第25話 再会は予告も覚悟もなく
時雨さんが境さんと遠出する用事ができて、ピンチヒッターで恭さんが代理店長をすることになった。もちろん、他のみんなはいつもの時雨さんだと思っている。
秘密を知ってから一緒に働くの、はじめてだな。なーんか変な感じ。
ちゃんとここでは「時雨さん」って呼ばなくちゃ。わざと「店長!」なんて言ってみようかしら。
今日カフェにいたのが時雨さんじゃなくて、恭さんで良かった。
なぜだかそう思ってしまったんだ。動揺した自分を時雨さんには見せたくなかったからかな。予想もしないことは、突然降るように湧いてくるものだね。
*
ふと耳に入った瞬間、私は驚いて声のする方を探した。
なつかしい。忘れはしない、よく通る声。私の名を何度も呼んだ、その声。
見つけた先には、私のかつての恋人がいた。森谷隼人。
彼は今テーブル席で女の子と向かい合っている。
同じ東京にいるのだから、いつかこんな日が来てもおかしくはないけど、前もって予告はされないのね、やっぱり。突然に覚悟もなくやってくる再会。
私が立ち尽くしていたら、恭さんが
「ん? どした? 知り合い?」って聞いてきた。
私の笑顔は強張っていたのだろう。恭さんが代わりにオーダーを聞きに行ってくれた。
なのに。すぐ隣のテーブルから「すみません」って声がかかって、あわてて行ったら隼人と目が合っちゃった。
「結花」
ね、少しは
ぱっと反応できない私の代わりに、恭さんが隼人に話しかけてくれる。
「橘とお知り合いですか」
「あ、はい」
そう言ってからやっと、隼人は目の前の女の子になんて説明しようか考えたみたいで、ちょっと口をつぐんだ。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
私はやっとのことで一声かけてから、隣のお客さんのオーダーを聞きに行く。
そして、軽く彼に会釈をしたあと、キッチンの方に向かった。
振り返ったら、恭さんがまだ何か話してる。うう、余計なこと聞いてないだろうなぁ。
彼女が例の女の子だろうか。髪が長くて楚々として可愛らしい人。
*
閉店後、恭さんがそっと横に来て
「なんだ? あいつ、お前の初めての男か?」なんて耳元で聞く。
なんでそう勘がいいのよー。
「ほら、そういう時は『Rain's Coat』行くぞ」
泣きたい時はBarで。そんな映画なかったかな。
「いらっしゃい、恭と結花ちゃん」
え、マスター、なんで見分けられるの。秘訣を教えてー。
結局、私はまだ時雨さんにも話していないことを、恭さんに聞いてもらうはめになってしまった。
*
今思えば、恋人だったかどうかさえ、わからないんです。
隼人と私は二人ともめでたく現役で大学に合格して、東京に出てくることになった。
私は横浜の親戚の家から通うのは遠かったので、どきどきの一人暮らし。
彼は親戚の家が大学に近かったので、そこに住むことになった。
春休みに再会した桜咲く頃、この世の春爛漫のここち。何もかもが新鮮でわくわくしていた。
二人で新しい生活に必要なものを買いにあちこち出かけたね。
大学に入ったばかりの頃はお互い目まぐるしくて、それでも少しの時間を見つけては会っていた。
ほんとに嬉しくて仕方なかったの。彼と居たくて東京に来たんだもん。
授業にも慣れてきた頃、バイトを探したり、サークルに入ったり、互いになかなか会う時間が取れなくなってきた。
キャンパスも離れた場所だったから、同じ東京でも活動拠点が違ったんだよね。
でも会えた日は、会えない時間が一瞬で取り戻せているような気がしていた。
はじめての夏休みは故郷に帰らず、できるだけ一緒にいたの。いつも手をつないでたね。
「結花」って呼ぶ声を聞きたくて、ねだるように私はいつも彼を見てた。なついたねこみたいに、彼の腕にぶら下がっていたような気がする。
でもね、なかなかその先に進まなくて。私は一人暮らしなのに、部屋に行っていい? とも言われない。思い切って聞いたことがあったんだ。
そうしたら「抱くのは二十歳になったらね」って諭すみたいに言われちゃった。まるでお酒や煙草みたいに。「不純異性交遊は二十歳を過ぎてから」ポスターの文句かよぉ。
女の子からなんて恥ずかしいから、もう言えなくなってしまった。
キスは時々してくれてたね。でも、軽いタッチのちゅってするキス止まり。
クリスマスもバレンタインもサークルの集まりがあるって、かなり前から言われて、じゃあ私もって女友だちと約束した。
みんなに、それはつきあってるとは言わないんじゃないの? なんて指摘されたりしてさみしかった。
それでもその冬は一月に一度くらいは会ってたんだ。
会えばやさしくて、やっぱりこの人がすきだなって思うのに、私のさみしさは募るばかりで。
もう別れた方がきっといいよね。もしかしたら、もうとっくに友だちのつもりなのかな。別れだなんて言うことすら、ためらってしまうような関係。
そして、一年前の私の6月の誕生日。約束通り、彼は二十歳の私を抱いた。
ほんとに唐突な感じで家にやってきて約束を果たした。武士じゃないんだから、二言はないぞとか思わなくていいのに。私は身構えちゃって体かたくなって、なかなかうまくいかなかった。
それから何度か求められて、私は少しずつ受け入れられるようになってきた。
体って不思議だ。甘くささやかれると答えてしまいたくなる。
でも、クリスマス前に彼にすきな人ができたって聞かされたの。家庭教師のバイト先の高校生の子だって。
きっとずっと前からだったはず。でも相手が高校生だから抱けなかったんでしょ。私はきっとその代わり。もうすぐ大学生になるのを待って、もう私との関係を切ろうとしている。
その頃、私はもう時雨さんのことが気になってて、それ程ショックじゃなくて、どこか上の空だった。
うん、ほんとに、思った程の苦しみじゃ、なかったよ。あまり泣かなかったもん。
*
恭さんは、最後まで黙って私の長い話を聞いてくれた。
「十分に恋だろ。あの男の目見てても、そんな感じだったぞ。すきだったオーラ全開で、前に座ってた女の子がむくれてた。案外、後悔してるのかもな」
聞きながら、恭さんがぽんぽんって私の背中をたたくんだけど、あったかくておっきくて、うう、勝手に涙が出てくる。
「にしても、次が菜月とか。報われない恋がお気に入りか、お嬢ちゃんは」
私はまたもや酔っ払ってしまって、気がつけば恭さんの背中。
いい加減に学習しましょう、私。気分で煽ったら、余計酔いが回るということに。
「夏服だと背中にダイレクトに感じるのがいいな。あははは、役得」
ご機嫌な恭さんの声が響いて恥ずかしいよ。でもいいや、今日は泣いちゃおう。
うまく声を上げられなかった恋に、さよならしたい。
「おーい、つめたいぞ。結花」
こうしてまた、私をヨビステにする人がふえたのです。
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