやってきて約束を果たした。武士じゃないんだから、二言はないぞとか思わなくていいのに。私は身構えちゃって体かたくなって、なかなかうまくいかなかった。

 それから何度か求められて、私は少しずつ受け入れられるようになってきた。

 体って不思議だ。甘くささやかれると答えてしまいたくなる。


 でも、クリスマス前に彼にすきな人ができたって聞かされたの。家庭教師のバイト先の高校生の子だって。

 きっとずっと前からだったはず。でも相手が高校生だから抱けなかったんでしょ。私はきっとその代わり。もうすぐ大学生になるのを待って、もう私との関係を切ろうとしている。

 その頃、私はもう時雨さんのことが気になってて、それ程ショックじゃなくて、どこか上の空だった。

 うん、ほんとに、思った程の苦しみじゃ、なかったよ。あまり泣かなかったもん。



 恭さんは、最後まで黙って私の長い話を聞いてくれた。

「十分に恋だろ。あの男の目見てても、そんな感じだったぞ。すきだったオーラ全開で、前に座ってた女の子がむくれてた。案外、後悔してるのかもな」

 聞きながら、恭さんがぽんぽんって私の背中をたたくんだけど、あったかくておっきくて、うう、勝手に涙が出てくる。

「にしても、次が菜月とか。報われない恋がお気に入りか、お嬢ちゃんは」


 私はまたもや酔っ払ってしまって、気がつけば恭さんの背中。

 いい加減に学習しましょう、私。気分で煽ったら、余計酔いが回るということに。


「夏服だと背中にダイレクトに感じるのがいいな。あははは、役得」

 ご機嫌な恭さんの声が響いて恥ずかしいよ。でもいいや、今日は泣いちゃおう。

 うまく声を上げられなかった恋に、さよならしたい。


「おーい、つめたいぞ。結花」

 こうしてまた、私をヨビステにする人がふえたのです。





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